第17話 おつかいコードXXX

 あの月、あの日、あの時刻、父が死んだ。2085年4月4日17時57分。坂鳥さかどりひかる笠岡かさおか総合科学研究所勤務、47歳。研究所に侵入した未確認生物は、彼を含めた数十人の職員に牙をき、そのほとんどの命を奪った。彼の遺体は速やかに荼毘だびに付され、その意識は死者のライフログの集積―故人情報こじんじょうほうを元に再構成された。今、その意識は電子の海の奥深くへと解き放たれ、第二の生を送っている。四千年前の粘土板に刻まれた、人類から不死に宛てた恋歌れんか。四千年の時がその恋をまがりなりにも成就させ、人類は疑似的な不死を得た。彼らの愛の巣たる常世とこよの国。それは生者にとって、未だ容易に通交のできぬ異界であり続けていた。

 百鬼杖ひゃっきじょうを奪われた坂鳥緋出ひいでは、亡くなった父に会いに行くことにした。バーチャル空間は数多あれど、トゥルースペース=死者の国に、肉体を持ったままの人間がアクセスするには、それなりの手続きが要る。物理的には造作もないことなのだが、「生死のケジメがつかない」というのがその理由だった。肉体を失ったところで以前と変わらず生活できるというのなら、自他を問わず肉体に対する暴力がまかり通ってしまうのではないか、不摂生ふせっせいから自殺まで、イジメからジェノサイドまで、ありとあらゆる暴力の続発しだすのを社会は恐れていた。

父の死亡が確認されてから数日と経たないうちに、緋出は故人面会申請を厚労省の故人情報管理局に提出していた。それが一か月以上たった今ようやく、認可されたのである。


「父さん?」

「ああ。ヒデか」

緋出の目の前には、父がいた。2085年4月4日の早朝、彼が最後に見た父の姿と何ら変わりなかった。トゥルースペースの一画に割り当てられた父の住居すまい。それは坂鳥家の内部を忠実に模倣もほうしたものだった―突如失ってしまった家庭を惜しむかのように。意外だろうか?それとも想定内?父は別に家庭を疎かにするような人間ではなかった、と息子たる緋出は感じている。かといってそれほど家庭への献身をあらわにするふうな人物でもなかったはずだ。緋出の目にはかすかな戸惑いが浮かんでいたが、自分では気付けなかった。


「父さん、久しぶり。これ、中身は分かんないけど差し入れに」

そう言うと緋出は右手のてのひらを差し出して、ぎこちない動作で虚空こくうからチップを現出してみせる。データパック―バーチャル空間での生活に必要なデータをしまい込むための、フォルダのようなもの。

「ありがとう。これはなんだろう?」

データパックを渡した緋出の姿はいかにも無愛想かつぶっきらぼうで、はたから見たならば父子の感動の再会にはとても見えなかったに違いない。だが父の方はと言えば、息子のそうした不自然さを別の意味に解したようだった。

「ヒデぇ、こういうのは父さん、よろしくないと思うなあ」

「いやいや、これ母さんからのやつだって!濡れぎぬだよ!」

「濡れ衣ならぬ濡れ透けとはなあ」

父はそう呟きながら、中身の本をしげしげと眺めていた。ここが物理フィジカル空間だったらば、緋出にもその本の表紙が見えただろう。しかし生憎あいにくバーチャル空間では、閲覧制限に引っ掛かった物体は透過して見えなくなってしまう。生憎でもないか。興味ないし。

「母さんが持ってけって言ったんだよ。あーあ、こんなおつかいがあるかよ……」

あの事件から一週間ほど経った頃、母(と僕が)父の書斎に入ったのは、エロ本を探すためだったっけ。緋出はそのことをようやく思い出した。その部屋で百鬼杖を見つけ出したのだ。父の形見として。結局エロ本は見つかったんだろうか。そして今渡した本を選び出す上で参考になったのだろうか。そうした疑問を振り切って、かねてからの疑問を話題にのぼせる。

「それより父さん、あの杖のことなんだけど」

今までにこやかにしていた父の表情が、変わった。安堵あんどとも絶望ともつかぬ複雑微妙な表情を、その顔はたたえていた。

「手に取ってくれたんだな」

「うん。今は牛王坊ごおうぼう居候いそうろうさせてる。母さんにはもちろん内緒だけどね。それから―」

 緋出は牛王坊を召喚してから今に至るまでのあらましを父に語った。あまりにも多くの出来事が怒涛どとうのように押し寄せてきて、彼の精神は無茶苦茶に揺すぶられた。辛い話ばかりではないけれど、死を覚悟したことだってあった。親友を失いかけたことだってあった。そうしてその内幕うちまくを誰にも語れないまま、彼は今まで耐えてきた。何もかもぶちまけられる話相手が欲しい―それが父に会いに来た理由だった。

「色々と説明不足だったことは俺にも分かっている。だがその時の俺たちに残されていた時間は、あまりにも少なすぎたんだ」

「ヒデ、お前が子供の頃、天蚕糸てぐす神社の境内で天狗に会ったこと、覚えているか?」

父が唐突に話題を転じてきたことに、緋出は意表を突かれる思いだった。天蚕糸神社の天狗様。確かに覚えている。牛王坊を呼び出したあの日、前にも天狗に会ったことがあるような気がしていたのだ。

「うん、何となく。でもあまりにも荒唐無稽な記憶だから、子供の頃見た夢だったんだって、自分に言い聞かせてた」

「そうか。覚えていてくれたのか」

父の口元がちょっとだけほころんだ。

「あれはな、夢なんかじゃない」

「彼の名前は、桃山ももやま義矛ぎむ

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反魂法師―近未来吉備妖怪譚 飯山直太朗 @iyamanaotarou

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