第3話


 さて、私たちが待機している九合目五勺の『胸突山荘』。


 先程はサラッと名前を出したが、この名はこれから頂上へと登るルートの険しさをダイレクトに表現していた。


 胸を突くほどの急勾配の登り坂が待っているのだ。

 登り始めて見上げるような登山道に、私は絶望する。


 足もクタクタ、寒さで震える。雪も舞っている。ついでに徹夜。

 そして目の前には急勾配の坂。


 登りたくなかった。

 正直、もう日の出などどうでも良かった。

 お日様は下界でも見える。


 体はとにかく休息と温かい物だけを欲している。


 しかし、赤木さんならともかく、ここまで来たなら登らずに終わるなんてあり得ない。


 私たちは登った。


 もう辛すぎて記憶がおぼろげだが、とにかく登った。赤木さんも。


 そして、頂上についた時。

 私はてっぺんについた感動よりも、とにかく休憩所で暖まりたい! がまさって売店となっている山小屋へと駆け込んだ。

 売店には、きっと、きっと、温かい物が売っているはず……!


 と、駆け込んだ売店で、私は驚愕する。


「か、カップラーメン、一つ800円っ?!」


 六合目辺りから、徐々にインフレを起こしていた食料の値段。

 頂上はカップラーメン史上最高のお値段と化していた。

 もはや富士山はラーメンが無い異国の地と同じである。


 しかし高いから買わないなんて選択肢は無い。

 即座にカップラーメンを購入し、席に座る。


 頂上は気圧で沸点が低くて、ぬるぬるのラーメンだったが、そんなのはどうでも良い。


 とにかく温かいラーメンを啜る。

 冷え切った口内に多幸感が染み渡る。


 う、旨い……!


 こんなに美味しい物はこの世にきっと無いだろうと思えるほど……至高のラーメンだった!


 ……そんな時、他のメンバーが「日の出だよ!」と呼びに来てくれたが、私はすでにその場から動けなくなっていた。


 温かいお店で温かいラーメン。

 これ以上の感動があるだろうか。


 ――結局、私が外に出たのは日の出の後で……頂上に辿り着いて一番感動したのは、ラーメンだった。



 ◆



 太陽も登り気温も上がってきた。

 カップラーメンやお汁粉で少しは体力が回復した私達。

 しばらく頂上を満喫した後、御殿場口ルートを下山し始める。

 昨日は雪が降る悪天候だったが、翌日はよく晴れた日だった。


 最初は順調に降りていたメンバー達。

 しかし我々は疲労の徹夜組。

 帰りも過酷の道のりだった。


 「ちょっと座るわ」と座った仲間がのび太顔負けの秒でイビキをかいて寝落ちするほどに。

 もちろん、お約束の「寝るなー! 死ぬぞー!」コントで叩き起す。

 その背後で本当に死にそうだった赤木さんが仏の様な微笑みを浮かべていた……。


 

 下山コースに選んだ御殿場口は、かなりハードである。


 何故ならば、大砂走おおすなばしりと呼ばれている砂漠のような地帯が大部分を占めているからだ。


 砂漠の斜面を登るのはかなりつらいが、さいわい我々は下り。

 ただただ、砂の道を走っていけばいいのだが……。


 これも結構な曲者なのだ。


 まず、第一に止まらない。

 勢いよく駆け出すと本当に止まらないし、砂なので走りにくく転びそうになる。


 更に下りは登りよりも足の負担が酷い。

 急斜面を降りることで足はガクガクになっていく。


 そして下手な靴を履いていくと、靴に砂が入って痛い。

 数歩歩くと靴に砂が入って超痛い。

 ちゃんとした登山靴が必要だった。


 しかし素人の我々は普通のシューズで来ているわけで……。

 そこで私はお父さんの靴下を持参した。


 小学生の頃の遠足で大砂走りへ行った時、自分の靴の上から靴下を履いて下山した事があったからだ。


 しかし、またしても大誤算!


 当時は小さかった私の足。

 今は大きい大人の足。お父さんの靴下は一瞬で破けた。


 落ち込む私にメンバーの一人が「ガムテープあるよ……」と、靴と靴下の隙間にガムテープを貼ってくれて、私は事なきを得た……。



 ◆



 ――それから大砂走りを下り始め、しばらく経った時の事。


 私は初めての光景を目にする。

 天国からの地球を見たのだ。


 前述でも伝えた様に、富士山は岩山だ。晴れていたら視界は良好で下界が一望出来る。


 ふと見た下界、街並みが遥か彼方まで見えた。

 その先に見えるのは、地平線。


 その地平線が……。


「凄い、地平線が丸い……!」


 大地の果てが、僅かに弧を描いていたのだ。


 子供の時は曇りだったから見えなかった。


 当たり前の事なのに、地球が丸い事は知っているのに、自分の目でそれを見るのは初めてだった。


 雲よりも高い場所で地球を見下ろす私達。

 それはまるで天国から見る世界の様に、幻想的で素晴らしかった。


 その圧倒される絶景に感動しながら、良かったなぁ……。

 富士山、登って良かったなぁ……! としみじみと思ったのだ。


 この一瞬だけは、これまでの苦労を忘れられた。



 ――しかし。

 僅かに足に入った砂の痛みが、私を現実へと戻させる。下り過ぎてガクガクになった足を動かし、再び下界へと進んだ。




 ◆


 

 やっと大砂走りが終わり、後は駐車場まで歩くのみ、となったのだが……。

 昨日から続く度重なる身体の疲労で、あと僅かの道のりが果てしなく辛く長かった。


 視界は開けているから、遥か向こうに駐車場は見えるのに、歩いても歩いても、ちっとも近づいている気がしない。

 永遠に辿り着かない蜃気楼かと思ったほどに。


 しかし、どんなに辛くても、一歩ずつ一歩ずつでも足を進めばいつかはゴールに辿り着ける訳で。


 やっとの思いで御殿場口五合目の駐車場で到着した時、我々は歓喜に湧いた。


 徹夜だった私達は、妙なハイテンションでやり遂げた達成感と無事生還した事に喜びを噛み締めた。


 そして「大変だったけれど、楽しかったね!」という、ありきたりな言葉と共に、一生忘れられない思い出を富士山に刻んだのだった……。




 ◆


 

 登って分かる。

 富士山は登るもんじゃない、見るものだって。

 


 でもあの時、頂上で撮った集合写真からは、今でもみんなの声が聴こえてくる……。


 その懐かしい笑い声を聴きながら、色褪せない思い出に私は一人、ニヤけるのだった。



 ー完ー

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富士山で一番最強なのは、ラーメンでした。 さくらみお @Yukimidaihuku

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