第2話
夜間の富士山頂上は、いくら地上が蒸し暑い8月でも気温が5℃前後になる。
初心者の我々も流石にそこは調べた。
だから集合時は半袖でも、防寒のためのセーターや暖かいウェアを大量に持参していた。
赤木さんの装備は半袖ジーパンのみ。
みんなで止めた。「死ぬぞ」と。
しかし赤木さん、昼間の富士登山を経験しているせいか「大丈夫、大丈夫!」と夜の富士山を舐めまくっていた。
みんなは必死に止めたが
……今思うと、これが無かったら……と思う時がある。
◆
そんなこんなで。
富士宮口の五合目にたどり着いた一行。
登山シーズンだけあって、人、人、人だらけ。
よく実家から夜の富士山を眺めると、ルートに沿って登山者のランタンの明かりが瞬き光の道となって見えた。
私はそれをいつも美しいと思っていた。
今日は自分もその光の一つとなる。
そう思うだけで、高揚感がいっぱいとなった。
私達は、踏めば沈む黒い砂の登山道を歩き始めた。
富士山は活火山である。
砂と岩、少しの高山植物が生える物寂しい荒野の景観が広がる。
その殺伐とした登山道を少し歩くと…………。
一瞬で六合目まで辿り着いた。
あっという間に六合目に辿り着くから、登山初心者は「なんだ富士登山楽勝じゃん♪」と勘違いする。
しかし、富士山は八合目辺りからが「本番」なのだ。
六合目にある自動販売機が地上よりも少し値段が高いねー♪とはしゃぐ一行。
――当時の知り合いに富士山の山小屋を経営していた方が居た。
いつも登山ルートを登っているのか? と尋ねたらルートではなく、水平に荷物を積んだ重機で富士山を登るそうだ。
なんてワイルドな、と思った。
しかし、それでも輸送するのはとても大変なので頂上へ登っていくほど、商品や食べ物がハイパーインフレーションを起こす。
それは頂上についた時のお話で。
◆
登っていくと少し冷えてくる。
登山メンバーは、長袖を着る。
また少し登っていくと寒くなってくる。
メンバーは、セーターを着る。
こうして少しずつ登っていく度に、気温は信じられないほど変わっていく。
八合目を超えた辺りから、勾配がきつくなってきた。
私は日々のマラソンで足腰には自信があった。
が、大誤算!
マラソンと登山ではきっと使う筋肉が違うのだろう。
足は乳酸が堪り、悲鳴を挙げていた。
他のメンバー達も疲れは同じで、高山病対策も兼ねて、少し登っては休憩、少し登っては休憩を繰り返して、少しずつゆっくりと登っていく。
そして完全に震えるほど寒くなってきた。
みんな上下にウェアを着て完全防備となる。
それでも寒いし坂はきつい。
ビール缶六本を背負う戸嶋さんが叫ぶ。
「ビールなんて飲める気候じゃない! これは温かい物が必要だった!」と。
そうなのだ。ビールを持ってきた戸嶋さん。
例え頭では「頂上は防寒着を着込むほど寒い」と理解していても、ビールを購入した下界がとにかく暑いから、頂上で飲むビールはきっと美味しい♪と不思議な思考矛盾が生じるのだ。
夜の富士山はいつでも冬山なのだ。
ビールは戸嶋さんのただの足枷となって、最後まで肩を圧迫した。
我々も、温かいものが欲しかった。
袋が膨らんで楽しいポテトチップスよりも、温かいものが……。
――そして我々は頂上の一歩手前。
九合目五勺にある胸突山荘へと辿り着く。
そこで戸嶋さんは言う。
「日の出の前に、これ以上登るともっと寒くなる。しばらく此処で待機しよう」と。
そこでも十分に寒い九合目五勺(標高3,590m)。
トイレがとても温かくてずっと居たいが、有料制で混雑もしている。
そんなに長くも居られない。
女子メンバーの一人が冗談半分でエマージェンシーブランケットを持ってきていたが、まさに今が
女の子だけでブランケットに包まって、お互いに暖をとる。
……そんな私たちの目の前に……。
実はかなり前から無言で虚無の人が居た。
軽装備で来た赤木さんだ。
彼は唯一の装備、ビニールカッパを羽織り、魂が抜けている状態だった。
私は自分が寒さで震えながらも赤木さんの命の危機を感じ、二重で鳥肌がたった。
しかし、赤木さんは良い感じに油の乗ったオジさん……。
女子の誰しもが、一緒にブランケットに入ろうと誘わない。
次第に雪も舞って来た。
メンバーが下山する様に言うが、
一体、何がそこまで赤木さんの心を突き動かしているのか。
結局、赤木さんは一人、静かに地蔵のように固まり耐えた。
……いや、本当に何事も無かったから、良かったものの……。
――下山後から、赤木さんはレジェンドと呼ばれるようになった。
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