7品目:髑髏の護り


「……少し考えさせてくれぬだろうか?」


 暁子の話を聞き終えると彼はを振った。同時にキシキシと首の骨が軋む音がする。

 部屋には角の丸い奇妙な形の本棚、うずたかく本が積まれた机、そして暁子とベリィが座るソファが置かれている。天井でゆらゆらと揺れる小さな灯りは火の玉のようにも見え、暁子はそっと目を逸らした。

 

 此処はスクールの学長室。

 ふたりの前に座っているのは、黒いローブを羽織ったである。首の詰まったローブ。その袖から象牙色の骨が覗き、それが滑らかに動く様を暁子は不思議に思いながら眺めた。

 この骸骨こそが、アルシュトルツ・スクールの学長。

 ズァン・ゴートニング=スカルイである。

 

 子供達の為のお弁当屋さんを始めるならば、学長の許可は必要だろう。もし注文が増えれば配達なども視野に入れなくてはならないのだから。

 そう諭された暁子は、ベリィに連れられスクールに足を踏み入れたのだった。


 ゴートニングはキイ、と椅子を揺らした。頬に手をあてがい、小首を傾げる。骸骨スカルイだから表情は変化しない筈なのだが、不思議と彼が困ったように眉を顰めたのだと分かった。

  

「いや、いや、あまり落胆せんでくれたまえ。素敵な話だとは思うのじゃよ。しかしわたくしはスクールの全て、子供達と教職員の全てに責任を持つ立場でね。慎重になってしまう事を許して欲しい。

 ひとつ、質問しても良いじゃろうか?」


 暁子とベリィが静かに頷くと、ゴートニングはゆっくりと話し始めた。

 

「スクールでの生活は全てが子供達にとっての勉強じゃ。休み時間でさえも、な。自力で食物を探し手に入れる。それが大事な訓練になっている者も多くいる。オベントーはそんな機会を奪う物になりはしないかね?」

「……」

「リート君が――子供達が大きくなった時にアルシュトルツに食料店や市場があるか分からぬ。若しくはアルシュトルツ自体が無くなっている事だって有り得る。よくお分かりじゃろう、コーヴィンス嬢?」


 ゴートニングの意味深な物言いに、ベリィが一瞬言葉に詰まったように見えた。

 暁子はただ黙って聞いていた。恵まれた国で、簡単に食べ物が手に入るような人生を送ってきた自分が想像し得る範疇の話では無い。


「……確かにそうかもしれません、でも」


 ベリィがおずおずと口を開く。


「でも、アキのおかげでリートはコルタリが食べられるようになったんです。あのままじゃリートは火も噴けないただの大蜥蜴おおとかげになる所だった。それにリア……エリアナは少しずつ肉を食べられるようになったんです。

 きっと同じように困っている子供がいる。そんな子達を救うのも1つの教育にはならないでしょうか?」


 ベリィの言葉に暁子の心がじわりと暖かくなる。自分の為に言葉を尽くしてくれる友人が出来た事が嬉しかった。世界や種族の差など、案外大した事は無いのかもしれない。

 

「成程のう……少し時間を貰えるだろうか」


 ゴートニングは下顎骨に手を当て、机に反対の手を置いた。そのまま人差し指でコツ、コツと机を叩く。規則正しいその音は心地良く響き、思案する学長を暁子とベリィは静かに待った。


 と、その時。

 パキッ。

 不意に異質な音が混ざり、暁子とベリィの顔の間を何か小さい物が飛び去った。

 暁子がビクリと身体を強ばらせる。隣に座るベリィも同じように身体を固くした雰囲気が伝わってくる。

 ふたりの反応を見たゴートニングは(恐らく)笑い、今まで机を叩いていた人差し指を立てて見せた。その指は先程までに比べてやけに短く、先が歪な形になっている。


「わはは、失礼した! 驚かせてしまったのう。いつもの事だからあまり心配召されるな。はて、ミイラ印の接着剤はまだあったかな……」


 そう言いながら彼は暁子とベリィの後ろに周り、何かを拾い上げた。それがである事に気付くまでそれ程時間は掛からなかった。

 ゴートニングは拾った骨を反対の手で弄びながら机に戻り、自分の椅子に座り直した。同時にパキ、と不穏な音が鳴る。


「しまった、これは尾骨が折れたかな? 重ね重ね申し訳ない。骨が脆くなって困るわい」

「だ、大丈夫ですか?」


 戸惑いながらも案ずる暁子に、ゴートニングは頷く。

 

「いや、いや、問題無い。いずれこうなる事は私が生屍ゾンビイ族に産まれた時から決まっておった」

「ゾンビイ?」

「おお、貴女は他の世界からいらしたのじゃったな、コサン嬢。

 ゾンビイは名の通り生ける屍じゃよ。生まれ落ちたその瞬間から屍なのじゃ。そして老年になれば肉は全て腐り落ち、骨のみになる。生屍ゾンビイから骸骨スカルイに成るというのはおじいちゃんになった証なのじゃ。最初から死んでおるから、老いるというのもおかしな話だがの――」


 そう悪戯っぽく言うとゴートニングは小首を傾げた。彼に目蓋があったならきっとウインクをしていたに違いない。

 ベリィが尋ねる。


「でも先生、そこまでお歳じゃないですよね?」

「そうじゃの、まだ500歳にも満たぬ」


 想像もつかない数字にくらりとする。

 ベリィが暁子に「骸骨スカルイの寿命は人間ヒューマノの10倍くらいだ」と耳打ちした。という事は人間に換算すると五十路前といった所か。


骸骨スカルイで在る限り、ミルクを飲み続けなければならないのは重々承知しておるのだがな、飲むと息が苦しくてのう……」


 呼吸が苦しい? 肺が無いのに?

 ベリィの瞳に疑念の色が浮かんでいる。恐らく暁子の瞳も同じであろう事がベリィの表情から見てとれる。

 彼はふたりの心を読み取ったかのようにやれやれと肩を竦めた。


「単なる好き嫌いであればこんな粗雑な嘘など吐かんよ。教職に就く者として正しく在りたいからのう。しかしミルクだけは駄目なんじゃ。呼吸に限らず腰椎や腸骨は痛むし、頸椎と鎖骨が腫れ上がるしで散々なのじゃよ」


 と、折れた指で順に自分の骨を指差す。呼吸云々も不思議な話だが、骨が腫れ上がるというのも想像出来ない話だ。

 しかし、呼吸の苦しさや腫れといった症状は何だか聞き覚えがある。まるで――


「アレルギー?」


 暁子が呟くと、ふたりはぽかんとした表情を浮かべた。


「あぁ、ごめんなさい。先生みたいに特定の食べ物を食べると体調が悪くなる体質の人を私の世界ではアレルギーって呼ぶんです。そんな子供達も多くいたから――」


「それだ!」


 不意にベリィが大きな声を上げる。

 暁子が驚くのと同時に、ゴートニングの座る方角から三度みたびパキッという音が響く。

 ベリィは両手を合わせて申し訳無さそうな顔をした。が、直後にはゴートニングの座る机に両手を付き、身を乗り出す。

 

「アキが先生の為のお昼ご飯を、オベントーを作ります! もしそのオベントーが教育に役立つような物だと先生が思えたら、アキのオベントー屋さんの事を認めてくれませんか?」

「ちょ、ちょっと、そんな事勝手に――」

「ほう? 面白い。私もコサン嬢の作る異世界の料理に興味がある」

「え、ちょっと、先生――」

「よし、そうと決まれば帰って作戦会議だ! 先生、失礼しました!」

「ほっほっ。若いというのは良い事よのう。楽しみに待っておるぞ、コサン嬢、コーヴィンス嬢」


 優雅に手を振るゴートニングに見送られ、暁子が反対する暇も無いままふたりは学長室を後にした。




 【宵の火】に戻ると、ベリィはカウンター席に座った。そのままわくわくした表情で、隣に腰かけた暁子を見つめる。


「さて、アレルギーの子供達にはどんなキューショクを作ってたんだい?」

「給食で作るのは除去食だけよ。アレルギーの元になる食品を除いて作るだけ。他に特別な物は作ってなかったわ」

「えぇ、困った……それじゃ先生を納得させられないかもしれない」

「何かアイデアがあってあんな事を言い出したんじゃないの?」

「いや? でもアキなら何とかしてくれるだろうなと――」


 暁子が抗議の声を上げると、ベリィは頭の後ろに手を当て誤魔化すように笑った。

 暁子はわざとらしく溜息をつき、肩を竦めてみせた。こちらの世界に来てから、どうもベリィの少し大袈裟な身振りの癖が移っているような気がする。


「まぁここまで来たらやるしかないものね。何個か思いつきだけど……試してみて良いかしら?」

「さっすがアキだ! 勿論、あたしも手伝うよ」


 リートの調子の良さは間違いなく母親譲りだ。

 そんな事を思いながら、暁子は早速料理の準備を始めた。




 骨を強くするとなったら1番に思い浮かべるのはカルシウムだろう。それは勿論、元の世界の法則がこちらでも適応されるのであれば、の話だが。


「まぁ試してみない事には始まらないからね」


 記憶を頼りに、カルシウムの多そうな食材を並べてみる。

 今日は和食、一汁三菜にしてみよう。


 メブの葉とターライという魚の干物はまさに日本で言う出汁昆布と鰹節の厚削りのような物だ。

 メブの葉を水に浸し弱火にかけてゆっくりと旨味を引き出す。ふつふつと水面が揺れたらメブを取り出し、ターライの干物を加えてぐつぐつと煮出す。こうやって作る濃い旨味の出汁は贅沢な香りを纏い、和食の全てを美味しくしてくれる。

 取り出した出汁がらも無駄にならないよう細かく刻み、甘辛い佃煮にする。

 醤油にそっくりな調味料もワサヴィーの店で見つけられたのは幸いだった。昆布やわかめにはカルシウムが多いというから、これも役に立てば良い。

 

 ――そういえばこっちの世界に来た日の朝も出汁がらで佃煮を作ったっけ。

 世界は違えど、自分の味は変わらないのだと思う。それは安堵でもあり誇りでもある。


 棚を探ると、氷スライムの欠片に包まれて冷やされた小さな魚を見つけた。ししゃもくらいの大きさの魚だ。腹の部分にしっかりと身が詰まっていそうな見た目をしている。


「この魚、使ってもいいかしら?」

「勿論! でも小さいから捌くのは大変だぞ?」

「大丈夫、捌かないから」


 ベリィの晩酌用の酒を少し拝借して、醤油、すりおろした生姜と一緒に魚にまぶす。30分も置いておけば良い味になるだろう。


 大豆に似た豆、カッツェマ・ルータィ・ヤン。リアのミートソースの為に使ったこの豆の複雑な名前も、今や空で言えるようになった。

 それと、ワサヴィーの店で出会ったマイコニヤン。ヤン――豆を発酵させたこの調味料は味噌そっくりの味わいだ。


 蜜のような色の出汁に色とりどりの野菜をたっぷり。茹でたヤンをすり潰した物と、味噌のようなマイコニヤンで味をつければとろりと体の温まる呉汁が出来上がった。すり潰した豆がふわりとおぼろ豆腐のように浮かび、コクのある味噌汁になる。


「本当はゴマ和えが作れれば良いんだけど……」

「ゴマ? あるぞ。ほらそこの棚の中に」

「あるんだ……」


 ベリィが取り出したのは正真正銘の白ゴマだった。この世界と元の世界の共通点はいつも不思議な所にある。

 白ゴマをすり潰し、砂糖に醤油に出汁をちょびっと。

 菠薐草ほうれんそうによく似たピニの葉を茹で、水気を切って和え衣と合わせる。


 下味を付けた小魚にはカシャ麦の粉を薄くまぶし、熱した油の中に放り込む。じゅわあと大きな音が上がり、ベリィの目が輝いた。


「丸ごと揚げちゃうのか!」

「そうそう、骨ごと食べてもらいたいからね」


 薄く色が付いたら一旦取り出して、温度を上げた油で再び揚げる。ヘラ越しにカラリと揚がった感触が伝わり、見とれてしまいそうなきつね色に染まったら油から掬い出す。


「本当は揚げたてを出してあげたいけどねぇ……」


 などと独りごちながら仕上げにほんの気持ち程度の塩を振る。


 ご飯に佃煮、小魚の唐揚げにゴマ和え、そして呉汁。

 それぞれの料理を一旦皿に盛り付け、味見を待ち望むベリィに差し出した。

 

 最高に美味しい物が出来た、と自負する。

 この料理こそが、今、私がアルシュトルツで得た全てだ。

 

 


「ほう、これは……」


 ふたりは再び学長室を訪れていた。

 コンロが無くとも魔法で汁物を温められるこの世界は本当に便利だ、と暁子は思う。湯気の上がる料理を前に、ゴートニングは笑顔を浮かべたように見えた。

 

 暁子が1つ1つ料理を説明し、その度にゴートニングは感心の声を上げる。全てが彼にとっては目新しい物だったのだろう。彼の新鮮な反応が楽しくなり、暁子の説明にも熱が入る。


「――という訳で、これが私の世界の給食です。どうぞ召し上がれ」


 箸の代わりに用意したスプーンとフォークを持ち上げた所で、ゴートニングがはたと何かに気付いたように手を止めた。

 

「コサン嬢、キューショクの作法を教えてはもらえぬだろうか?」

「作法なんてそんな仰々しい物は無いけれど……そうね……

 両手を合わせて、食べる前には『いただきます』、食べ終わったら『ごちそうさま』と言います。食べ物の生命や、関わってくれた人達への感謝の言葉ですね」

「感謝……素晴らしい」


 ゴートニングは頷き、両手を合わせた。


「それでは、『イタダキマス』」


 ゴートニングはフォークで器用にふりかけの掛かったご飯を掬い口に運んだ。その次に味噌汁、そして小魚と和え物――。無言のままスムーズに食べ進めてゆく。

 

 彼の食事を暁子はまじまじと見つめた。口に合うかという心配が5割、残りの5割は骸骨スカルイの生態についての興味である。ゴートニングは都度、飲み込むような仕草はしていたものの、顎から下はローブに隠れて見えなかった。彼の嚥下した食べ物は何処へ行くのか、不思議でならない。


 半分程食べ終わった所で彼は静かにカトラリーを置いた。

 もしや口に合わなかったのだろうか。

 ドギマギしながらゴートニングを見つめ続けていると、彼はゆっくりと顔を上げた。


「コサン嬢、コーヴィンス嬢」

「は、はい」

「これは誠に……誠に素晴らしいものじゃ。料理の全てにコサン嬢の心がこもっている。そして作り手の想いに応える感謝、『イタダキマス』と『ゴチソウサマ』の文化。このキューショク、オベントーを是非子供達にも体験させたい」

「それって……」


 彼は立ち上がり、深く一礼した。

 

「このズァン・ゴートニング=スカルイ、スクール学長としておふたりにお頼み申し上げる。是非スクールに通う子供達にオベントーを作っていただけないじゃろうか」


 そしてこちらに手を差し伸べる。暁子は少し震える手でその象牙色の骨を優しく握った。

 握手の後、ゴートニングは座り直し再びフォークを手に取った。


「おっといかん、『ゴチソウサマ』もしなければな。勿論全て綺麗に頂こう。心配召されるな」

「ありがとうございます」


 程なくして、「ゴチソウサマ」と唱えた彼の顔には間違いなく満面の笑みが浮かんでいた。

 

 

 【第一章 完】



〜今日の献立〜

 ごはん

 メブとターライの出汁がら佃煮

 小魚の唐揚げ

 ゴマ和え

 呉汁

 

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異世界おべんと 杏杜 楼凪(あんず るな) @Anzu_Runa

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