6品目:回顧の調味料


「私、もっと勉強しないといけないわね……」


 アキがごはん中にぼそっとそんな事を言うもんだから、朝からオレは母ちゃんに「リートにツメのアカをセンじて飲ませたいわ」といらないお小言をもらう羽目になった(ツメのアカは分かるけどセンじてって何だろう。戦?)。


「アキも算数やるのか? それともオトナだから古代竜語とか魔術学とか?」

「魔術学? それはそれで気になるけど……。私がしたいのは調味料の勉強ね」


 そう言いながらアキはケチャップをスプーンですくって、自分で焼いた卵の上に乗せた。もちろんオレも母ちゃんも同じようにケチャップをかけた。オレ、焼いた卵には塩しかかけた事無かったんだけど、アキが作るミルクたっぷりのオム・レツという料理は本当にケチャップがぴったりなんだ。卵がとろとろでぷるぷるでほんのり甘くって――おっと、話が逸れた。

 

 母ちゃんが一瞬考えてから口を開く。


「ワサヴィー・ヴォッツの食料店に行ってきたらどうだ? リートの買い出しと一緒にさ。あそこなら色んな物が置いてあるだろうしね」


 なんて最高なアイデアだ! と言いたい所だけど、あいにくオレの口の中はオム・レツでいっぱいだ。


「ワサビ?」


 アキの頭の上に「?」が浮かんでいる。母ちゃんはパンをちぎりながら説明した。

 

「ワサヴィー・ヴォッツの食料店、だ。リートが案内してくれるから安心して行くといいさ」

「らしいけど……いいかしら?」


 アキがオレにたずねた。

 もちろん、と飛び跳ねる代わりに、オレはほっぺたをいっぱいにふくらませながら勢い良くうなずいた。食べながら喋るのはお行儀悪いもんな。


 


 ワサヴィーの店は市場の奥の奥、普通のお客はあまり近寄らない場所にある。

 店には見た事も無い珍しい食べ物や調味料がたくさん並んでいて、オレが行くとワサヴィーはいつもおいしいおやつをこっそり作ってくれるんだ。

 そういえば、アキの国にはワサビという名前の調味料があるらしい。ワサヴィーは確かルータィ(あぁ、アルシュトルツのすぐ隣の国だ)で生まれたはずだからアキの国とは関係が無さそうなんだけど、すごい偶然だ。


 アキの身長よりも低い、オークの木でできた扉をコンココン、コンコンとリズムに乗ってたたく。店の奥でバタン、ドタン、と何かがぶつかり倒れたような音がした。


「ったく、どこを歩いても何かにぶつかりやがる! ふざけた店だ!」


 そう言いながら男が出てきた。ひとつ間違えれば入口に引っかかって前にも後ろにも進めなくなりそうな程大きい身長、つるつるの頭に真っ赤な火竜サラマンドとバラの模様のタトゥー。最初の印象だけはとっても怖い、この人間ヒューマノこそがワサヴィーだ。


「あー、お客さん、悪いが今日は臨時休業で――ん?」


 そう言いながら何とか入口から抜け出したワサヴィーがオレを見て翠の瞳をぱちくりさせる。


「なんだおい、リー坊じゃねぇか! よく来たな!」


 ワサヴィーは嬉しそうにニヤリと笑い、オレを持ち上げくるりと1回まわってみせる。

 オレを下ろしたワサヴィーは次にアキを見て、もう1度目をぱちくりさせた。


「……っと、そちらは?」

「アキ・コサン=ヒューマノです。【宵の火】で働いてます」

「あぁ、この前リー坊が言ってた異国の! ワサヴィー・ヴォッツ=ヒューマノだ。同族のよしみだ、仲良くしてくれよ、アキ」


 ワサヴィーがアキの手をぎゅっと握り、ぶんぶんと振る。アキが一瞬痛そうな顔をしたので、オレは慌ててワサヴィーの服の裾を引っ張った。


「実はアキ、今度オベントー屋さんを始めるんだ。スクールの子供達に昼ごはんを作って届けるお店なんだけどさ」

「ほう? そりゃまた珍しい店だな、面白ぇ!」


 とワサヴィーが手を放したので、オレはこっそり安心する。アキの手の骨の安全は守られたみたいだ。

 アキはやっぱりかなり痛かったのか、ワサヴィーに見えない位置で手を振っていた。それをちらりと見てから、オレはそのまま説明を続ける。

 

「でも遠くから来たからこの辺の食べ物に詳しくなくって……そしたら母ちゃんがワサヴィーの店に行ったらいい、って。ワサヴィーの店ならいっぱい勉強になるから、って言ってたぞ」

「おぉ、そりゃ光栄! キョウエツシゴク、ボウガイの喜びだ」

「やめてよワサヴィー、難しい言葉は分かんないぞ、オレ」


 ワサヴィーがガハハと豪快に笑う。隣でアキも笑ったので、オレだけがおバカみたいでちょっとだけ悔しい。仕方ないだろ、まだ子供なんだから!



 

 店の中は今日も知らない匂いでいっぱいだ。小さい鍋からゆらゆら上がる湯気、蓋が少し開いたビン、たぶんワサヴィーが今の今まで刻んでいたであろう木の実。リアくらい鼻が良ければもっとよく分かるんだろうけど、残念ながらオレにはこれが限界だ。

 店の中をキョロキョロと見渡してから、アキは深呼吸をするように大きく匂いを吸い込んだ。


「オミソの匂い……」


 と小声で呟きそわそわしている。視線はかまどの上の小鍋に向いているけど、普段のオレみたいに駆け寄ってのぞき込むような事はしない。オトナは自分の気持ちにあんまり素直になれないのよ、とリアが言っていた事を思い出す。

 ひと足遅れて来たワサヴィーが、そんなアキの視線に気付いてニヤリとしてみせた。


「おぉ、これに目をつけるとは良いセンスしてんな! それは我が母国ルータィの家庭料理だ。マイコニヤンが入った野菜たっぷりのスープだよ」

「味付けは何を使ってるの?」

「これはな……ちょっと待っとれよ……」


 ワサヴィーはごそごそと棚を漁り、いくつかの食べ物を取り出した。レンガみたいな色のペーストが入ったビン、小さな干からびた魚、そして濃い緑色のしわしわの葉っぱ。それを順番に指さしながら説明してくれる。


「この液体がマイコニヤンだ。ヤンをすりつぶして菌化茸マイコニッドの巣に置いとくとできる。ルータィの伝統的な調味料だ」

「マイコニッド?」

菌化茸マイコニッドは大きいキノコみたいな見た目した気の良い奴らだ。アイツらの胞子は食い物を腐らせちまうんだがな、ルータィのとある山に住んでる奴らの胞子だけは何故か食い物を美味くしてくれるんだよ。だからマイコニヤンはルータィでしか買えない」

「へぇ、コウジキンみたい……こっちは?」

「あぁ、それはターライっつう魚でな、そのままじゃ食えないが乾燥させてからこっちのメブっつう海の葉っぱと一緒に煮込むと信じられないほど美味い汁になる。この汁とマイコニヤンを合わせて野菜をいっぱい入れて作るのがルータィ流だ。飲んでみるか?」


 そう言うとワサヴィーは小さい皿2つにそのスープを入れてくれる。もちろんオレは味見させてもらえるのを期待していたからふたりにかくれて小さくガッツポーズした。

 

 スープは海の匂いとお腹の空く香ばしい匂いが混ざっているような感じ。菌化茸マイコニッドの巣とか言うからもっと酸っぱいような苦いような変な匂いを想像していたけど全然そんな事はない。イメージよりずっと優しい感じ。

 ぺろっとなめてみると少し塩っぱくて、でもなんだか安心するような味だ(味を説明するのってどうしてこんなに難しいんだろう?)。これがヤンからできてるなんて思えない。

 オレは嬉しくなってひと口でごくりと飲み込んだ。心の中までほんわか温かくなるような気がする、魔法みたいなスープだ。

 口のまわりについたスープをぺろりとなめ、ふとアキを見上げる。きらりとアキのほっぺたが光ったのが見えた。


 泣いてる?

 

 ワサヴィーもそれに気付いたようだ。どう声をかけていいか分からないようでアワアワしている。ワサヴィーがモテないのはそういう所だぞ、とオレはこっそり思う。


「アキ、大丈夫か? 悲しいのか?」


 オレがたずねると、アキははっとしたようにほっぺたをぬぐい、にこりと笑った。


「いえ、少しなつかしくて。私のふるさとにも似たような料理があるのよ。オミソシルって言ってね……。まさかアルシュトルツでこの味にまた出会えるなんて思ってもみなかったからビックリしちゃったのよ。心配してくれてありがとう、リート」


 どういたしまして、と答えるとアキはいつも通り元気に笑い、ワサヴィーに向き直った。

 

「ワサヴィーもありがとう、他にも調味料を教えてくれるかしら? お店をやるにはまだまだ足りないから!」

「おう、任せとけ! ウチの店はアルシュトルツで1番の品揃えだ、後悔も損もさせねえよ」


 ワサヴィーが親指を立てる。

 結局この日、オレとアキは転送箱ワープ・ボックスに大量の調味料と食料(と、ついでにシャルーマの店のお菓子)をたっぷり入れて帰った。帰るやいなや、倉庫を見た母ちゃんに呆れた顔をされたのは言うまでもない。




 次の日。オレは香ばしい匂いで目を覚ました。

 本当はスクールが休みだから2度寝するつもりだったんだけど、おいしそうな匂いのせいで腹の虫がぐうぐうと騒いで眠れそうにない。

 仕方なくオレは自分の部屋を飛び出して階段を駆け下りた。


「おはよう、ねぼすけ」


 カウンターに座る母ちゃんが振り返ってオレに笑いかける。母ちゃんの前には空になったお皿が何枚か。

 カウンターの向こう側、キッチンにはアキがいた。彼女はせっせと何かを丸めていたが、母ちゃんの声に顔を上げて、オレの顔を見て笑った。

 

「ふふ、口の端によだれの跡がついてるわよ」


 オレは恥ずかしくなって口のまわりを必死にこすった。こういう時、ドラゴンの短い腕は不便だ。早く擬態ができるようになればいいのに。

 母ちゃんの隣に座り、アキの手元をのぞきこんだ。キッチンには昨日ワサヴィーの店で買ったマイコニヤンとオコメが置いてある。


「何作ってるんだ?」

「オニギリよ。私の国の料理。今から作るのはベリィのおかわりとあなたの分ね」


 ――鬼切り……? なんて強そうな名前だろう!

 オレはワクワクしながら、アキがテキパキと調理を進めていくのを見守ることにした。

 

 マイコニヤンにシュガーとルータィ酒(これも昨日ワサヴィーの店で買ったものだ。母ちゃんが夜の内に飲み干してしまわなくてよかった)を混ぜ合わせる。もったりしていたマイコニヤンがとろりとしたペーストになり、つやつやと輝いた。

 次にアキは手に水をつけ、ほかほかのオコメをすくった。

 それを器用に手でぎゅっ、ぎゅっ、と丸め、ポンとお皿に乗せる。あっという間に角のない優しい三角形ができあがった。


「それ楽しそう! オレもやりたい!」

「あら、お手伝いしてくれるの? ありがとう、じゃあ一緒に作りましょうか」


 オレは手をきれいに洗ってから、アキのマネをして手に水をつけ、オコメをすくった。アツアツだけど水のおかげで手にくっつかない。

 3本の指でどうにか丸め、お皿にポンと置く。アキの作ったやつはきれいな三角形だけど、オレのはゆがんだ丸だし、おまけに寝ぐせみたいにオコメが飛び出している。


「難しいぞ、これ……。もう1個リベンジしていい?」

「もちろん! むしろ手の形が違うのにこんなに作れるなんて才能だわ。すごいね、リート」


 どこかくすぐったいような気持ちになって、オレはへへっと笑った。

 その後母ちゃんもやってみたいと言い出したので、みんなでオニギリを作ることにした。オレと母ちゃんのどちらが面白い形を作れるか競争したり、アキに三角形の作り方を教えてもらったりしていたら楽しくなってしまって、オレたちはずっと笑いながらオコメを丸め続けた。

 その結果、オニギリが30個もできあがってしまった。


「作りすぎちゃったわね……後でワサヴィーにおすそ分けしに行きましょうか」


 昨日のお礼にね、と笑うアキに、オレは両手を挙げて賛成する。


 アキはできあがったオニギリをフライパンに並べ、焼き始めた。

 少しするとパチッパチッと音が鳴り始める。くるりとひっくり返すとおいしそうな焼き目がついていた。

 反対側にも同じくらいの焼き目がついた頃、アキがさっき作っていたマイコニヤンのペーストを取り出し、オニギリの焼き目の上に塗り広げていく。

 それをまたひっくり返すと、ジュージューという音と香ばしい匂いが店中に広がった。おかげで忘れていたオレの腹の虫がまた大暴れし始める。


「あー、おなか空いたぞ!」

「あたしも」

「母ちゃんはさっきも食べただろ!」


 なんてオレたちがわいわいやっている間に、アキは反対側にもペーストを塗ってまたひっくり返し、きれいな焼き目をつけた。


「はい、お待たせ。ヤキミソ・オニギリよ」

「やった! いただきまーす!」


 ほかほかと湯気がのぼるオニギリに、ガマンできずにかぶりつく。アツアツだけど甘じょっぱくて、焼けたところがカリッとしてて、オコメはもちもちで……。

 3個目のオニギリを飲み込んだ所でやっとアキに顔を向けた。


「……これ、すっごくすっごくおいしいぞ!」

「ふふ、良かったわ。あと、こんな食べ方もあってね――」


 そう言いながら、アキはどこからかスープの入った小鍋を取り出した。昨日ワサヴィーの店でかいだ、海の匂いがする。

 アキは焼き立てのヤキミソ・オニギリを器に入れ、上からそのスープを注ぎ入れた。ぎゅっとにぎったオニギリがスプーンでほろりとくずれ、透き通っていたスープにマイコニヤンが溶け出す。


「ダシチャヅケにしてもおいしいのよ」

「「それも食べたい!!」」


 母ちゃんと同時に叫ぶ。あんなの見せられたら食べるしかないじゃないか!


 結局オレたちはおなかいっぱいで動けなくなるまでヤキミソ・オニギリとダシチャヅケを食べ続けた。

 後から聞いたら、おすそ分けを食べたワサヴィーもハマってしまって、あれからヤキミソ・オニギリは夕飯の定番メニューになったんだそうだ。


  【続く】



 〜今日の献立〜

 ワサヴィーのヤンラッチスープ


 ヤキミソ・オニギリ

 ダシチャヅケ

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