5品目:秘密のヤン

 暁子あきこが【宵の火】で働き始めて半月程が経ち、その中で少しずつ分かってきた事がある。

 

 店の主人であるベリィは火竜サラマンドでありながら人間ヒューマノに擬態し日常を送っている。【宵の火】に立ち寄る客のほとんどはベリィの作る料理と彼女の性格に惚れ込み、馴染みの客となっているようだった。

 

 ベリィの仔、リートはスクールに通いながら店を手伝う火竜サラマンドの男の子だ。未だ幼竜であるが、蜥蜴とかげのような4本の脚を器用に使いホールを駆け回る姿はいつ見ても感心してしまう。

 

 つまりは食材の名前すら覚束無い暁子に、

 そして元の世界に戻る手掛かりは、未だ1つも見つかっていない。




 リートが同級生を店に連れて来たのはそんなある日の事だった。

 スクールが終わると彼は市場に買い出しに寄り、時に甘い匂いをさせながら帰ってくる。

 

『どうせシャルーマのとこで買い食いでもしてるんだろうけど……いつも頑張ってくれてるし、隠してるつもりっぽいからさ、気付いてないフリしてやってくれないか?』とは、母親ベリィの言葉である。


 その日リートが連れて来たのは、翼の生えた少女だった。顔と上半身は人間の物だが腕の代わりに翼があり、その翼の先で器用に手提げ鞄を持っている。太腿から下は完全に猛禽類の脚であり黒い鉤爪がギラリと艷めく事を除けば、ふわふわとした若草色の髪と羽毛、木の幹のような深い焦げ茶色の瞳は森の精を思わせた。

 そこまで観察を続けてから、人間でない種族と出会う事に慣れ始めている自分に気付き、少し可笑しくなる。人間は案外柔軟な生き物なのかもしれない。


「わたし、エリアナ・ミウジェン=ハーピュイアです。リートの幼なじみです」

「は、初めまして。えっと、アキ・コサン=ヒューマノです」


 未だに此方の世界の自己紹介には慣れない。たどたどしく応える暁子に、リートはニコリと笑ってから彼女を指した。


「エリアナ――リアにアキのカレーの事を話したんだ。そしたら『わたしも食べれるようになるかなぁ?』って言うから連れて来た」


 リートが少しだけ誇張して声を真似ると、少女――リアは愛らしく頬を膨らませる。

 

「それはその……まさかリートがコルタリを食べれるようになるなんて思わないじゃない! わたしだって別に……そんなに好き嫌いが多いわけじゃないけど!」


 それを聞いたリートは悪戯っぽく片眉を上げた。


「へぇ? お肉は食べられるっけ?」

「匂いが強くてムリ」

「魚は?」

「それもムリ」

「貝」

「ムリ」

「ミルク」

「……ムリ」

「卵」

「もう、意地悪!」


 頬がどんどんと赤くなる様子が何とも可愛らしく、つい笑みが溢れた。そんな暁子の笑い声に、リアはぷりぷりと怒って見せる。


「もう、アキさんまで! 何笑ってるんですか!」

「ふふふ、ごめんなさいね、つい……じゃあ、貴女が好きな食べ物は?」

「マットラ!」


 マットラはトマトによく似た実だ。こちらの世界のケチャップの原材料でもあり、味も見た目もかなりトマトに近しい。違っている所と言えば、中の種が非常に大きく、1つしか入っていない事くらいだろうか。

 

「あとは木の実とか、果物とか……野菜も割と平気。とにかく、獣の匂いとか、強過ぎる匂いの物が苦手なんです」

「前にアキが作ってくれた野菜のカレーも、リアには食べられなかったんだよな」


 リートの確認に、リアは悲しげな様子で頷く。そして小さな声で「カレーは……美味しそうな匂いだとは思うんだけど……ごめんなさい」と呟いた。

 野菜カレーを作った時は動物性の食材は使わなかった筈だ、と暁子は記憶を遡った。確かココナッツミルクのような食材を見つけたので、野菜だけでコクのあるカレーは作れないかと試してみたのだ。となれば、カレー特有のスパイスの香りも彼女の苦手とする物なのだろう。


「でもわたし、早くお肉が食べられるようになりたいんです。だから、アキさんに助けてもらえないかなって……」


 そう言いながら、リアは思い詰めたような暗い表情を見せる。何か重大な理由でもあるのだろうか?

 

 ――いえ、詮索するのは無粋よね。

 

 これだけ幼い子が苦手を克服したいと思っているのであれば、応援する以外の選択肢があるだろうか?

 上目遣いで様子を伺うリートとリアに、暁子はニッコリと笑って胸を叩いた。

 

「給食のおばちゃんに任せときなさい!」




 とは言ってみたものの。


「何がいいかしらねぇ……」


 給食室に勤めていた20年間、野菜やきのこが苦手な子供の為に考えられた料理は幾つも作った覚えがあるが、肉嫌いの為の料理なんてあっただろうか? 肉嫌いに比べたら野菜嫌いやきのこ嫌い、魚嫌いの方がよっぽど多い。給食は全校の子供と大人の為の食事だから、どうしたって多数派に合わせた物になってしまうのだ。

 

 リアを一旦家に帰し……開店準備を手伝い……【宵の火】の営業を何とかこなす間も頭の片隅で思考し続ける。

 風呂の中でも考え続けた挙句、湯舟に貯めた湯が何度も冷え切り、その度にベリィの魔法で再度沸かして貰う有様である。

 

 そんな状態でベッドに入った所で、結局頭の中は献立の事でいっぱいだった。目を瞑ると瞼の裏に給食室の記憶が浮かび続ける。いくら切っても減らない玉葱……ぐらぐらと煮立つ大きな回転釜……ご飯粒のこびり付いた食器……温度計との睨めっこ…………

 そのまま暁子の意識は沈んで行くのだった。



 

「――こさん、暁子さん?」


 気付くと、暁子は。見慣れた台所、ダイニングテーブル、蛍光灯の明かり。そして目の前には、寝間着に着替えた夫のとおるが座っている。――いつもの夕食。いつもの日常だ。


「大丈夫? ボーッとして……疲れているのかい」

「え? あぁ、いえ、大丈夫。疲れてなんか無いわよ」

 

 未だ心配そうに此方を見つめる夫に、暁子は微笑みかけた。何だか長い夢を見ていたような気がする。それも酷く現実離れした、不思議な夢を。

「なら良いんだけど――」と、尚も心配そうな表情のまま暢は夕飯のスパゲティをフォークでくるくると巻き取った。


「これ子供達の人気メニューって言うけど、俺みたいな大人でも大好きな味だよね」


 そう言いながら暢は大きな口で頬張る。口の端に赤いソースが垂れ、彼ははにかみながらそれを指で拭き取った。

 あらあら、まるで子供みたいね、と笑いながら、暁子もフォークに絡めたスパゲティを口に運び――


 パッと目が覚めた。


 最近ようやく見慣れ始めた天井。聞き慣れた物とは何処か違う鳥のさえずり。ふわり、と漂う煙の薫りは……昨日ベリィがくしゃみした時に焦がした樽の匂い。

 懐かしい夢の名残が朝日に溶けて少しずつ薄れてゆく。縋り付くように再び閉じようとする瞼を諌めようと、暁子は頬を軽く叩いた。


「トオルさんがヒントをくれたのかしらねぇ、それなら一層頑張らなくっちゃいけないわ」

 

 暁子は1つ伸びをすると、ニコリと笑った。




 その日の夕方。暁子は早速リアの為の料理作りに取り掛かった。

 とはいえ、流石の暁子にも麺の作り方は分からないので、パスタの代わりにカシャ麦のパンを主食に据える。

 

 準備したのは玉葱そっくりなタンルという野菜に、人参のようなミケルァ、何種類かの木の実と、そしてリアが大好きだというマットラの実とケチャップ、ほんの少しのポークのミンチである。本来であれば大蒜にんにくやセロリ、干し椎茸なども入れたい所だが、香りや癖の強さを懸念して入れない事にした。

 そして主役になるのは――。


「ベリィ、何回も聞いてごめん。これ何て名前だっけ……」

「カッツェマ・ルータィ・ヤン」

「か、か、カッチェ……ルー……うぅん」


 何度聞いても覚えられない名前の、白く小さな実。つまりは暁子の世界で言う所の「大豆」のような食材である。

 ベリィ曰くアルシュトルツではあまりヤン――豆類の事だ――を食べる文化が無いようなのだが、他国から訪れる旅人達の為に【宵の火】には常備してある……らしい。


 その豆――暁子は名前を覚える事を諦めた――を柔らかく茹で上げ、微塵切りにする。野菜も木の実も同じように細かく刻み、タンルを炒め始める。

 すると隣からベリィが覗き込んで来た。カレーの時と同様、未知の料理に興味津々といった様子だ。


「アキの国だとヤンをよく食べるのか?」

「うーん、よく食べるなんてもんじゃないわねぇ」


 したり顔で朝食の定番――それはつまり納豆ご飯と、醤油をかけた卵焼きと、油揚げと豆腐が入った味噌汁の事だ――について簡潔に説明すると、ベリィの顔は少し引き攣った。


「もしかしてアキの国には充分な食べ物が無かったのか……?」

「やだ、そういう訳じゃないわよ!」


 などと話している内に、タンルが美味しそうな飴色になり始めた。べっこう飴を思わせる深い色味と甘さの交ざった香りが柔らかく食欲を唆る。

 刻んだ豆に野菜、ホールトマトの代わりに薄皮を剥いたマットラの実、ミンチと木の実も入れて炒めれば、じゅわぁと美味しそうな音が店に響いた。


「この音、たまらないよな」

「うんうん、幸せの音って感じよね」


 焦げ付かないよう少しだけ水を足し、調味料を入れたらマットラの実を崩しながらくつくつと煮込む。

 10分程煮込んだ頃、玄関から楽しげな声が響いた。


「ただいま!」

「お邪魔しまーす」


 勿論それはリートとリアの声だった。リアは恐らく1度家に帰って着替えて来たのだろう、空色の袖の無いワンピースのような服を羽織っている。

 リアはお腹の辺りについた大きなポケットから、翼の先を器用に使って瓶を2つ取り出した。橙色と薄黄色の中身が、宝石のようにキラキラと輝く。


「これ、ママからのお土産です。夜ごはんのお礼に持って行きなさいって」

「やった、レコンおばちゃんのジャムだ!」

「丁度良い。パンはいっぱいあるから、食後に皆でいただこうか」


 ベリィがカットしたパンを盛り付ける間に、暁子は最後の仕上げに取り掛かった。ほんの少しの砂糖と塩、そしてたっぷりの気持ちを込めて。


「さぁ、出来上がり! 秘密のミートソースよ」


 盛り付けた皿をテーブルに乗せると、全員が興味津々に覗き込む。


「マットラの……スープ? それとも煮込みか?」

「何だこれ、うまそう! いい匂いだ!」

「ミートソース……お肉が入っているの?」


 三者三様の反応に微笑みながら、暁子はパンにミートソースを少しだけ乗せ、そっとリアに差し出した。


「リアちゃん、匂いはどうかしら?」


 リアはおずおずと顔を近づけ、その小さな鼻をくんくんと鳴らした。


「マットラと……タンル? それと……木の実の匂いがする。わたしが大好きな匂いだ!」


 そう言うや否や、リアはパクリとそのパンを頬張った。

 暁子達がじっと見守る中、彼女はもぐ、もぐと口を動かし目を見開いた。次第に口角が上がり、瞳がキラキラと輝く。味の感想は聞くまでも無いようだった。


「アキさん、アキさん、これもっといっぱい乗せていい?」

「あぁっ、ずるいぞ、リア! オレも食べたい! おなかすいた!」

「リートはお昼にカレーを食べたからいいでしょ! わたしのために作ってもらったんだもん!」


 そんな2人の横で、ベリィもボソリと「あたしの分……」と呟く。


「いっぱい作ってあるから安心して。リアちゃん、これ実はお肉が入ってるんだけど……気にならない?」

「全然! すごい、わたしもお肉食べられるんだ!」


 嬉しそうにぱくぱくと食べ続けるリアに、暁子とベリィは顔を見合わせ、胸を撫で下ろした。




 結局、鍋一杯に作ったミートソースはあっという間に空になってしまい、暁子達はリアの母が作ったフルーツジャムに舌鼓を打ちながら談笑を交わす事とした。


「カーツ――あの、ヤンの量とお肉の量を少しずつ変えていけばもしかしたらお肉だけのミートソースが食べられるようになるかもしれないわね」


 暁子が微笑むと、リアは椅子の背もたれに身を預けパタパタと翼の先を揺らした。

 

「あぁ、いいなぁ、毎日アキさんのオベントーを食べられるリートがうらやましい……そしたら毎日食べる練習をするのに!」

「リアちゃんの分も作りましょうか?」


 朝はどうせ早く起きて暇してるから、と言葉を続けるが、しかしリアは首を横に振った。


「いいえ、大丈夫! だってリートのカレーも作っているんでしょう? お店で売る訳でもないのに朝から何種類も料理するなんて大変だもの――」


 お店で売る訳でもない――。

 その言葉にハッとして、暁子は思わず立ち上がった。ジャムを掬おうと身を乗り出していたリートがビクリと体を強ばらせる。


「それだわ!」

「えっ、えっ?」

「私、子供達の為のおべんと屋さんになる! お昼ご飯専用のお弁当屋さんになるのよ!

 ここの店の厨房を借りる事になっちゃうけど……その方が夜の営業よりも役に立てる気がするの。どうかしら?」


 と、ベリィの顔を見遣る。女主人は一瞬呆気にとられた表情をしてから、ニヤリと笑って力強く親指を立てた。


「最高だ! 上手く行けば、昼はオベントー屋、夜は酒場で売り上げも2倍、なんてな」

「任せて、オレ、スクールで宣伝してくるよ! カレーを食べたがってる友達もたくさんいるんだから!」

「わたしもわたしも! ミートソースだけじゃなくて他のアキさんの料理も食べたいもの!」

「あぁ……ありがとう皆!」


 こうして暁子は、この不思議な異世界でおべんと屋さんを営む事になったのだった。

 


  【続く】



 〜今日の献立〜

 カシャ麦のパン

 秘密のミートソース

 レコンさんのフルーツジャム

 

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