4品目:乙女の誤解

 それは滋月じげつの初め。太陽が少し早く月から逃げて、世界がちょっと肌寒くなる時期のこと。

 窓に映る自分の姿をチェックする。若草のような羽、同じ色のふわふわの髪、黒くつやつやの鉤爪……うん、カンペキ。

 そしてわたしはいつも通り【よい】の扉を3回叩き、大声を出した。


「リート! リート・コーヴィンス! ほらねぼすけさん、早く起きないと置いてっちゃうわよ!」


 店の中からドタンバタンと音がして、すぐに叫び声が返ってくる。

 

「だーかーらー、起きてるって! そんなんだからせっかちって言われるんだぞ、エリアナ・ミウジェン!」


 そんなやり取りの後、少しするとぺたぺたと火竜サラマンドの仔が玄関から出てくる。リートはこれ見よがしに鼻を鳴らすと、わたしに向かって顔をしかめてみせた。


「お前、実は鷲乙女ハーピュイアじゃなくてニワトリ女なんじゃないのか? 毎日毎日、朝から鳴いてばっかだ!」

「あら、あなたのその可愛らしい足じゃ遅刻しちゃうから起こしてあげてるのに。リートちゃんは飛べないもんね?」

「ちぇっ、生まれつき翼が生えてるからって……オレだって成竜になれば飛べるんだからな。それにリア、お前が歩くよりずっと速く走れるんだぞ!」


 もちろん本気で悪口を言っている訳じゃない。お決まりのやり取りってだけだ。わたしとリートは家が隣で小さいころから一緒に遊んでいる。仲が良いからこその軽口ってやつだ。

 口では「寝坊してないから!」と言いながらも、やっぱり慌てて出て来たのだろう。帽子とカバンが曲がっている事を伝えると、リートは後ろ脚で立ち上がって器用に直した。その時、ふわり、と知らない香りが漂う。

 ハーピュイアは鳥目な分、鼻がちょっとだけ利く。彼のカバンからコルタリとかマガッコとか、それ以外にも色々な物が混ざった、知らない食べ物の匂いがした。


「おやつでも持ってきたの? なんか……めずらしい匂いがする」

「鼻がいいな……これはおやつじゃなくて昼ごはんだぞ」

「えぇ?」


 ポカンとしている内にリートは歩き出してしまった。意気揚々と歩く彼に置いていかれないよう、小さく羽ばたいた。

 血を飲まなきゃいけない吸血種ヴァンプや、朝露しか受け付けない一部の妖精種フェアリィズとかなら分かるけど、竜種ドラゴンがスクールにごはんを持ってくるなんて聞いたことがない。


「お昼ごはんって……じゃあ木の実集めは?」

「今日は行かない」

「ねぇ、でもそれコルタリの匂いがするよ?」

「そりゃもちろん。たっぷり入ってるからな」

「えっ、それじゃリートが食べられないじゃない!」


 わたしがびっくりして声を上げると、リートはニヤリと笑った。


「へへ、それが食べられるんだよ」


 ――意地を張っているに違いない。だってリートがコルタリを食べられる訳が無いもの!

 最近のリートはすぐにかっこつける。少し前に誕生日を迎えてわたしより年上になったからって言うけど、大体意地を張っているだけだ。

 またからかってるんでしょ、と頬を膨らませるわたしに、リートは「まぁ昼を楽しみにしてろよな」と笑った。



         *


 

 昼休み。クラスメイトのほとんどが外に出かけてお昼ごはんをとりに行く時間。

 わたしもいつも通り、前の席のリートの背をつついた。それが木の実集めに行く合図……だったのだけど。


「今日は行かないぞ、なんてったってオレには『オベントー』があるから!」


 彼は得意げにカバンから箱を取り出し、わたしに向かってウインクしてみせた。

 箱のふたが開くとあの匂いがより強くなって漂ってきて、なぜかわたしのおなかがぐうと鳴る。興味が湧いて後ろから箱の中をのぞき込むと、茶色のどろっとしたスープの中に野菜や肉が転がっている。やはり見たことのない食べ物だ。

 強い匂いにつられて、クラスメイトたちがリートの周りを囲み始めた。

 

「うわリート、なんだそれ」

「『カレー』っていうんだ、異国の料理だよ。すっごく美味しいんだぞ!」

「料理か、これ? 何ていうか……すげぇ見た目してるな」

「でも……匂いはちょっと美味しそうかも」

「匂いだけじゃないぞ、味だって最高なんだから!」


 クラスメイト達とワイワイと盛り上がりながら、彼は得意気にその茶色い料理を大きな口でほおばった。



         *

 


 それから毎日のようにリートはカレーのオベントーを持ってきた。具が違ったり、オコメやパンを一緒に持ってきたりもしたけど、カレーであることに変わりはない。

 味見した子たちから「見た目は怖いけど信じられないほどおいしい」と噂が流れて、その話にどんどん尾ひれがついて、今やカレー・オベントーは幻の魔導書にレシピが書かれているとかこの世の食べ物ではないとかいう壮大な話になっている。

 まぁわたしは木の実で十分だけど。お肉は食べられないし。


「リア、あなたリートと家が隣でしょ?」

「カレー・オベントーの秘密を知らないの?」


 双頭犬オルトロスのカァラとサァラがわたしに聞いてきた。他のクラスメイトたちからも、もうかれこれ20回は同じ質問を受けている。

 けど、わたしだって何にも知らないのだ。リートの家は酒場だから、子どものわたしは入ってはいけないんだもの。ベリィおばさんが酔っぱらいに怒ってまた壁を焦がしたとか、パパが仕事の人たちをいっぱい連れて行ったとか、そんな話をママからたまに聞くだけ。

 わたしが首を振ると、カァラもサァラも一瞬残念そうな顔をした。でもそれも束の間、ふたりで(いや、双頭犬オルトロスだからひとりって言った方がいいのかもしれないけれど)勝手に盛り上がり始める。


「リートに魔術師メイジェのカノジョができたって噂もあるわよ」

「違う女が魅了薬みりょうやく入りのカレー・オベントーを作ってるって噂もあるわよ」

「あらあら、リアが待ってるのに」

「あらあら、リアがいるってのに」

「なんて罪な男かしら!」

「なんて悪い男かしら!」


 ……お喋り好きな彼女たちが3つ頭の冥番犬ケルベロスじゃなくて良かったと思う。ふたりが同時に喋っているだけでも結構聞き取るのが難しいのだ。

 

「やめてよ、わたしとリートはただのお隣さんなんだから!」

 

 否定しただけなのに、カァラもサァラもニヤニヤしながらこっちを見てくる。まぁ仕方ない、お年頃の女の子は何がなんでもそういう話にしたがるものだから。

 ……でも、おいしい木の実を見つけるのが得意なリートが来てくれないから、わたしは最近ハズレのやつばっかり食べているし。別にリートにカノジョがいてもいいけど、あいつだけ楽しそうなのは……何だかいやな感じだし。


 だからわたしはリートを尾行してみることにした。

 


        *



 夕方。いつもリートは食材の買い出しに市場に寄る。

 わたしは市場に何の用事も無いから、1度も一緒に帰ったことはないんだけど、今日はその後をついて行ってみる事にした。

 尾行がバレないよう、わたしは少し離れた位置からオトナのふりをして足で歩いてみた。アルシュトルツは小人ノーム巨人タイタンもいる街だから、小さい鷲乙女ハーピュイアでもスクールの帽子を隠してしまえばそれほど目立たない。

 

 夕方とはいえ、アルシュトルツで1番大きいこの市場に来ているお客さんは多い。けれど、リートを見失うほどではない。もしここにカノジョがいたらきっとすぐに分かるはずだ。

 リートは入口で転送箱ワープボックスを借りると、背後にふわふわと浮かばせながら歩いていく。少し離れたところから、リートを見失わないように……わたしは初めて市場に足を踏み入れた。

 

「お、リート! 今日はチキンが安いぞ!」

「おじちゃんありがとう! あと骨とポークのミンチも買いたいぞ」

「あらリートちゃん、フィッシュ買ってかない?」

「買う買う! 今日はどれがオススメ? 白身のやつがいいなぁ」

「リー坊、今晩店に行くからベリィちゃんに宜しく頼むよ!」

「オーケー、でも今日はあんまり飲みすぎるなよ!」


 市場に入るやいなや、色々な店から声がかかる。リートはスクールでも誰とでも仲が良くてクラスの人気者って感じだけど、市場でもこんなにオトナと仲良しなのは彼のすごい所かもしれない。……と、ちょっとだけ思った。本当にちょっとだけ。

 野菜に魚にお肉……リートはたくさんの食材を買っては転送箱ワープボックスに入れていく。きっと転送先が【宵の火】の台所になっているのだろう。

 

 と、リートが急に立ち止まり後ろを振り返った。

 ――バレちゃう!

 あわてて道端の小さな看板の後ろに隠れる。翼を畳んだ状態で歩いていて良かった。広げた状態じゃ上手く隠れられなかったから。

 看板と壁の小さなすき間からそっとのぞく。それぞれに歩き回るお客さんたちの足の間から、リートの姿が見えた。彼は後ろ脚で立ち上がってキョロキョロしたり目の前のお店をのぞき込んだりしている。

 何回か繰り返した後、そのまま彼はお店の中に入っていった。それもコソコソと、周りを気にしながら。

 ――怪しい。とっても怪しい。

 

 彼が入っていったお店の前に立ち、そっと中をのぞき込む。

 店には天井に届くくらい高い棚がたくさん置いてあった。その棚には、透明な箱やびんに入った色とりどりのお菓子が並んでいる。扉が閉まっているのにふわふわと漂ってくる甘い香りに、思わず唾を飲み込んだ。

 お店の中にはリートと、もうひとり。背の高い女の人が立っていた。ふたりとも棚のお菓子を見ていてこちらには気付いていないようだ。

 女の人はとんがり帽子に真っ黒いローブを羽織っていた。帽子のふちには、お店に並んだお菓子と同じくらいカラフルなかわいい飾りがついている。

 

 (リートに魔術師メイジェのカノジョが――)


 カァラとサァラの話を思い出す。とても背が高くてオトナっぽく見えるけれど、もしかしてあの女の人が?

 わたしはドキドキしながらふたりの会話に耳をすませた。いくら鷲乙女ハーピュイアの耳でも、扉越しでは所々しか聞き取れない。


「――ほんと悪い子ね――ママに隠れてこっそり――なんて」

「――仕方ないだろ――好きなんだから」


 ふたりは顔を寄せ合ってくすくすと笑った。

 あんなオトナとリートが付き合ってるなんて……きっとリートがだまされているに違いない。目を覚ましてあげなくちゃ!

 いてもたってもいられず、わたしは店に乗り込んだ。


「そこまでよ!!」

「リア!?」

「あら、お友達? いらっしゃい」


 慌てるリート。それとは対照的に女の人は余裕そうな表情でクスリと笑う。

 

「お、お前、なんでこんな所に――」

「リート、絶対だまされてるわ! こんなオトナな女の人がリートのカノジョな訳ないじゃない!」

「か、カノジョ?」

「きっと悪い魔女だわ! あなたなんてどうせ薬の材料のトカゲくらいにしか思われてないんだから! 早く目を覚まして!」

「待て、待てって! さっきから何を言ってるんだ?」


 眉をひそめるリートと、顔を背けてぷるぷる震える魔女。


「何をって……この人、リートのカノジョなんでしょ? カレー・オベントーを毎日作ってる人……」

「違うよ!」


 リートは頭を振った。意味が分からずポカンとしていると、魔女が笑いをかみ殺しながら口を開く。

 

「あら、もうネタバラシしちゃうの? せっかく面白かったのに……」

「面白がるなよ! まったくもう……この人は母ちゃんの友達でこの店のオーナーだぞ。カノジョじゃない!」

「ふふ、シャルーマ・ジャンピエッタ=メイジェよ。よろしくね、リートのガールフレンドちゃん」

「「ガールフレンドじゃない!」」

「あらあら、仲が良いこと」


 シャルーマと名乗ったその女の人は、猫のような瞳を細めて笑った。わたしたちの反応を見て楽しんでいるのが分かって、わたしは少し顔をしかめた。


「あら、子供にそんな顔させちゃったらお菓子屋さんの名折れだわ……」


 そう言うと彼女はいくつかの瓶を棚から下ろしてわたしの目の前に置いた。ピンクに水色、黄色……かわいい見た目と甘い香りにワクワクしてしまう。


「あなたの好きなお菓子があればいいんだけれど。えっと……」

「あ、エリアナ・ミウジェン=ハーピュイアです」


 お菓子に見とれながら返事をする。

 

「エリアナね。好きな食べ物は?」

「甘い木の実としょっぱい木の実が好きです。イリルとか……」

「イリルね……マガッコは好き?」

「好き! あ、でもミルクが入ってるお菓子は嫌い」


 わたしの好きなものを探りながらシャルーマが指を鳴らす。その度に、棚から色々なお菓子の箱が降りてくる。なんて夢のようなお店だろう!

 まもなく、両手で抱えるほどの紙袋がお菓子でいっぱいになった。袋を差し出しながらシャルーマが笑う。


「ママにも市場のみんなにも内緒でこっそり買いに来ちゃうほどおいしい、魅惑のシャルーマ・スイートよ」

「リア、頼むから母ちゃんにはヒミツにしといてくれよ? お小遣いを全部お菓子に使ってるなんてバレたら殺されちゃう!」


 リートがこそこそしていたのはカノジョがいたからじゃなかったのか……

 わたしはホッと胸をなで下ろし、真っ赤なお菓子を口に放り込んだ。少し懐かしいような甘酸っぱい味がした。



 【続く】

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