箸休め② ふたりのクリスマス

 12月24日、土曜日。暁子あきこは少し遅めの朝ごはんを作り始めた。

 今日の献立は玄米ご飯と蕪の味噌汁、鰤の幽庵焼きに小松菜とじゃこのお浸し。冬至に買った柚子が幾つか余っていたので、幽庵焼きの漬け地とお浸しに添える飾り切りに。夫の実家から届いた蕪は優しい甘みが際立つよう油揚げだけを入れたシンプルなお味噌汁に。

 丁度朝ごはんが完成するタイミングで寝ぼけ眼を擦りながら夫、早河はやかわとおるが台所へとやって来た。彼の白髪交じりの芸術的な寝癖を笑いながら朝ごはんを盛り付けていると、暢はぼんやりした表情のまま食卓に腰掛けた。


「昨日は少し飲み過ぎたよ……体育主任といい若手といい、うちの教員は酒豪ばかりだ」

「まぁ修了式だったものね、たまにはいいんじゃないの?」


 6年生の担任であり主幹教諭でもある暢にとって、今年は特に怒涛の2学期だったようだ。運動会に学芸会、社会科見学に研究授業、卒業アルバムの作成――更に、特にここ数週間は通知表の作成に追われ、日付が変わる前に帰ってくる事の方が稀だった。

 そんな激務も修了式で一旦の区切りを迎え、昨晩遅くに千鳥足で帰って来た暢の表情は明るく、暁子は内心安堵したのである。


「でも今日も出勤するんでしょう?」

「あんなぐちゃぐちゃの机では年を越せないからね。出勤日じゃないからのんびり行って片付けて、仕事納めしてしまおうかな」


 そう言いながらどうせ年末のギリギリまで働くつもりなのだろう、と思ったが口には出さず、暁子は茶碗に盛ったごはんを差し出した。


「ありがとう。暁子さんの朝ごはんをゆっくり食べられるだけで幸せだなぁ俺は」


 いただきます、と手を合わせ笑顔で朝食を頬張る暢を見て、暁子も微笑みながら手を合わせた。



        *

 

「さてと、作りますか!」


 少し気合を入れて炬燵こたつから這い出る。

 折角のクリスマスイヴ、しかも休日ときたら腕によりを掛けて豪華なディナーを作るしかないでしょう!

 冷蔵庫から取り出した骨付きの鶏もも肉の余分な皮と筋を切り取る。骨に沿って切り込みを入れて食べやすくしたら塩を揉み込む。冷えた肉で少し指がかじかむのは給食室で慣れているとはいえ、冬場の台所のお約束である。

 摺り下ろした大蒜にんにくと生姜、酒に醤油、少しの味醂と蜂蜜を混ぜ、鶏肉を漬け冷蔵庫にしまう。数時間後にはしっかりと下味が付いている事だろう。


「クリスマスって言ったらケーキは必要よね」

 

 ケーキは暢の好きなガトーショコラにしようと決めていた。

 細かく刻んだ板チョコレートに温めた生クリームを注ぎ、ゆっくりとかき混ぜて溶かす。寒さ故か溶け切らなかった分は湯煎で溶かす。とろりと甘い香りが台所に広がる。甘い物をそれ程食べない暁子もチョコレートの香りで幸せな気分になれるのだから不思議なものだ。

 溶き卵を少しずつ混ぜ合わせると艶々とした生地になる。そこに少しの薄力粉を振るい入れさっくりと混ぜ型に流し入れると、オーブンに入れた。暫くすると甘い香りに芳ばしさが交じり始める。

 少し前の流行り歌を口ずさみながら次の準備をしようと野菜室を覗くと――


「あぁ、南瓜かぼちゃが余ってるんだったわ」


 予定変更。クリームシチューじゃなくてポタージュにしましょうか。

 南瓜に玉葱、バターを炒め合わせてコンソメスープで煮込む。ホクホクと柔らかくなったらミキサーにかけ、牛乳に生クリーム。塩胡椒で味を調えるとほっこり暖まるポタージュが出来上がった。最後に乾燥パセリでも散らそうか。

 と、不意に携帯が着信音を鳴らした。待ち受け画面には暢の名前が表示されている。


「もしもし、暁子さん? 帰りは7時くらいになりそうなんだけど……何か必要な物はある?」

「大丈夫よ、ありがとう。気を付けて帰って来てくださいな」

「はい。じゃあまた後でね」


 電話を切って時計を見るとまだ4時過ぎ。だいぶ時間に余裕はある。焼き上がったガトーショコラを取り出し、暁子は蜜柑を片手に炬燵にまた潜り込んだ。


         *


 パッ、と目が覚めた。頭の下敷きになっていた腕がじんわりと痺れている。ゆっくりと2、3度瞬きをする。もう1度閉じようとする瞼に抗い時計を見ると、時刻は6時をゆうに回っていた。


「あらやだ、急がなきゃ!」


 下味を付けた鶏肉を鉄板に並べ、オリーブオイルをまぶす。焦げない事を祈りながらオーブンに入れる。

 その間に付け合わせと前菜の準備をしなければならない。

 半分に切ったプチトマトと小さく角切りにしたモッツァレラチーズをオリーブオイルと塩、黒胡椒で和える。

 付け合わせ用の人参とブロッコリーは食べやすく切り分け、塩ゆでしておく。粉チーズとオリーブオイルのドレッシングも勿論暁子の手作りである。

 ポタージュを温め直しながらバゲットを切っていると、玄関の鍵が開く音がした。


「ただいまー」

「お帰りなさーい!」


 暢が手洗い場を経由してリビングに向かってくる足音がした。ガサガサと袋の音もするのでお酒か何か買ってきたのだろう。暁子から姿は見えないが、恐らく食卓に腰掛けたのだろう気配を感じた。

 焼き上がったチキンに付け合わせの温野菜サラダを盛り付け、ポタージュには乾燥パセリを散らす。カプレーゼにはバジルを千切って和え、ガトーショコラには泡立てた生クリームを添えた。


「トオルさん、運ぶの手伝って!」

「はいよー」


 と、近付いてくる暢が後ろ手に何かを隠し持っている事に気が付く。暁子の視線が自分の手元に向いている事に気付いたのか、彼はにこりと笑った。


「何隠してるの?」

「これはね……」


 暢がパッと手を前に出した。その手には……


「いつもありがとう。そして誕生日おめでとう、暁子さん。」


 少し不恰好にリボンを巻かれた細長い木箱と小さな持ち手付きの箱。リボンを巻かれたその木箱には見覚えがあった。少し前に買うか悩んで結局辞めてしまった包丁だ。


「えぇ、急にそんな、びっくりした……私何にも用意してないわよ!」

「良いんだよ、これは誕生日プレゼントだから。で、こっちがクリスマスプレゼント」


 暢は2つの箱をそっと置くと、上着のポケットからまた別の小さな箱を取り出した。


「ふふ、ちょっとキザすぎるかな」


 照れ臭そうに微笑みながら暁子の手を取り、小さな箱から取り出したそれをそっと指に嵌める。


「メリークリスマス。これからも宜しくね」


 控え目なダイヤモンドの付いた細身のシルバーリング。プラチナの結婚指輪と対になるようなシンプルなデザインが、光を受けてキラリと輝いた。

 驚いて上手く言葉を紡げないのに、何故か涙だけは素直に溢れ出てくる。


「やだもう……びっくりしたのよ本当に……」

「あはは、ごめんごめん、たまにはこういうのも良いかなって――あっ」


 不意に暢が固まった。不思議に思い顔を見上げると、彼の視線は1点に注がれている。


「……どうかした?」

「ケーキ……」


 ガトーショコラの事だろうか。

 発言の意図が汲み取れず首を傾げた暁子に、暢はポリポリと頭を掻きながら眉尻を下げ、最初に置いた持ち手付きの箱を開いた。


「ケーキ、俺も買ってきちゃったんだ……暁子さんが好きだったと思って、チーズケーキ……」


 最後の最後で決まらないなぁ……と肩を落とす暢が可笑しくて、暁子は涙を拭いながら笑った。


【続く】

 


〜今日の献立〜

 プチトマトのカプレーゼ

 南瓜のポタージュ

 バゲット

 骨付きローストチキン

 付け合わせ:ブロッコリーと人参の温野菜サラダ

 ガトーショコラ

 チーズケーキ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る