彼女はツインテールに縛られている

りつりん

彼女はツインテールに縛られている

「忘れてたーーーーーっ!」

 俺の隣を歩く彼女が叫んだ。

 それはもうどこまでも唐突に。

 あまりにも唐突な叫びに彼女のシンボルであるツインテールも大層驚いたようで、毛先をびょこんと跳ねさせる。

「いや、どしたよ?」

 俺は冷静な返しをしつつも尻もちをついている。

 ちなみに昨日しこたま降った雨のせいで、アスファルトの上は日差しによる蒸発に負けまいとする水たまりが群雄割拠。

 俺の尻は見事に濡れてしまった。

 まあそんなことは些細なことで、普段とても大人しく深窓の令嬢然としている彼女が叫んだのだからそっちの方が一大事だろう。

「忘れてたの! 私、忘れてたの!」

 未だアスファルトとの接触から脱出できていない俺の肩をぐらんぐらんと揺らしてくる彼女。

「いや、だから何を?」

「あなたが今日死ぬってことを!」

「は?」

 どうやら俺の彼女は急に懐かしの電波系になってしまったようだ。

 夏のイケない日差しがそうさせたのだろうか。

 まったく、イケない太陽だ。

 でも大丈夫。

 俺は彼女のどんな側面でも愛してきたし、これからどんな彼女になったとしても愛し続ける自信と自負がある。

「落ち着け。瑠々が何を言っているのかはよくわからないけど、俺は死なないしこれからもずっと一緒だよ」

 図らずともプロポーズになってしまった。

 まあでも問題はない。

 瑠々とはこれからも一緒にいるのだから。

「違うの! 私はあなたを助けるために十年後の未来からタイムリープしてきたの! それなのにそのこと忘れて今日になっちゃったの!」

 この世の終わりだ、いや、俺の終わりだと言わんばかりにさらに瑠々は俺の肩をがくがくと揺らす。

 もしかしてこの揺れで脳挫傷起こして死ぬんじゃない? 

 そう思ってしまうくらいの勢いだ。

「ままままっまままままっまま、待って。瑠々。でも今日死ぬってことは突発的な事故とかに巻き込まれるってことだろ? それならまだ全然大丈夫じゃないの?」

 彼女の言っていることが嘘か真かは置いておいて、こんなに必死になっている瑠々を無下にあしらうのは瑠々愛に欠けると判断し話を繋げることにした。

「違うの! そんな突発的な事故で死ぬんじゃなくて、気づきにくい病気が進行して今日死んじゃうの! いや、先に気づいてても助かるかわからないほどの難病、えげつないほどの難病だったけど、私が助けるつもりでタイムリープしてきたの」

 いや、見込み!

 助かる見込みゼロ!

 いくら妄想とは言え、突然の余命宣告にさすがの俺も動揺する。

「で、でも、まあ、それは瑠々のも……かはっ!」

 突然の吐血。

 痛みが全身を駆け抜ける。

 え?

 ほんとに死ぬの?

 視界は霞だし、傍で叫んでいるはずの瑠々の声が遠くに聞こえる。

 ああ、後ろに倒れてしまったようだ。

 後頭部をごちんと打つ感触が微かに伝わる。

 そしてその衝撃に引っ張られるように俺の意識はどこかへと飛んで行ってしまった。

 


「はっ!」

 俺は目を覚ました。

 もしかして助かったのだろうか。

「ん?」

 しかし違和感がある。

 なんかこう、体が動かしづらい。

 というか、感覚が変だ。

 頭からつま先までがまるで一体となってしまっているかのような感覚。

「ごめん! 春希! もうこれしか方法がなかったの!」

 瑠々の声が聞こえる。

 やはり生きてはいるようだ。

 よかった。

「ほんとに、ごめんね……。何とかするから……」

 言って、瑠々は姿見の前に立つ。

「んん?」

 俺には姿見に映る最愛の彼女の姿が見える。

 真正面から映る瑠々。

 真正面から見えているということは俺の姿も映るはず。

 なのに、瑠々しかいない。

 なぜ?

「春希は今、私のツインテールになっているの」

「え?」

「だから、私のツインテールになってもらってるの」

「ほえええええええええい!」

 俺の叫びに合わせて揺れるツインテール。

 その揺れが俺の感覚とリンクする。

 鏡越しではなく、リアル瑠々に視線を向ける。

 端正な顔立ちが間近に存在している。

 うん、美しいな。

「ちなみに片方に入りきらなかったから、二つに魂分けて入れてる。慣れないかもしれないけど慣れて」

 言われてみれば俺の視界はどうにも変だ。

 ゆらゆらと揺れるツインテールに合わせて二つの視界がズレて動く。

「やばっ。吐きそう」

 ツインテールである俺には臓器などはないはず。

 なのに吐きそうになるとは。

「そ……それにしても、どうやって俺は瑠々のツインテールに?」

「ツインテールを縛っているヘアゴムが私と春希の命を繋いでいるの。未来で私が開発した、みたい。万が一の時に備えて、おそらく。体は駄目になっても魂だけは助けることのできるアイテムを、たぶん?」

「みたい? おそらく? たぶん?」

「ごめん。記憶のすべてを思い出せたわけじゃないみたい。春希を助けるためにタイムリープしたこと、そしてこのアイテムの効果と使用方法は思い出せたんだけどそれ以外は全く……」

「そっか……」

 瑠々は頭脳明晰だった。

 それこそ世界の有名大学に飛び級で、という話がいくつも来るほどに。

 しかし瑠々はその全てを断っていた。

 俺と一緒にいたいからという理由で。

 俺は俺の存在が瑠々と彼女の未来を縛っているような気がして何度も説得を試みた。

 だけど、その度に瑠々は春の日差しのような柔らかな笑顔で俺を見つめてきた。

「私は春希との時間を大事にしたいの。勉強や研究はどこでもできるけど春希との幸せは春希といないと手にできない。だから一緒にいよう。いたいの」

 俺は瑠々を愛している。

 瑠々も俺を愛している。

 だからこそ、俺と瑠々は互いをとても柔らかな優しさと愛で縛りあってきた。

 その縛りが物理的なモノに変わるとは思いもしなかったけれども。

 確かに彼女のツインテールは好きだったし、生まれ変わるなら君のツインテールになりたいなんて気持ち悪い発言をしたこともあるくらいに彼女はツインテールが似合っていた。

 そんな俺の意思を組んで彼女がずっとツインテールでいてくれていることにも感謝している。

 しかしまさか俺がそのツインテールになってしまうとは。

 人生わからないものだ。

「これから私と春希は気持ちだけじゃなくて体もまさに一心同体。大変だとは思うけど二人で乗り越えていこう?」

「俺はどんな形であれ助かって瑠々と一緒にいられることは嬉しいけど、でも、瑠々はいいの?」

「もちろん。むしろ春希と合法的にずっと一緒にいれるわけだし、得した気分。大丈夫。必ず私が元に戻してあげるから」

 瑠々は早くも決意を固めたようで、その瞳は前を見据えていた。

 そんな彼女のポジティブなところも大好きだ。

 俺も覚悟を決める。

「瑠々がそう言うのなら俺も腹を決めるよ」

「うん!」

 その日から俺と瑠々の一心同体生活が始まった。

 慣れない体に戸惑いはしたものの、愛する瑠々の傍にい続けることができるという事実は何物にも代えがたい幸福だった。

 そして何よりも、俺を救いたいと願う彼女の努力を間近で見続けた俺は彼女への愛をさらに深めていった。

 俺も彼女のことをサポートすべく、縛られた状態ながらも器用に家事炊事その他もろもろをこなしていった。

 ちなみに俺らの両親も最初戸惑ってはいたが、相思相愛の二人がそれでいいのならということで納得してくれた。

 なんとも寛大な両親だと感謝感激した。

 

 

「瑠々ー。晩御飯できたよー」

「はーい。そこに置いといて」

 俺と瑠々がツインテールを通して互いを縛りあってから気が付けば十年という月日が流れていた。

 もはやツインテールであることが当たり前になった俺。

 瑠々の傍にいることが心理的にも物理的にも当たり前になった俺。

 十年、瑠々が髪を延ばし続けてくれたおかげで俺の行動範囲は広がり、彼女がラボにいながら俺がご飯を作るなんてこともできるようになった。

 どうやら、俺という命が宿っているぶん髪の伸びが著しいようだ。

 あまりにも伸びてきたため切ってはどうかと話し合いはしたが、切ることで何かしらの不具合が生じてしまっては、ということでなかなか決断できなかった。

 ただそのことが幸いして、俺は瑠々をさらに献身的にサポートすることができている。

 しかし、と俺はラボの前に置いた晩御飯を見つめながらこれまでのことを振り返る。

 俺は瑠々のツインテールなのでそもそもそれほど自由はない。

 それは最初に覚悟したし、命があるだけましだと常々思ってきた。

 しかし、俺が瑠々のツインテールであるがゆえに彼女の行動も大きく制限されてしまっている。

 ツインテールを解除すると俺の命も消えてしまうらしく、瑠々はこの十年、まともに髪を洗えないでいる。

 さらに二十五歳という年齢からツインテールという髪型に違和感が出始めてしまっている。

 そして何より、俺を元に戻すための研究を続ける彼女は自身の人生の可能性を大きく制限してきた。

 映画好きな彼女のことだ、見たい映画もあっただろう。

 桜が好きな彼女のことだ、満開の時期には桜並木を歩きたかっただろう。

 食べ歩きが好きな彼女のことだ、新しい店を見つけて新鮮な味でお腹を満たしたかっただろう。

 それなのに、それらを全て捨てて彼女は昼夜問わず研究を続けた。

 続けてくれた。

 特にここ二年はまともに外出すらしなくなり、何かしらの研究に没頭していた。

 スタートからの八年間は俺の魂を人間の器に入れるべく様々な大学や研究機関を渡り歩きながら研究を続けてきた瑠々。

 しかし、一度死した者が生き返るということはセカイや何かしらの神の意思に反するのか、何度やっても成功しなかった。

 もちろん、瑠々は諦めなかった。

 何度も何度も何度も実験と失敗を繰り返し、それでもいつも笑顔だった。

「大丈夫。私が何とかするから」

 失敗するたびにそう言って実験へと戻っていった。

 しかし二年前、プツンと糸が切れたように瑠々はその当時所属していた研究機関を辞め、日本へと帰り、自宅にラボを建造した。

 そこからそのラボに閉じこもるようになった。

「考え方を変えることにする」

 その一言だけを残して……。

「どうしたものか……」

 扉の前から動かない俺の耳にかちゃり、と音が届いた。

 これまでのことを思い返していた俺をまるで迎え入れるようにラボの扉が開いたのだ。

 扉の先にいたのは瑠々。

 久しぶりに見た彼女はやせ細り、目の下の隈が酷いことなっていた。

「瑠々、大丈……」

「春希、できたよ」

「え?」

「タイムリープするためのアイテム」

 瑠々が作っていたのは、過去へと戻るためのアイテムだった。

「これで過去に行って過去を変えよう。そうしたらきっと未来も変わるはず」 

 彼女は笑った。

 これまでと変わらない優しさを溶け込ませながら。

 その笑顔を見て俺の心は大きく軋み、耐え難い痛みを発する。

 瑠々は俺を助けるために貴重な十年を無駄にした。

 なのにまた、また俺のために全てを捨てようとしている。

 俺がどこかでやめようと言えばよかったんだ。

 俺はツインテールでいる決意したものの、ツインテールでい続ける決心をすることができなかった。

 どこかでいつか瑠々が実験を成功させて元に、元の二人に戻れるんだろうと思い込み続けてきた。

 いや、それほどに瑠々を信じていた。

 それがどれほど残酷なことかも知らずに。

 今になってようやく俺は理解する。

 自身の決断の残酷さを。

 もっと早くに俺が人間として生きていくことを諦めていれば彼女の人生は無駄にはならなかったはず。

「さ、行こう。過去を変えに」

 瑠々は俺に背を向ける。

 その背中には悲痛な決意がにじみ出ていた。

 これ以上は駄目だ……。

 俺は、タイムリープし十年前の瑠々の体に入る寸前、瑠々の記憶を消した。

 瑠々は研究に没頭していたため気づいていなかったが、この二年ほどの間に俺と瑠々の魂はその繋がりを深め、相互に干渉できるようになっていた。

 だからこそ、彼女に気づかれずに彼女の記憶を消し、俺の魂を彼女から切り離すことができた。

 記憶のない状態で、俺の魂が引っ付いていない状態で昔の体に入れば、彼女は十年前の彼女として生きていくことができる。

 過去の俺は病気で死ぬけれど、俺に縛られることなく生きていくことができる。

 この十年間を取り戻すことができる。

 きっと彼女の魂と深く繋がれたのはこの時のため。

 俺はそう思った。

 思えた。

 そして、俺は願う。

 彼女がツインテールを縛らずに、ツインテールに縛られずに生きていけますようにと。

 消えゆく意識の中で、俺は願った。

 愛する瑠々を想いながら、ただ、彼女の幸せを願った。

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