そばにいて


 この街を、セイルーを。

 離れられない理由なら幾らでも並べられる。


 養蜂をしているから、蝋人形を作る材料になる蜜蝋が手に入る事。

 手に入る鉢の巣から取れる残り滓のような蜂蜜を使って作る蜂蜜酒を売って生活費を稼げる事。

 必要以上に詮索してくる人物がいないから生き易い事。


 心が死にそうだった私を助けてくれたのは、この街だ。

 四人の居なくなった時間に置いて行かれそうな私を、皆そっとしておいてくれる。人の営みとして最低限の交流で、傷だらけだった心を癒してくれた。

 どうして、と泣き叫ぶ私を見て見ぬ振りをしてくれた。それは確かに優しさだった。


 でも。

 時間が経って、あの頃の記憶を優しく思い出せるようになってからは。


 気を遣われる優しさの中で、私は緩やかに死んでいくだけだった。



 

「お断りします」


 意を決して告げた私の想いは、テオノードさんに一蹴されることになる。不平不満を呑み込むために沈黙を保つので精一杯だ。


「……」

「四人の完成、あとどのくらい掛かりますか」

「………表情と……今は見えない、服の、下と。服だって……本当は、四人が着ていたものに、近付けたい。ただ立ってるだけじゃなくて、体勢も……。髪の毛だって、街の理容師さんから買い取ったものだけど、色も長さももっと近付けたくて」

「何年掛かるんでしょうね」


 彼の言葉に遠慮が無い。

 ずけずけと指摘される所は、死ぬまでの暇潰しと思って長期的にやろうと思っていた所だ。なのに、急かされるような言われ方をされてはこちらだって腹が立つ。

 テオノードさんはお構いなしで、四人の姿を順番に見て行きながら、シエラの頬に手を伸ばした。


「貴女の手によって作られ、貴女の側にしかいられないなんて、四人も可哀相だと思いませんか」

「……どういう意味です」

「世界は、少なくともこの国は四人を讃える。もしそう遠くない未来で、讃える数が減ったとて、世界を救ってくれた感謝の念が完全に絶える事はないんです。今は四人の事が遠い過去ではないから、神と同等のように崇める人だって出て来るでしょう」

「だから?」

「王都に、戻ってきてください。……この四人と」


 その言葉は、もう予想できていた。


「材料が必要なら、僕の家の旅団を使って輸送すればいい。そうすれば入手先はセイルーだけでなくなり、他に養蜂をしている場所の伝手を使えます。王都に居さえすれば、一人で人形を作る事も無い。貴女を支えるための働き手は僕が集めましょう」

「……なんで、そんな事を?」


 言葉の上辺だけ聞けば、私の境遇に余りある温情だ。しかし、その温もりを分けてもらう理由が分からなかった。

 最後の最期まで一人でいいと、そう決めた心が揺らぐ。裏の意味があるかも知れないのに、彼の差し出す温もりは凍った心を解かしそうになる。

 騙されてはいけない。

 私は、一番信頼していた人達から騙された。


「私の為に、そこまでする必要が無い。私が王都に戻れば子爵の地位はありましょうが、伯爵の貴方の方が上です。私を利用するにしても旨味は無い」

「……貴女の、イブシュ様の手の内は、これで全てでしょうか?」


 頷いた。

 彼は、私が縦に首を動かすのを見てからやっとシエラの頬から手を退ける。


「では、僕も全てお伝えします」


 言いながら笑った彼の顔は、疲れているようにも見えた。


「もう、僕、しか、いないんです」


 その顔は、とても辛そうで。


「王都では僕しかいない。四人の事を、姉上や――シエラの事を、恋しがって話すのは。自分達が死地に送り出した四人の話を、今では誰も彼も疎ましそうに聞くばかりです」

「――どうして」

「過去にばかり囚われる訳にいかない、と。今は復興作業の途中で、今と未来だけを見ていなければならないと。過去を振り返るのは、まだ先でいいと。復興があと何年続くかも分からないのに、今振り返らなければ、忘れていくだけでしょうにね。……僕はそれがひどく口惜しい。悔しい。だから――貴女を探した」


 彼の口にする王都の現状は、私が思っていたものよりも遥かに寒々しかった。

 同時に、彼もまた過去から抜け出せないのだと悟る。

 あの四人の喪失の、犠牲者の一人。


「貴女なら、分かってくださる気がした。だから探しました。僕のこの悔しさを分かってくれる気がした。貴女が爵位を捨てて消えたのは、僕以上に喪失感に囚われているからだと思ったから。実際、お顔を見てそうだと確信した。僕が姉から聞いた貴女の姿は、仲間想いで面倒見がよくて……笑顔のとても素敵な人だと、聞いていたから」


 笑顔が消えて、久しかった。

 笑顔なんて作れなくなっていた。

 それは自分だけだと思っていたけれど、同じ苦しみを抱えていた人は確かにいた。


「姉は、貴女を大事に思っていた」

「……」

「姉だけじゃない。皆、貴女の命を一番に考える程には、きっと皆大事に思っていたんです」

「っ……」


 思い出すのは、皆の笑顔。そして、最後に見た泣き顔。

 皆が私を大事に、なんて、そんな事分かり切っていた。

 だって、私が皆の事を大事に思っていたのだから。

 その場に両膝を付いて、嗚咽を耐えた。

 歯を食いしばって、唇を引き結んで、それでも震える喉の音が外へ出てしまう。


「どうしても、貴女には生き証人になって欲しかった」


 頬へと幾筋も涙を溢れさせる私を前に、彼は続ける。

 指と、掌と、手の甲で何度も何度も拭う涙はまだ止まらない。


「世界を救った四人の功績は誰もが知っている。けれど、一人の人間として生きた四人のありのままを伝えることが出来るのは貴女しかいない。僕はそう思います。一番近くで、仲間として生きた貴女が、今を生きる人々に四人の話を伝えてくれればと……思っていました」

「……私、が? 私の口から、伝えられることが、あるんでしょうか?」

「あります。絶対に。僕は確信しています」


 テオノードさんの瞳には、確かな決意の色があった。

 この事を風化させない、と。何があっても、皆の事を未来へと引き継ごうとする強い意志。


「それに。……僕も、姉上達の事を話せる人が、近くにいる方が嬉しい」

「……そう、ですか」


 視線を向けた四人の姿は、本物とはまだ『似ている』だけだった。

 確かに、この先の作業は一人では限界がありそうだ。


「私も、そうかも知れません。……誰かと、四人の話を……すっと、したかった」


 皆が、どれだけ素敵な仲間だったのかを話す相手が欲しかった。

 思い出を辿る、自分の傷を舐めるだけの行為だとしても。いつか話していくうちに、笑顔で思い出せる日が来るかも知れない。

 それがもしテオノードさんだったら、きっと笑顔で聞いてくれるだろう。

 出逢って一日目の関係だが、確証は無いながらそう思えた。


「じゃあ、僕達は同じ気持ちだったんですね。どうしても、あの四人の事を風化させたくなかった」


 悲しそうな笑みを浮かべた彼は、立ち上がる為の手を差し伸べてくれた。

 その手を取りかけて、彼の言葉に指先が動かなくなる。


「僕、全て終わった後にシエラに求婚しようと思っていたんです」

「……は?」

「シエラとは、姉とは違う件で知り合いまして。ほら……綺麗で優しくて、とても明るい人だったから」

「あ?」


 ドスの利いた私の声に、テオノードさんは目を丸くする。それまで照れ臭そうに浮かべていた表情も消えた。


「シエラに求婚なんて、無駄でしたよ」

「え。……ど、どうして?」

「シエラ、私の恋人でしたから」


 ここに来て告げる、仲間内以外には誰にも話さなかった内容を聞いて、テオノードさんが目を丸くする。


「一緒に死のうねって話までしたんです。離れるまでずっと、ずっと、私の可愛い恋人だった」

「……え……?」

「貴方なんかにシエラは渡しません」


 ――だから、気安くシエラなんて呼んでたんだ。

 アフシエラという名を持つ彼女に、馴れ馴れしく。


「……貴女達、女性同士では」

「性別で物事を計るんですか? ニミがいたら言い逃れ出来ませんよ、問答無用で氷漬けですね」

「え、え……。えええぇえ……」


 追い求めていた相手が実は恋敵だと知ったテオノードさんは、その場にがっくりと項垂れた。

 けれど、差し出した手を嘘にされたくない私は掌を握る。

 彼は一瞬よろめいたが、立ち上がるのに力を貸してくれた。


「それでも、私に手を貸してくれる言葉は撤回しないのでしょう?」

「……」


 沈黙の間に、何を考えていたのだろう。

 やがてやれやれ、と言った調子で苦笑を浮かべた彼。手を離しても、彼は変わらずそこにいる。


「先に契約書から書きますか? 私に不利でなければ多少は譲歩します。期間はいつまでにしますか」

「イブシュ様、僕達の間に契約書使うんですか」

「当たり前でしょう」


 口端が緩む。

 こんな気持ち、いつ振りだろう。

 仲間が居なくなってから、笑う事も忘れていたのに。


「契約しないと、いつ追放されるか分かったものじゃないですからね?」


 セズ。

 ニミ。

 ライア。

 ――シエラ。


 見てる?

 貴女達がいなくても、笑える日が来たよ。

 だから。

 どうか。


 蝋人形っていう偶像でもいいんだ。

 また、側に居て。


 貴女達の話を、永遠に語り継げるように。




 王都には遠くない将来、博物館が出来る。

 それは勇者パーティ唯一の生き残りであるイブシュが、仲間との思い出の品をかき集めたもの。

 一番の目玉は、死した四人を模した蝋人形。その精巧な作りは、まるで生きているようだと評された。


 悲劇にも、イブシュは若くして亡くなってしまう。

 志を引き継いだのは、勇者パーティの一員であった人物の弟だった博物館館長だ。

 イブシュが亡くなった後に、彼は蝋人形をもう一体展示した。


 生前は何と言っても制作を拒否されていた、イブシュの蝋人形だ。

 その表情は満面の笑みを浮かべていて、今にも動き出しそうで。

 仲間達に囲まれて、嬉しそうな表情を浮かべている彼女の姿は、五人一緒に国の平和のシンボルとなった。

 

 

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澱が下りし折の檻 不二丸 茅乃 @argenne

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