離れられない理由
「……この小屋に、誰かを入れるなんて久し振りなんですけれど」
道の途中で、思い出話に花を咲かせる気なんて無くて。
短いとも言えない距離を、ただひたすらに黙ったまま歩いた。
帰りつく頃には昼間だ。夏のように日差しが強い訳でも無く、冬のように寒さに凍える訳でも無い。
何も変わらない日常で、季節は変化する。それからゆるやかに、私は年を取っていく。
仲間たちを置いて。
「その『久し振り』になれるなんて、光栄です」
テオノードさんの言葉は嘘偽りのない本心だろうが、余裕しか感じられない彼の言葉にどことなく苛立ちを感じる。
私に対する態度もそうだが、人との交流を躊躇わない辺りに、普段の交友関係が彼の後ろに見える気がしている。飾った言葉を使うのも、人の様子に気を回すのも、場慣れしているのだと。
「……」
鍵を取り出して、扉を開く。
貧相な小屋だが、鍵を掛けているのは持ち去られては困るものがあるから。空き家と思われて誰か知らない者に出入りもされたくない。
掌に収まるくらいの大振りな鍵は武骨で、その鍵で開く扉は味気ない古びた木製。
入ってすぐの部屋には、煮炊きする炊事場と食事を摂るテーブルがある。生活用品も幾つか置いてあるが、見られて恥ずかしいものはなにひとつとして無い。
奥の部屋に入らせる前に、茶でも進めようと椅子に座らせた。お湯が沸くまで、少しばかり時間が掛かる。
「テオノードさん、この家じゃ茶葉に文句は言えませんが良いですか」
「お構いなく。客として招かれたお宅で、お茶を要求するような不躾な教育は受けていませんから」
伯爵に茶すら出さない元子爵――という構図が出来上がるのも癪に障る。
彼をテーブルに座らせてさっさと竈で湯を沸かし始めた後は、買い置きの茶葉を探した。蜂蜜の街を謳うセイルーは、それに供する紅茶の銘柄にも煩いので、割と質の高いものが購入できる。
棚の奥に置いていた小さな缶。その茶葉で淹れる紅茶の香りが、さして広くない小屋の中に漂う。
「はい、どうぞ」
出した盆には、紅茶を注いだカップとソーサー、蜂蜜を入れた小さなピッチャーが乗っている。
たった一杯のティーカップに入れるだけの量しか入っていない蜂蜜は、白い陶器の中で黄金色に輝いていた。
それは私が、貰った蜂の巣の中からこそげ取った物。
私が買い付けた巣に残っていた、ただの滓。
滓とはいえど口に出来なくはない。ただ、私にとっては価値が無いだけ。
「ありがとうございます」
テオノードさんは、最低限の礼を言ってからカップを手にした。彼の指が持ち手を掬う。
蜂蜜を入れて、混ぜて、それから彼は口に運んだ。甘ったるい、紅茶の匂いも半減した、蜂蜜入りの紅茶。
一口飲んだ彼は、その味と香りに笑みを浮かべた。
「……美味しいですね。この味でしたら王都でお店を開いても繁盛するでしょう」
「そうですか」
「紅茶の香りも素敵ですが、この蜂蜜のくどくない甘さは格別ですね。それなのに独特の風味があって」
「紅茶は王室御用達だそうですしこの蜂蜜は王都に出荷されるらしいので、テオノードさんが城下に帰った後に店を出せば良いのでは?」
「……………」
誉め言葉を素直に受け止められない性分が出した言葉が、彼の言葉を詰まらせる。
次ぐ言葉を探しあぐねながらも、空になるまで飲んで貰えたのだから気に入ったのは本当なのだろう。
テーブルは客人を招くような想像をしていなかったから、一人分しか席が無い。立ったままの私に、彼は気まずそうな視線を投げた。
「……座ります?」
「結構です」
「僕だけ座ってるのって、なんか、変な気分です。特に貴女は女性ですし」
「女だから何だって言うんです」
キ、と凡そ客人に向けるような視線でもない目付きで睨んだ。
その言葉は、私が、私達が一番嫌った言葉だ。
「女だって立ち仕事が出来ます。自分の体が弱っていなければ、客人を席に座らせるのが当たり前でしょう。ニミが聞いたら魔法で脅して謝罪を要求していた言葉です」
「……すみませんでした」
「……。まぁ」
昔の仲間たちは、私より血の気が多かった。
そこまで怒らなくてもいいじゃない、と宥めても駄目だった。
それは、自分達が無意識の内に下に見られている事への憤りだったのだろうけれど。
「もう、ニミも。……ニミだけじゃなく、誰もいないんですけれど」
自分で言っておきながら、酷い無力感に苛まれる。
結局、彼女達は私を『追放』という手段で守ろうとした。私の心は度外視で。
最後の最後に、自分だけ仲間を見捨てて生き延びた――なんて醜聞も、追放という字面を前にすれば言われない。代わりに嘲りや憐憫の視線は来るけれど。
「貴女を守れて、皆さん誇らしく思っている筈ですよ。命に代えられるものはない。金銭を幾ら積んでも、人の命は返らないのですから」
「……」
「王の宝物庫を全て暴いても、……皆さんが蘇る対価に到底足りはしないのでしょうね」
死ぬ程辛いと思っても、時間が経てば少しずつ希死念慮も薄れてくるような境遇だった。
仲間を見捨てて逃げて自分だけ助かった――なんて、矜持を抉るような醜聞があったらそうはいかなかったろう。
そこまで気を回してくれた仲間達の思いやりが、悔しい。
自分ばかり何も知らなくて、でも彼女達は一番に自分の未来を考えてくれていたのだ。
あれは、思いつきの追放なんかじゃなくかった。
そうでもしないと、私が大人しく皆の側を離れる訳がないのだから。
「……それで、その、イブシュ様。御話というのは何でしょう?」
暗い話から論点を逸らすために、彼が急かすように口にした。
別段、急ぎの話でもないのに露骨な話題選びが滑稽だった。かといって、唇は微笑すら作らない。
「話、というか。……私は、何があっても『まだ』、この街から動きません。……それだけは、お伝えしておかないとと思って」
「……へぇ。何故?」
「その『何故』を語る前に、テオノードさんがこの町にきた目的を聞きたいです」
「……」
その顔には、最初邪険に扱って聞く気がないと言っていたのに、と書いてあった。
こうも掌を返されて、彼だっていい気はしていない筈だ。なのに、テオノードさんは暫く沈黙の時間を押し付けただけで口を開いてくれた。
「確証が、欲しいですね」
開いた口から出て来たのは、欲しかった言葉では無かったが。
「確証?」
「ええ。僕が、貴女に全部を伝えて、それで『はい』の返事が来る確証ですよ。今の貴女に、僕の話を全て伝えて、それで断られたら――意味が無い」
「意味なんて」
「無くては困るんです。僕は、貴女から応の返事をいただくまで何処へも行かない」
二人の会話は、まるで堂々巡りのようだった。
それもそう。だって、譲る気は最初から無い。顔を合わせるより前から、二人の気持ちは決まっているのだから。
私は、ここを離れない。
彼の目的はまだ分からないが、どうやら相反するものらしい。
「見て、貰った方が早いですね」
譲歩したのは私が先だ。
けれどその譲歩は、きっと意味のあるものになる。
テオノードさんの瞳を真っ直ぐ見られる今になって、そう思えた。
『あの部屋』を、誰かに見せる時が来るなんて思いもしなかった。
「こっちです」
更に招く、奥の部屋。
扉も無い代わりに窓も無い、薄暗がりの部屋だ。
中には木工用の作業台があって、蜂の巣から取り出した蜜蠟の甘い香りが漂っている。
作業台の隣には、白い布が覆い被さる大きな物体。
「……これは?」
テオノードさんが気付いた。当然だろう、特別目を引く、隠されたそれが気にならない人なんてきっといない。
白い布は、縦に長い中身の形だけを曖昧に象る。高さに差はあれど、布の天辺から突き出るような四つの丸い形は似通っていた。
彼が恐る恐る手を延ばそうとするのを制止する。
「勝手に触らないでくださいね。どこか引っかかって倒れて壊れたら、作り直して貰いますから」
「作り、直す……?」
「……」
行き場の無い手は、空を彷徨って引っ込んだ。指先が何度も布を掴もうとして動いた、それが私が希望を掴み切れなかった時の動きのような気がして目を逸らす。
彼の代わりに、私が布を握った。
「私がここを住処に決めた理由。この街に来てからも。……ずっと私は、『みんな』と、また逢いたかった」
握った布を、下から持ち上げていく。
それは花嫁に被せた薄布を持ち上げるように。
一番美しい姿を、衆目に晒す時のように。
「セズは世話の焼ける人だった。ずっと薬の事しか頭になくて、自分の身の回りのことは二の次。言わなきゃ食事も摂らなくて、食べる時になってやっと空腹に気付くくらいで」
布の下から最初に覗いたのは、靴が四足。
「問題起こすのは大体ニミだった。気が強くて、他の旅人とも喧嘩するし、見た目をいつもからかわれるからって暴力でやり返すのは駄目って言ってたのに……」
靴の次に見えたのは衣服だ。
靴もそうだが四通りの下衣が見える。完全に肌が隠れているのはどれも同じ。
その物体達の個性のように、纏っている物はそれぞれ形が違っていた。
「ライアは、本当に優しい人だった。でも、私を最期に連れて行くのを止めようって一番に提案したって聞かされてからは恨んだ。優しくて、優しくて、残酷な人。そうでなければ騎士は勤められないんでしょうけれど」
次に見えたのは上衣。
「シエラは、――」
そこから上の布を取る為に、背伸びをした。爪先で立って、震える体。
もう少しで完全に上まで届く、と言った時に横から手が伸びて来た。テオノードさんの手だった。
「……壊れたら作り直し、なのでしょう」
「……」
二人がかりで、やっと、布を取り払う。
完全に姿を表したそれは、透明感のある肌をしている、人の形をしたもの。
セズ。
ニミック。
ライア。
そして、アフシエラ。
「……シエラは、一緒に死のうって、約束まで、してた」
現れた四人の表情は、目を閉じたままの無表情。
とろりとした質感の白く滑らかな肌と、それぞれに似通ってはいるが本物と差異のある髪色。
本物と似ているが、それだけの蝋人形だ。
眠っているようにも見える、命の無い模造品。
「四人に逢いたくて、逢いたくて、人形でも良かった。私の記憶がまだ鮮明なうちに、四人の人形さえ作れば、また逢えるって……逢えた気になるって思ったから。それで、私がいつか皆を忘れても、人形さえ傍に居てくれるならまた思い出せる。……だから」
テオノードさんに振り返る。
彼は人形達に目を奪われていたが、視線を向けると動揺したように目を合わせて来た。
セズの瞳の色と、一緒だ。
「四人を、作り上げるまで。……作り上げてからも、一緒に居たいから。だから、私はこの場を離れないし、子爵の地位も必要無いんです」
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