「私も、一緒に」



 町では食事だけ済ませて、すぐに小屋に戻る。一応生活圏内なので、男と連れ合って過ごしていたなんて噂が流されても困るからだ。支払いして貰った以上、そんな醜聞からはもう逃れられないかも知れないが。

 行きは彼が先を歩いたが、帰りは私が三歩先を歩いた。

 慣れ親しんだ森の中の道だが、彼が後ろに居ると思うと複雑な心境だ。無言で付いてくる彼の足音と、時折聞こえる楽しそうな声が鼓膜に響く。


「いやぁ、美味しかったですねぇ。イブシュ様が居住にこの地を選んだ理由が分かります」

「……別に、料理だけが決め手ではないですから」

「『だけ』? ということは、別に理由が御有りなのでしょうか? 気になりますねぇ」

「……」


 この町を終の棲家と選んだ一番大切な理由。

 それは、まだ彼に話す気は無かったが。


「テオノなんとかさん」


 なんとなく。

 それは予感というにも頼りない感覚だが、彼が私を探していた理由が分かった気がした。

 この感覚は、私は彼にこの町に来た理由を伝えてもいいかという気にさせる。とても厄介で、本当はずっと誰かに聞いて欲しかった事だ。


「……名前、覚える気ありませんね?」


 返る声は穏やかで。

 伯爵が子爵に敬語を使って、失礼な物言いにも平気でいる感覚が分からない。だから、重ねて聞いてみた。


「本名は何と仰るのです?」

「……」


 今更ながらの問いかけに、彼は苦笑したようだった。


「それ、……もっと早くに聞いていただけませんか」

「興味が無かったもので」

「では、今は興味があると受け取ってもいいのでしょうか? 嬉しいなぁ」

「私なんかが興味抱いても嬉しくないでしょうに」


 二人の歩幅は変わらない。

 質問になんと回答したものか、と考えに集中している彼には、距離を詰める考えも無いらしい。


「イブシュ様でしたら、当ててくれる気がします。僕の名前」

「……」

「手掛かりが無いとお思いですか? でも、きっと貴女なら答えられる」


 試すような口振り――ああ、嫌だ。

 記憶の中の人物の面影と一致してしまう。


「テオノード・ウーロス」

「………」

「セズの弟さん。私を『置いて逝った』、仲間だった人のたった一人の弟が、そういえばそんな名前だった気がします」


 声と同時に、木々が風に騒めいた。葉擦れの音が辺りを包んで、二人の無言の間を繋ぐ。

 木漏れ日に揺れるその茶髪も、瞳の色も。

 彼女を思い出させる、優しい色だ。


「……流石、聞いていた通りの人だ。姉からの手紙に、貴女の事も書かれていました」


 否定しない彼は、足を止めている。

 私も思わず足を止めた。でも振り返らない。その顔を見るのが、今更怖い。


「この街には何しに来たんですか。私を、子爵としての責務も果たさずのうのうと生きてる姿を笑いに来たのですか?」

「まさか。そんな理由だったら、わざわざ貴女の前に顔は出さないでしょう」

「そうですか」


 私が歩みを再開すると、彼もまた同じように歩き出す。

 仲間と同じ血と姓を持つとしても、彼に使っている時間が惜しい。

 けれど、彼の口は止まらない。話はまだ続いていた。


「……一度、御目に掛かりたいと前から思っていたんです。あの姉を、どうやって貴女達が魔王討伐の旅に連れ出したのか。姉は、人と関わる事が得意じゃなかったんです。いつも毒の強い言葉ばかり吐き出して、気付けば皆から嫌われている姉だった」

「……セズは、そう言われるほど酷い人じゃなかった。いつもニミの世話焼いてて、街で買い出しするたびに姉妹に間違えられてた」

「皆様とは相性が良かったのでしょうね。でも、僕は旅に出る前の姉と、くれる手紙の文面と、……帰って来た、姉しか、知りませんから」

「………」


 帰って来た、なんて。


 あんな失望を、絶望を、無念を無力感を悲哀を虚無を悔恨を。

 そんな慰め程度の言葉で、無かった事にして欲しくない。


「姉の功績は、僕達家族には誇らしいものなんですよ。でももう、姉の話を聞けるのは貴女しか居ませんから」

「……功績?」

「姉が帰って来て、僕達ウーロス家は……伯爵の位を賜りましたので。姉の名に恥じぬように、これからも邁進して、家業の商売を――」

「はっ」


 彼の言葉につい、鼻で笑ってしまった。


「セズの命と引き換えにした爵位で、ですか」

「……」

「勇者一行を支えた薬師を排出した伯爵家。さぞ薬の売れ行きは良くなりましょうね? セズの名前がある限り、貴方達は商売繁盛って訳ですか」


 憤りに嫌味を練り込んで、悪意として投げ掛ける。怒りの炎で焼けた言葉は、さっきの蜂蜜パンより甘くも柔らかくもない。

 けれど――テオノードさんは、そんな歪んだ感情さえも受け止めた。受け止めて、投げ返して来る。


「それは貴女もでしょう」


 言われた瞬間、何か鈍器のようなもので頭を殴られた気さえした。

 がつん、と殴られて一瞬何が起きたかも分からない。けれど、彼の形の無い凶器は殊更重く。


「あの勇者御一行様の一員だったイブシュ様がお作りになった蜂蜜酒――ああ、それだけで価値が跳ねあがりそうですね? 貴方が子爵の位を放棄しようと、貴女が貴女として生きていけるのは、これまでお仲間様達が作り上げた功績があっての事なのでは? でなければ今の貴女が一人で暮らしていけるほど、この世界は優しくないでしょう。魔物が劇的に減ったこの平和を享受できるようになったのは、皆さまの功績なのですからね」

「っ………」

「姉も、ニミックさんも、ライアさんも、――シエラも。貴女を甘やかせるだけの土壌を築いて死んだんですから流石仲間思いですね。貴女もいい気なものです」

「違うっ!!」


 彼に言葉という凶器を持たせるだけの発言をしたのは、自分の狂気だ。

 苦しい、つらい、と、何年も経ったのに未だに思う。

 どうして、彼女達は。


「私は、追放されたのっ……!!」


 私を連れて行ってはくれなかったのか、と。

 今更思い出す無力感に、その場に膝を付く。


「……」

「追放されたの!! 私が、嫌だって言ったから! 一緒に行くって言ったのに!! 私は置いて行かれて、皆はっ!!」


 分かっていたのだろう、彼女達には。

 戦闘力の無い吟遊詩人が付いて行ったところで、死んでしまうだけだと。

 本当は自分だって分かっていた。けれど、どうしても離れたくなかった。


 『イブシュ。これ以上言っても聞いてくれないなら、私達は貴方を追放するしか無いんだ』


 追放なんてしないでよ。

 私も一緒に行きたいよ。

 皆が戦ってる間に私一人安全な所に逃げろって言われても無理だよ。


 最後の闘いを前にして、戦力外通告を受けた。

 一緒に来ても駄目だから、と、四人はその態度を崩さなかった。


 『私は絶対に謝らない。もういいの、来ないで。貴女の役目は、もうこの先無いの』

 『イブだって分かってるでしょ? 貴女が一緒についてきて、何が出来るっていうのよ』

 『……私は、……何も、もう、言う事が無い』


 そんな事言わないでよ。

 私達仲間だったじゃないか。

 冷たくするなら最後まで、慈悲見せないでよ。


 どうして、皆、泣いてるの。


 私を、私の目を見て言ってよ。


 追放するならするで、最後まで冷たくしてよ。


「私が、皆に、置いて行かれたの。どうして、私も、一緒に」


 四人の行方は、世界に光が取り戻されてからも一年の間分からないままだった。

 やっと発見されたのは一年後、やっと魔王の城に捜索隊が入った後だった。


 腐敗し骨だけ残された、四人の死体。

 そして同じように朽ちた魔王の死体。


 皆、死んでしまった。


「私も皆と一緒に死にたかったのにっ!!」


 その報せが大陸中を巡り、皆一様に沈痛な面持ちを浮かべた。

 けれど日常は生きている限り続いていく。人々は皆、自分達の暮らしに戻り四人の事を忘れようとしていた。

 自分達を救った恩人の事なのに。


 叫びと同時に葉擦れの音がする。偶然だとしても、心の叫びを木々が代弁しているかのようだった。

 彼女達の死が無駄だった訳じゃない。なのに、彼女達が死んで続いていく世界の中に置き去りにされるなら。


 わたしは、もう、ひとりでいい。


「皆が、貴女を生かしたかったんでしょう」


 一人で良いと思った、自分の中にあった感情は諦観だった。けれどそれさえも、テオノードさんは包み込む。

 包まれたかったぬくもりじゃない。もう、彼女達はいない。


「………」

「戦力外を死地に連れていくなんて、普通はしません。けれど、貴女が生かされたのには他に理由があるんじゃないですか? 僕には分かりませんが、ああまで下準備をしてまで貴女を王都へ送り出したのです。……皆、きっと、貴女に幸せになって欲しかったのでしょう」

「幸せだなんて」


 あの時以上の幸せなんて、きっと無いと思った。

 旅に誘ってくれた時の、シエラの笑顔。

 自分の為に差し出された腕。

 彼女の為に、生きようと思った。

 彼女と一緒に、死のうと思った。


 願いは裏切られたけれど。


「……幸せになんてなれる訳ないじゃない。シエラだって分かってた筈。私の幸せは、シエラと一緒にあったのに」


 その名前を出した瞬間、テオノードさんの眉間がピクリと動いた。けれど彼は白い手巾ハンカチを出して差し出してくれる。

 自分の頬を伝う涙に気付いたのも、その時だ。

 頭が是非を考える前に、手は手巾を受け取ってしまう。自分の涙に気付いても、それを止める方法を持っていなかった。涙も、不満も、堰を切ったように溢れ出す。


「……だい、たいっ。四人とも勝手だったのよっ。私が一番弱いからって、無理矢理王都に送り返す事ないじゃない!? 四人で相討ちだったんだから、私がいたら何か変わったかも知れないじゃない!? 滞在する町で何かある度に皆一番に私を頼ってたのに、こんな処遇はあんまりよっ!! それに『追放』って形にした方が、私が魔王に怯んで逃げた臆病者って烙印押されずに済むからって、私がそれで逃がされて嬉しいって本当に思ってるのって話で!!」

「はいはい」

「王都に着いたら着いたで国王陛下も宰相閣下も皆皆みーんな揃ってるし!! 私一人が何も聞かされてなくて、急に子爵の位と土地与えるからって言われて!! それから一年間、皆の死体が見つかったって聞くまでどんな気持ちでいたか誰も分かってくれないしっ!!」

「はいはい」

「私の気持ちなんて二の次以下で、それでも生きていけなんて言われて――」


 これまで溜め込んでいた怒りに任せて声を荒げていたら、ここ最近酷使する事の無かった喉が悲鳴を上げた。息を吸うときに、ひゅ、と音が混じって咳き込む。

 背を丸めて咳を繰り返す私に、テオノードさんは近寄って背中を撫でてくれた。身長を見ただけでは思わなかったが、男性の大きな手。


「っ……ふ、だい、じょう、ぶ、です。こんな、声、暫く……出してなかった、から」

「少しはすっきりしましたか?」

「……」

「姉の手紙に書いてあった明るい貴女と、実物の貴女では違いすぎる。これまで、ずっと一人で堪えてたんでしょう?」


 堪えていたかと聞かれれば――そうだ、とも言えるし違うとも言える。

 今までの無念と鬱屈した感情を発散する方法が無かったかと言われれば、それは違うのだから。


「テオノード、さん」


 今度こそ、ちゃんとした名前を呼んだ。彼は目を丸くしていたが、微笑んで頷く。


「はい」

「私は辛いからと言って一人で堪えられないような子供じゃないです、見くびらないでください」

「…………」


 その微笑みが思った通りに掻き消えるのが見えて、思わず肩を揺らして笑ってしまった。

 不本意な時、見せる表情がセズそっくりだ。彼女はもっと不快感を眉間で表していたけど、テオノードさんは伯爵家の人間として落ち着いた表情作りができるようだった。


 何度だって、思う。

 もう、彼女達は居ないのだと。


「……そういえば、テオノードさんは相談事があるという事でここまでいらしたんでしたっけ」


 未だ憮然としている彼に、声を掛けて足を進めた。

 彼は何か言いたそうにしていたが、口を開かせるつもりは私には無かった。


「それは」

「お話、聞くだけ聞きましょう。――ただし」


 肩越しに振り返った彼は居住まいを整える。今更、それで何かが変わる訳でもないのに。

 彼の几帳面さが滲み出ている。本当に、セズはいい弟さんを持ったのだなと強く思った。


「私の話も聞いてくれることが大前提です」


 交換条件を出した所で、テオノードさんの意思が変わる事は無い。

 強く一度頷いた彼は、私の歩幅に合わせて道を進んだ。



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