重なって見えた懐かしい影


「……」


 気付けば、朝になっていた。

 椅子に座ったまま明かした一夜は、体が凝り固まって動けない程には辛いものだった。

 夢を見ていた気がした。もうどう足掻いたって変えられもしない昔の話を。

 気分は良くなかったけれど、夕飯も食べていない胃袋はすぐさま空腹を訴える。

 椅子から立ち上がって、部屋の中を見渡した。今日も昨日も、きっと明日も何も変わらない空虚な家。


「……おなかすいた……」


 空腹感が導くまま、床に下ろした足は小屋の外へと向かう。収穫できる野菜で何か一品作ろうと思っての事。

 庭の作物は実ったか、実ったなら何を作ろうか。そう考えながら自宅の扉を開いた瞬間だった。


「おはようございます」


 開いた扉の外に、笑顔の見知らぬ男がいた。

 癖の少ない茶髪、緑色の瞳、身長はそこまで高くない。若く見えるが成人はしているだろう。顔立ちは整っているが中の上くらいか。髪はよく見れば、首の後ろで括っている。

 着ているのは黒の燕尾服。まったく、こんな朝から正装なんてご苦労な事だ。


「………」

「イブシュ・ツノン様に御挨拶申し上げます。僕はテオ――お待ちください!!」


 来客の姿を見るなり閉めようとした扉に靴先を捻じ込まれ、珍客の撃退に失敗した。

 それでも尚閉めようと奮闘していると、ぎぎ、と古い扉は悲鳴を上げる。壊れたら弁償して貰おう。


「僕は、テオノードと申します。イブシュ様にご相談があり、訪ねた次第です」

「洗剤なら間に合っています。あと私はヘカトリア様信仰なので改宗話も聞く気はありません。見ての通り清貧な暮らしをしておりますので金目のものなどございません」

「押し売りではありません。宗教勧誘でもありません。金銭や物品が目的でもないから警戒しないでください」


 そこまで言われてやっと、扉に入れていた力を抜く。


「……貴方ほどの地位をお持ちの方が、私に御用があるとは思えませんが」

「おや、僕の事を御存知なのですか?」

「知りませんし知る気もありません。でも、その胸の勲章で分かるでしょう」


 彼の胸にあったのは、厭味ったらしく金色に光る小さな勲章。精緻に彫られた紋章は王家のもので、それを飾るように伸びているリボンの色は赤。色で爵位を示す絹だ。


「赤色、という事は伯爵様でいらしたでしょうか。私が知っている伯爵家の方は、ルザスタン家とセモハド家とガンダーシーク家だけです」

「流石イブシュ様。……ですが残念ですね、僕はそのどれでもない」

「そうですか、ではこれで」

「ちょっ……お待ちください!」


 テオなんとかと名乗る彼の隣をすり抜けて外に出ようとして、その腕を掴まれる。


「イブシュ様、ご相談があるのです。お話を聞いていただけるまで、僕は帰りません」

「私のようなものに何のご相談でしょうか。『あれ』なら全部放棄してきたので、私はもう何も知りません」

「そういう訳には行かないんです。……イブシュ様、どうか」


 掴まれた腕は痛くない。けれど、振り払おうとしても筋力差で勝てない。どれだけ力を入れて腕を振っても、彼の手が外れる事は無かった。

 細身に見える彼がそんなに強いとは思えなかったが、逆らってばかりなのもこちらが疲れるだけで。


「……私、まだ朝食を済ませていないんです」

「承知しました。食事でしたら街へ行きませんか。この街の食事は何処も美味しい」

「食事が終わったら菜園の手入れと水汲みと掃除と洗濯とパン種作りと蜂蜜酒の仕込みと蜂の巣仕入れと暇つぶしその他諸々があるので忙しくて貴方と一緒に行動する時間なんてないです」

「暇つぶしの時間がありましたよね?」

「暇つぶしは時間を使いますからね。そんな事も知らないんですか?」


 軽く馬鹿にするような言葉を一息で並べても、テオなんとかさんは腕を離さなかった。

 それどころか、その腕を痛くない程度に引っ張って家から離れていく。


「離してください」

「離したら貴女、逃げてしまいそうです」

「逃げませんよ、私の家はここなんですから。……もう、私には何処にも行く場所なんて無いし」

「……あるじゃないですか。貴女が拒んでいるだけで」


 まるで何もかもを見透かしたような彼の言葉が、重く胸に圧し掛かる。


「ツノン子爵。貴女が望む望まざるに関わらず、僕は貴女を必要としている」


 放棄してきた筈の爵位を呼ばれて、苦虫を噛み潰したような表情が誤魔化せなくなった。




 爵位を放棄したのは半ば意地だった。

 最後の最後に突き放されて、それでも勇者達一行に貢献したのだからと国王陛下から爵位を賜った。

 けれど私は、それを受け入れられなかった。放棄の為の手続きもして、この街に移り住んだ筈。

 今でも捨てた爵位で呼ばれるなんて、不本意だし不愉快だ。

 だから街に向かって先を歩く彼の背に向かって、声を掛ける。


「テオなんとかさん」

「……テオノードです」


 私の行動に不愉快に感じているのは彼も同じようだ。


「私の話がどこから漏れたか知りませんが……私がセイルーに居ることはどうかご内密にお願いします。もう、私は大きな仕事や何かしらの権力に関わる気も無いですし……この街で、今のまま、生涯を終えたい」

「話を聞くところによると、まだお若いでしょうに随分達観された事を仰るのですね?」

「貴方から見て若いかどうかは分かりませんが、私は先月二十四になりました」

「二十四! へええ、僕の姉と二つ違いなんですね。姉は今年で二十六になるんです」


 テオなんとかさんの家族の話なんてどうでも良くて、話を聞かずに横を向く。

 森の中に今すぐ駆け出したら逃げられるだろうか。……家も知られているから無理だ。それに、知った森でも準備も無しに入り込んでしまえば道に迷いかねない。

 この男の相談が何なのか分からないが、それが何であれ適当にはぐらかす方法を考えながら街までの道程を進む。無言で居ると、彼は沈黙に耐えかねたのか肩越しに振り返った。


「……イブシュ様、こういう時は僕の年齢を聞き返してくれるものじゃないでしょうか……」

「人にそんな期待して疲れませんか。あと、私の方が爵位は下なので様付けされるのも不快です。そもそも爵位も放棄したものですし」

「イブシュ様はとても明るくて、社交的なお方だと伺っていましたので期待していたんです。爵位の上下は関係ありませんよ、僕は尊重すべき人に敬語を使用しています」


 尊重すべき人、という範囲に私を入れて良いのか。

 よく分からない男だが、分かりたいとも思わない。

 徒歩での移動でも時間は掛からず、賑やかな街の中に入り込んだ。




「じゃあ、改めて。僕の名前はテオノード。伯爵の位を与っています。かといって、僕は特別何が出来る訳でも無いんですけどね。イブシュ様の事はお探しするのにだいぶ時間を使ってしまいましたし、調べものが得意と胸を張れはしませんから」

「……」

「昨日、イブシュ様の姿を街で探しましたが見つかりませんで……。ですが街外れに民家があるとお聞きしたので、位置だけ確認して昨夜は時間も遅かったので朝にお伺いしようと思って酒場でお酒を頂きました。養蜂が盛んという事で蜂蜜酒を飲んだのですが、美味しいですね。僕、お酒は得意ではないのですがあれは美味しくて二杯ほど飲み切ってしまいました。家族へのお土産に三本ほど買って帰ろうかと思っています」


 この時間でも営業している店に入り、注文を済ませると怒涛の自己紹介が始まった。

 面倒臭いので、外を飛んでいる蝶を目で追った。白い羽に黒の斑点がある種類だ。私にも羽があったらこの場から逃げ出せるのに、とぼんやり考える。

 お喋りで、茶髪で、関わると面倒そうな伯爵だ。柔和な性格を見せていても、人はいつか豹変すると知っている。

 ――かつての仲間たちがそうだったように。


「面倒なんで、件の相談事だけして貰えませんか」


 これ以上、テオなんとかさんの話に付き合っていたくない。いつもの鬱々とした日常を繰り返すだけの日々だけで自分には一杯一杯なのだ。 

 彼は息を飲んだ。驚いたようだが、彼の顔を見ていないのでどんな表情かは分からない。


「……僕は、相談自体が目的じゃない。相談に、承諾いただくのが目的です」

「そんなの、答えなんて聞く前から決まっています。嫌です」

「ですよね。だったら、まだ話しません。まぁ、もう少し僕の話に付き合ってくださいよ」


 店員の女性が料理を運んで来ると、テオなんとかさんは礼を言って受け取った。

 テーブルに並ぶのは、生野菜の盛り合わせと根菜の煮込み。パンは蜂蜜を練り込んである甘いものが二切れ。

 私のところには、木製の器に入った野菜の酢漬けだけが来た。馴染みになったここではいつも注文するもので、店員も知っている。朝食を軽く済ませる時、これが一番摘まみやすいからなのだが。


「はい」


 テオノなんとかさんは、蜂蜜パンの一切れを差し出してきた。


 そんな一瞬の彼の姿に、昔の仲間の姿が一瞬重なった。


 ――はい、イブ。


 ――もっと食べないと体もたないよ。これからいっぱい頑張って貰うんだからね?


 既にもう亡いと分かっているのに、声さえ聞こえるようだった。

 彼女達は、自分を捨てたというのに。


「……」


 小食の胃を圧迫するから、なるべく朝はしっかり食べないようにしている。

 けれどここのパンの美味しさも知っているから、自然と腹の虫が鳴った。

 くるるる、と控えめに鳴った音にテオノなんとかさんは肩を揺らして笑っている。


「あはっ。ほら、食べないと僕の話を聞くのに体が持ちませんよ。このパンにその酢漬け挟んだら、もっと美味しくなりそうですね」

「……」


 髪を揺らして笑うその顔に、昔の仲間の顔を重ねて見てしまった。

 視線を外せずに彼を見つめていると、その視線に彼も気付いたらしい。苦笑を浮かべて、パンを酢漬けの皿に乗せて来る。


「食べましょう、イブシュ様。この後も、御用事があるのでしょう?」


 彼は律義にこちらの予定を確認するが、その予定を滅茶苦茶にしてくれてるのは誰だ、と言いたかった。

 仲間だった人に似た雰囲気で、髪の色で、心配するような素振りを見せないで欲しい。これ以上、心を掻き乱さないで欲しい。


 言いたいだけで、結局は言えなかったが。


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