澱が下りし折の檻

不二丸 茅乃

足手纏いは命を繋ぐ


 『魔王が倒されたぞ!』


 『光が戻った!』


 『勇者様達が倒したんだ!!』


 その日、大陸中に吉報が届いた。

 魔王が猛威を振るった大陸の惨状は、三年ほど空を覆っていた曇天が晴れた事で静止する。

 次に、跋扈していた魔物の群れが姿を見せなくなった。

 魔物が居なくなったことで討伐に駆り出されていた王国騎士団が動けるようになり、各地の援助に回る事が出来るようになった。

 徐々に国力を回復する王国は、魔王が倒された事を素直に喜べるようになるまで一年掛かった。

 荒れた土地は瘴気に満ちた。

 死んだ家族は生き返らない。

 喪った時間は取り戻せない。

 けれど、生きるための糧を得るために、荒れた土地に再び鋤を振るわせたのも。

 喪った人の為に墓を立て安らかな眠りを祈ったのも。

 今までの空白を取り戻すように、人々が毎日を懸命に生きようとしているのも。

 全てが、勇者たちの奮戦の賜物で。


 その一年もの間、魔王を倒したと言われていた勇者一行の安否は杳として知れなかった。

 ただひとりを除いて。




「イブ、ご苦労様! 納品物は確認したから、代金はカミさんに明日持たせとくよ!」


 そして勇者達が魔王を討伐したといわれる日から三年経った今、私は王国の隅にある街の側で暮らしていた。


「……どうも」


 街の名前はセイルー。養蜂が盛んな街で、一時期は蜂が蜜を集められない程の悪天候のせいで存亡の危機だった。

 天候を狂わせていた魔王が居ない今は、近隣の丘に咲く様々な花から出来る百花蜜が一番有名だ。蜜蝋などで出来る工芸品もあり、経済はそこそこ潤っている。

 私――イブ――は蜂蜜酒を個人で作っていて、酒の評判は悪くなく土産物として買われることもある。今日は馴染みの酒場に酒を卸す日だったので、いつも暮らしている外れの森から街に出向いてきたのだった。今日も今日とて、店の裏手で荷物を渡す。今回は蜂蜜酒を瓶で十本。


「いやー、最近は観光客も増えてな。助かるよ」


 酒場の店主は腕まくりして露出させた腕にさえ汗をかいていた。客商売でも肉体労働だ。

 そんな彼に視線を一度向けるも、すぐにフイと逸らす。人自体が私はあまり好きではなくなってしまったから。

 店主は私の事をそれなりによく知っているので、そんな態度でも苦笑いするだけで咎めたりはしない。以前は「反抗期の娘を思い出すよ」なんて言われたが、私は彼の子供では無かった。


「……余りもので作ってるだけ、だから。別に」


 蜂蜜酒は副産物だ。意図を完璧に理解している店主はまた苦笑い。


「お前の酒は出来がいいからな。俺としちゃ、このままずっとお前の蜂蜜酒が飲めればって思って――おっと」


 店主が不自然に言葉を切る。店の中から「ごめんください」と声が聞こえたからだ。


「すまんな、イブ。ちょっと待っててくれ」


 店主が店の中に姿を消す。中から漏れる声に耳を澄ませたのは、単なる興味からだった。


「はいはい、何の御用で? 遠路はるばる申し訳ないが、生憎うちは夜からじゃないと店は開いてないんだわ」

「お忙しいところすみません。ですが今回はお酒を頼みに来たのではないんです」


 来客の声は男のものだった。決して低くはない青年の声。


「この街に、イブシュ・ツノン様がいらっしゃると伺って来たのです」


 途端、血の気が引いた気がした。男が口にしたのは誰も呼ばなくなって久しい、自分の本当の名前。

 久し振りに本名を聞いた気がして、足は無意識に店の裏手から離れようと動き出す。


「……イブシュ、ねえ。久し振りに聞いたわ、その名前」

「いらっしゃるのでしょう? 今、どちらにお住まいですか? お元気ですか? 何をしていらっしゃるのですか?」

「知らねぇな。……こっちも忙しいんだ、帰ってくれ。そんな疫病神の代名詞みたいな女のことなんざ俺みたいなのが知る訳ねぇだろ」


 店主は知っている。だから、彼にお願いした。

 『イブシュを探しに来た者がいたなら、どんな嘲りを口にしてもいいから追い返してくれ』と。

 最初は彼も彼の奥方も嫌がっていたが、今ではそうした方が客の退店が早いからと願い通りにしてくれている。


「勇者様御一行から弾き出された『追放者』の事なんてよ」


 だから。

 店主の言葉に傷つくのは、お門違いなのに。




 件の勇者一行は、女性だけで構成されていた。

 それは魔王自身が『男では傷をつける事ができない』という特性を持っていた事に由来する。

 魔王にその特性が現れたのは何故なのか、知ろうともしなかったし知ることが出来なかった。

 魔王を倒すために集ったのは五人。全員が女で、私以外は腕に覚えのあるものばかりだった。




 アフシエラ・イシュハーツ。

 銀髪の絹のような長い髪を持ち、後に『勇者』と呼ばれるようになった剣士だ。一行の纏め役で、底抜けに明るい性格の持ち主。

 ライア・デルハック。

 長い金の髪を一つ結びにしている人で、仲間に加わるまでは王国騎士の分隊長をしていた。得物は槍を使い、仲間には優しいが自分に厳しい人だった。

 ニミック・アジバード。

 肩辺りで切り揃えた黒髪をしている、自他ともに認める魔女。五人の中では一番若く見え、酒場に行けば毎回見た目をからかわれていた。その癖高い魔力を保有し、他を害する魔術に長けていた。

 セズ・ウーロス。

 肩を越える長さに無造作に伸ばした茶髪の行商の薬師で、傷を癒す魔術を使う事も出来た。新しい土地に行けば新しい薬の材料があるかもという意思で仲間入りした、仕事の虫のような女だった。

 私はイブシュ・ツノン。

 職業、吟遊詩人バード。音楽だけでなく芸術全般が得意で、かつて所属していた一行で商人との交渉や荷物持ちもやって来た。

 絵も描き、彫刻も作り、路銀集めに一役買っていた自負がある。完全に裏方役だったが、仲間はいつも笑顔で接してくれて、信頼してくれた。一行の財布を預かっていたのも私だったのだ。


 五人なら何処へでも行ける。何処までも行ける。行きたい。

 そうずっと願っていたのに。


 『イブシュ。これ以上言っても聞いてくれないなら、私達は貴方を追放するしか無いんだ』


 なんで。

 どうして。

 アフシエラの体に縋って、何度も問い質した。理由は聞けたけど、それで納得できるわけがなくて。

 引き下がりたくなくて、お願いだと、側にいさせてくれと、何でもするから、と何度も何度も繰り返した。

 けれどそれで待っていたのは、ニミックからの転移魔法だけだった。


 転移した先は謁見の間で、まるで私が転移してくることを知っていたかのような国王陛下の表情と、私への御下命は、とても。とても、悲しく辛いものだった。




「……今更、何の用があるのよ……」


 まだ三年程度しか経っていない過去を思い出しながら、自宅への帰路に着く。

 散歩というには少々気が重い往復の道は、余計な事ばかりを思い出させた。

 楽しかった日々。大陸の各地を回って、魔王の力を削ぐ方法を探した。夜盗や魔物といった危ない目にも遭ったりしたけれど、その度に皆で力を合わせて乗り越えた。

 皆とずっと一緒に居たいと思った。一緒なら死ぬのなんて怖くない、とずっと思っていた。

 そう考えていたのは自分ひとりだと知らされた時の辛さは、今も胸を焼き焦がす。


 街外れの森にある自宅は、小屋というには少し広い。寝室と作業室、厨房で合計三部屋ある。他に一緒に暮らす人がいないから、このくらいで丁度いい。

 帰って来た頃にはもう夕方で、晩の食事は街で食べようと思っていたから夕飯の材料が殆ど無い状態に溜息を吐く。一人で食べる為に庭に作ってある菜園の野菜は、こうも暗くなってから取りに行こうとは思えない。今自宅にあるのは固い黒パンと、日持ちする根菜の類のみ。

 暗い中で何かをするのも気が滅入るので、食卓に置いてあるカンテラに火を点ける。ぼんやりとした揺れる灯りが室内を照らした。

 カンテラの中にある蝋燭も手作りだ。蜂の巣を交流のある養蜂家から分けて貰い、それで自作する。尤も、蜜蝋で作っているのは蝋燭だけでは無いのだが。


「……まさか、私が此処にいるって知られてるなんてね」


 私がセイルーで暮らしているのを知っているのは、国王陛下とその側近、そしてこの街の人々だけだった筈だ。この街はそこまで人の出入りが多くない。蜂を扱う街だと知られているから、人々は危険を感じて忌避しているから。ともすれば人に害を及ぼしかねない虫だ、魔物と変わらないとまで言う輩もいるにはいる。

 そんなセイルーだからこそ、人目を避けられる街であることと、蜜蝋が手に入りやすいということで定住先に選んだのだ。


 食事をまともに摂る気も失せて、揺り椅子に腰を下ろした。火を点けた蝋燭は既に短いものだ。このまま溶かし切ってしまうのもいいと考えてそのまま放置し、ゆっくり目を閉じる。

 何も思い出したくない。三年前、何があったのかも。最後に見た仲間だった者達の表情も。そして、かつて自分の名前であったものさえ。

 寝ても忘れられるものではない。けれど、夢の中では考えることもない。今でも胸を苛む記憶を押し込めるように、灯りを見ながらそっと瞼を下ろした。




 シエラ。ライア。ニミ。セズ。

 死ぬなら一緒だ、とずっと言い合った仲間だった。五人の関係は特別だと、永遠に変わらないと、皆がそう思っていた筈だった。

 だから知らなかった。私は、私の知らないところで、私だけ除け者にされる未来があるだなんて。


「私は絶対に謝らない。もういいの、来ないで。貴女の役目は、もうこの先無いの」


 セズの声は今も思い出せる。


「イブだって分かってるでしょ? 貴女が一緒についてきて、何が出来るっていうのよ」


 ニミの弧を描いた口許が瞼に焼き付いている。


「……私は、……何も、もう、言う事が無い」


 ライアは私を見る事もなかった。


「ごめんね、イブ。一緒に死のうって言葉、嘘にしていいかな」


 シエラの声は、いつもの明るい音じゃなかった。


「イブとは、一緒に死にたくない」


 シエラの一言が、どれだけ辛くて苦しくて悲しくて悔しかったか。

 貴女達は、知っていても知らない振りをしたんでしょうね。


 私が、足手纏いだったから。



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