筆箱

口羽龍

筆箱

 形原進(かたはらすすむ)は都内に住む小学生5年生。両親とマンションに住んでいる。テレビゲームはするが、そんなにしない。塾に勉強に忙しいからだ。そのおかげか、成績が良く、私立の中学校に進学しようとしている。


 それは父の影響だ。父はとある一流企業の上層部で、進も将来その上層部に入ってほしいと言われている。そのため、早い段階から高い位の教育を受けてほしい。だから、勉強に力を入れるように言われていて、私立中学校への進学もその影響だ。


 今日は休みだ。だが進の勉強に休みはない。この日は同級生も来ていて、一緒に勉強をしている。山口明子(やまぐちあきこ)だ。明子は私立中学校に進学する気持ちはなく、成績は良くない。だが、成績がよくなりたいと思っていて、わからない時は進に頼っている。


 昼から一緒に勉強をしていたが、もう夕方だ。家に帰らないと両親が心配する。


「いつもありがとうね」


 明子は笑みを浮かべた。成績がそんなに悪くても教えてくれる進はとても優しい。将来、本格的に付き合いたいな。そして、結婚できたらな。


「いいよ。友達だもん」


 進も笑みを浮かべた。付き合いは順調で、両思いだ。このまま結婚までいけたらな。


「ありがとう」


 進と明子は玄関の前にやって来た。残念だけど、もう時間だ。


「じゃあね」

「じゃあね」


 明子は家に帰っていった。進は玄関の前でじっとしている。今日も一緒に勉強する事ができた。それだけで満足だ。また今度、一緒に勉強しよう。


 進は部屋に戻ってきた。勉強机の椅子の横にはもう1つ椅子がある。そこに明子が座っていた。素晴らしい時間が蘇る。もっといたいのに、もう時間だ。残念だけど、また今度だ。


 進は机を見た。机にはノートがまだ残っている。今日の勉強は終わった。ノートを片付けないと。


 進はノートを片付け始めた。と、自分のではない筆箱を見つけた。どうやら明子の筆箱のようだ。


「あれっ・・・」


 これは明子に戻さないと。進はリビングに向かった。行くとなると、母に一言声をかけないと。


 進はリビングにやって来た。リビングには母がいる。母はテレビを見てくつろいでいる。


「どうしたの?」


 進がいる。何かを言いたそうな表情だ。母は首をかしげた。


「明子ちゃんが筆箱を忘れてる」


 進は明子の筆箱を見せた。母は驚いた。まさか明子が筆箱を忘れるとは。


「あら、そう。届けないと」

「じゃあ、届けてくるね」

「わかった」


 進は玄関に向かった。母はその様子を見ている。すぐ帰ってくるだろう。安心して待っていよう。


 進は自転車で明子の家に向かった。明子の家はここから自転車で10分の1軒家だ。そんなに遠くない。すぐに帰れるだろう。


 その途中、進は交通事故の現場を見た。現場には警察がいる。どうやら事故を起こした人のようだ。見るからに80歳代の男性だろうか? 最近、高齢者ドライバーによる交通事故が多い。返納すべきだと言われても、返納しない人が多いという。先月、田舎に暮らす祖父が返納するように催促されたそうだが、返納しようとしなかったようだ。農作業に車を使うので、運転免許が必要らしい。もう80歳を超えてるのに。


「あれっ、事故かな?」


 進は何だろうと思った。だが、進はそんなのに興味はない。早く明子に筆箱を届けないと。早く渡して帰らないと母が心配する。


 進は明子の家にやって来た。明子の家は2階建てで、家の周りには何本かの木が生えている。辺りは静かな住宅街だ。歩いている人は少ない。


 進は玄関にやって来た。外から明かりが見えない。電気がついていないようだ。進はインターホンを鳴らした。


「ごめんくださーい」


 だが、中から音がしない。出かけているんだろうか? まだ帰ってないんだろうか?


「あれっ?」


 進は首をかしげた。もう明子は帰っているはずだ。両親がいるはずだ。なのに、誰もいない。どうしたんだろう。


「ごめんくださーい」


 その時、隣の家の人が玄関から顔を出した。進の声に反応したようだ。


「どうしましたか?」


 隣の人は疑問に思った。誰もいない隣の家に、何の用だろう。今さっき、慌てて出かけて行ったのに。


「山口明子さんに忘れた筆箱を届けようと思って」


 進は正直に答えた。そして、筆箱を見せた。


 隣の人はせわしない様子だ。何か大変な事があったような表情だ。


「その明子さん、交通事故に遭ったのよ。86歳のドライバーがブレーキとアクセルを踏み間違えてぶつかってしまったんだって」

「えっ!?」


 進は驚いた。まさか、明子が交通事故に遭ったとは。数十分前に会ったのに。どうしてそんな事が起こるんだろう。


 と、進は明子の家に向かう途中で見かけた交通事故の現場を思い出した。まさか、あれは明子が交通事故に遭った現場だろうか?


「だから、お父さんとお母さん、慌てて家を出て行ったのよ」

「そ、そんな・・・」


 だから家の中が暗くて、誰も反応がなかったのか。進はガレージを見た。そこには停まっているはずの車がない。恐らく病院に向かったんだろう。


「この病院にいるわ。行ってやりなさい」


 隣の人は紙切れに病院の名前と地図を書いて、進に渡した。早く行かないと。明子の命が危ないかもしれない。


「あ、ありがとうございます」


 進は大急ぎで病院に向かった。どうか生きて。また一緒に遊ぼう。また一緒に勉強しよう。




 数十分自転車で走って、進は病院にやって来た。病院に行くのは何年ぶりだろう。だが、考えている時間なんてない。早く明子の元に行かないと。


 進は病院に入った。中には入院患者や診察待ち、診察後の人が何人もいる。だが、明子の姿はない。一体どこにいるんだろう。


 進は受付にやって来た。受付には1人のナースがいる。明子がどの部屋にいるのか、この人に聞こう。そして、一刻も早く明子の所に行こう。


「山口明子さんの病室はどこですか?」


 進は受付のナースに聞いた。ナースは冷静な表情だ。


「507号室ですけど」

「あ、ありがとうございます」


 進は507号室に急いだ。だが、病院では走ってはならない。入院患者などが歩いている。ぶつかったらとんでもない事になる。進は歩いて507号室に向かう事にした。


 約5分後、進は507号室にやって来た。入口には『山口明子』の札がかかっている。それを見て、やはり明子は交通事故に遭ったんだと改めて感じる。信じられないけど、本当の話だ。


「お邪魔します」


 進は病室にやって来た。そこには明子の両親がいる。両親は肩を落としている。まさか、死んだんだろうか? 不安が頭をよぎった。


「うっ・・・、うっ・・・」


 進がベッドの横にやって来ると、母が泣いている。父はベッドをじっと見ている。


「ど、どうしたんですか?」


 進はベッドを見た。そこには顔に白い布をかぶせられた誰かが仰向けになっている。明子ぐらいの大きさだ。まさか、明子だろうか?


「こ、これが・・・、明子ちゃん?」

「うん・・・」


 母は泣きながらうなずいた。なかなか声が出ない。あまりにも突然の事で、信じられないようだ。


「どうして布をかぶせてあるの?」


 進は明子が布をかぶせられている意味がわからなかった。それが死んだ人にかぶせられるものだと知らなかった。


「死んじゃったからよ」


 進は呆然とした。1時間足らず前まで元気だった明子がこうなってしまうなんて。これが絶対に夢だ。こんなの現実じゃない。どうか夢から覚めてくれ!


「そ、そんな・・・。嘘だ! 嘘だと言ってくれー!」


 明子の父は泣き崩れた。父も信じられないようだ。一生懸命育ててきたのに、こんな事で命を落とすなんて。神様はどうしてこんなひどい事をするんだろう。そして、それを起こした高齢者ドライバーが憎い。高齢者ドライバーは運転免許を返納すべきだ。


「本当なのよ・・・」


 と、進は持ってきた明子の筆箱を出した。母は驚いた。どうして進は明子の筆箱を持っているんだろう。


「この筆箱を返そうと思って」

「そうなんですか・・・」


 進は母に筆箱を渡した。母は涙が止まらない。忘れ物をしたのに、戻る事はなく死んでしまった。


「ごめんなさいと言えずに死んじゃうなんて・・・」


 進も泣き崩れた。渡すとごめんなさいと言ってくれると思っていた。だけど、死んでしまい、もうごめんなさいと言ってくれない。


 と、そこに進の母もやって来た。明子が交通事故で死んだのを知ってやって来たようだ。母は泣いていないが、悲しい表情をしている。


「大丈夫?」


 進の母は進を抱きしめた。突然死ぬ事がどんなに辛い事か、わかっている。数年前に突然、祖母を亡くした。その気持ちがよくわかる。


「辛いよ・・・」


 進は母の腕の中で涙を流した。母は進の頭を撫でた。早く泣き止んでほしい。そして、前向きに生きてほしい。


「わかるわ・・・」

「返したかったのに・・・」


 母は知っている。進は明子が忘れた筆箱を届けようとしていたのを。なのに、戻る事なく死んでしまった。


「机においてやろうよ」


 母は提案した。明子の机にその筆箱を置いてやろう。それが明子への供養にもなるだろう。きっと、天国の明子も喜んでくれるだろう。


「うん」


 進は病室を出た。まだ涙が止まらない。目の前の事が信じられない。だけど、これからは明子のいない日々を生きていかなければならない。いつになったらそれに慣れる事ができるんだろう。




 その夜、進は夢を見た。通っている小学校にいる夢だ。すでに今日の授業は終わり、生徒たちは帰り始めている。


 屋上にやって来ると、1人の少女がいる。明子だ。最後に会った時の服装だ。明子は屋上から生徒を見ている。先に天国に行ってしまい、彼らはどんな気持ちだろう。


「進くん・・・」


 進に気付くと、明子は振り向いた。明子は笑みを浮かべている。


「明ちゃん・・・」


 進は明子の元に向かった。明子は進を待っているようだ。


「忘れてごめんね」

「いいんだよ・・・」


 進は明子の元にやって来ると、持っていた筆箱を渡した。明子は筆箱を手に取った。やっと自分の元に戻ってきた。だけど、もうこの世にはいない。


「ごめんねと言えなくて、ごめんね」

「いいよ」


 進は明子を抱きしめた。明子を抱きしめるのは、もうこれが最後だ。この瞬間を大切にしよう。


「私の分まで、一生懸命生きてね」

「わかった。一生懸命生きるよ」


 いつの間にか、進は涙を流した。もうこの世で会えないと感じると、自然と涙が出てくる。


「短い間だったけど、ありがとうね」

「一緒にいた日々、忘れないよ」


 すると、明子はゆっくりと進の元から離れていった。それを感じて、進は前を向いた。明子の背中には羽が生え、頭には天使の輪がある。天へと昇っていくようだ。進はその様子をじっと見ている。


「さよなら」

「さよなら」


 明子は天へと昇っていき、やがて見えなくなった。見えなくなると、進は屋上の階段に向かって歩き出した。これからは明子のいない日々を生きていかなければならない。寂しいけれど、それを忘れるぐらい楽しい日々を送ろう。そして、新しい女の子と仲良くなり、恋をして、そして結婚しよう。明子ができなかった分の恋もするんだ。


 その時、曇っていた空が明るくなった。まるで自分のこれからの人生にエールを送っているかのように見えた。短い間だったけど、ありがとう。明子が生きられなかった分も生きてみせるよ。

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筆箱 口羽龍 @ryo_kuchiba

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