第十一話  伎楽、其の二

 とりの刻。(夜5〜7時。)

 新嘗祭にいなめさいの当日。


 陽は落ち、可我里火かがりびがあちこちで焚かれ、九日月ここのかづき煌煌こうこうとあたりを照らし、明るい。


 オレは一人で、人波のなかに埋もれそうになりながら立っていた。


 両手には、顔の半分くらいある大きな握り飯を持っている。

 右には、塩握り。

 左には、菜づ菜握り。

 右、左、次々に頬張り、贅沢に胸を踊らせていると、伎楽ぎがくが始まった。


 白、赤、青、栗色。

 色とりどりの仮面をつけ、鮮やかな衣装に身を包んだ人々が舞台まで練り歩き、舞台の階段を登って行く。


 皆、動きがゆっくりで、鼻がつきでた白い仮面の小男こおのこが、腕を丸く、円を描くように上にあげる動作が、とくに面白い。


 白い仮面のおみなが、栗色の顔をゆがめた仮面のおのこにからまれているように見える。

 赤い怒った仮面の大男おおおのこが、おみなをかばうように現れる。


(楽しいなぁ!)


 オレはワクワクしながら、夢中で見入って、あっという間に握り飯を食べ終わってしまった。

 こんなに見てるだけで楽しいのに、なんで親父は来るのを嫌がったんだろう?

 本当、理解できないや。


 白い仮面のおみなは、うつむきがちで、顔をしきりにそでで隠そうとする。

 きっと、美しいおみなで、恥ずかしがってるのかな。

 困ってるだけなのかな。

 あの、赤い仮面の大男おおおのこが、もしかして良い人なのかしら。

 でも、赤い仮面は、すごく怒ってる。

 目は釣り上がり、歯はくいしばっている。

 おみなから見たら、怖いんじゃないかな?

 どうなんだろう?


「ねぇ、母刀自。」


 どう思う?

 とオレは笑顔で振り返って、母刀自に聞こうとして、愕然がくぜんとした。

 母刀自はいない。

 オレは一人。


「あっ……。」


 何をやってるんだ、オレは。

 母刀自をちゃんと、土に埋めてやったじゃないか。

 オレは一人。

 伎楽ぎがくが面白いね、あの赤い仮面のおのこについて教えて。

 そんなことを話す相手すらいない。


「あ……。」


 寂しい。

 胸のなかが、ザラザラして。

 重く、冷たい。

 誰か。


 オレは周りをキョロキョロと見廻す。

 身なりの良い沢山の人が、皆伎楽ぎがくに見入って、笑っている。

 でも、誰も、オレと一緒に見てくれない……。

 オレは、くるりと身をひるがえし、人の輪の外へ出ようとする。

 もう、ご馳走も、伎楽ぎがくも、いい。

 無理やり人の流れに逆らおうとしたので、知らないおみなにぶつかってしまった。


下人げにんがチョロチョロしてるんじゃないわよ! 

 庭のはじにすっこんでな!」


 きっと、上毛野君かみつけののきみの屋敷の女官じゃない、小豆あずき色の衣のおみな……、綺麗に化粧をしたおみなにすごまれた。

 ひっ、と身がすくみ、


「ご、ごめんなさい。」


 と震え、泣きそうになりながら、必死に足を動かし、その場を逃げ出す。


 来るんじゃなかった。

 楽しもうなんて、何を期待していたのだろう。

 オレなんか庭のはじに、大人しくすっこんでれば良かった。

 なんて場違い……。


 あえぎ、人波から離れ、つき(けやき)の根本にたどり着く。

 ここなら、人の邪魔にならない。

 オレは座り込み、小さくなる。


 衛士舎えじしゃに帰りたい。

 でも、今、あそこは人がいない。

 冷たい夜の静けさの中で、あそこが見知らぬ、恐ろしい場所にもし見えてしまったら。

 そしたらもう、オレは行くところがない。怖い。

 誰か……。

 誰かオレと一緒にいて。


三虎みとら……。)


 オレは小さくなり、下を向き、己の膝を抱き、しくしく泣く。

 ふところを探り、いつも身につけている、母刀自のつみ(つげ)のくしの入った、撫子なでしこ色の木綿の袋を取り出し、握り占める。


「おい。」


 おのこに声をかけられた。


「三虎?!」


 はっ、と顔をあげると、卯団うのだん衛士えじ薩人さつひと老麻呂おゆまろが立っていた。

 二人で組んで、警邏けいらの最中だ。

 老麻呂おゆまろは三十一歳、ガッチリしてるが、すこし腹がでてる。

 薩人さつひとは二十二歳。背が高く、ひょろっと線が細い。

 オレは、声をかけてくれた薩人さつひとに泣きながら、がばっと抱きついた。


薩人さつひと! 老麻呂おゆまろ! 

 オレ……。一緒にいて!

 一緒に、見廻りに連れて行って!」


「えっ? そんなこと言われても、おつとめだからなあ……。どうしたんだよ、古流波こるは?」


 ひたすら困ったように、薩人さつひとが言う。


「三虎……、三虎はどこなの?」


 今すぐ、三虎に、抱きしめてほしい。

 初めて会った時のように。


「それこそ……、なあ?」


 老麻呂おゆまろが、温厚そうな顔で首を振った。


「あそこだよ。それこそ、あんなところに連れてけねぇぜ。今はな。」


 と薩人さつひとが優しく言って、舞台を指さした。

 もう、伎楽ぎがくは終わったようだ。

 遠目ではあるが、わかる。

 一人のおのこが、伎楽よりもっと華やかな衣装で、舞台で舞っている。

 手に細い棒を持ち、仮面は怖い。

 人ではないものをかたどっている。

 音楽も華やかで、動きが洗練され、綺麗だ。


「今、蘭陵王らんりょうおうを舞ってるのが大川おおかわさま。三虎は、舞台近くで控えてるはずさ。そのあとは、あっち。」


 と薩人さつひとは、舞台から東のほうを指さした。

 舞台より低いが、広場より一段高い場所が作られていて、そこには倚子と机が用意され、家人けにんにかしずかれてる人たちの姿があった。


国司こくしさまや、広瀬ひろせさまの座る席。」


 オレはじっと、その遠い席を見つめた。

 遠い……。


(遠いなぁ……。)



 三虎は、上野国大領かみつけのくにのたいりょうの一人息子の従者なのだ。

 本当によく、あの雪道を二人が通りかかったものだ。

 三虎はあまりにも遠い。


 寂しさとはまた別の悲しさが込み上げてきた。

 やっぱり目を涙でぬらしながら、オレは少し落ち着いた。

 握りしめた撫子なでしこ色の木綿の袋を、懐にしまう。


「あそこに連れてけ、なんて言わないよ。だけど、一人でいたくない気分なんだ。衛士舎えじしゃには今、誰もいないんだろ?」


 そう、うつむきつつ言うと、薩人さつひと老麻呂おゆまろが顔を見合わせた。

 老麻呂おゆまろは大きなゴツゴツした手を差し出し、


「なら、荒弓あらゆみのところに連れてってやる。おいで。」


 と優しい笑顔でオレの手をひいてくれた。

 道すがら、なぜ泣いてるか聞かれ、ぶつかったおみなに言われたことを話した。





     *   *   *





 祭りの中心から少し離れたところに、卯団うのだんの衛士が集まる場所が設けられ、荒弓は警邏けいらにはまわらず、必ずそこにいるのだという。

 泣きながらその詰所つめしょに行くと、


「オイオイ、どうした?」


 と詰所にいた衛士えじが集まってきてくれた。

 薩人さつひとが荒弓に、


「一人で泣いてるところを見つけました。どうやら、ぶつかったおみなに、下人げにんがうろつくな、と、心無いことを言われたようで……。」


 と報告する。


「おお、泣くな古流波こるは。気にするなよ。」


 と荒弓が大きい身体で、ぼふっと抱きしめてくれた。

 あったかい。

 嬉しい。

 涙が出る……。


 荒弓はすぐ身体を離し、


「祭りで母刀自を思い出したか。配慮が足りんかったな。」


 と、すまなそうに言った。

 気遣いをありがたい、と思うのに、オレは、ふっ、と笑ってしまった。


「祭りで母刀自を思い出す? 一回も、母刀自と祭りに行った思い出がないのに?」


 オレは、ふふふ、と泣きながら笑い、荒弓も、皆も、一様いちようにぎょっとした顔をした。


 ああ……、やってしまった。

 オレは今、自分で自分をあざける、みにくわらはの顔をしているだろう。

 それでも顔を歪めながら、


「オレ、祭りに行ったの、今日が初めてなんだ。

 クソ親父が祭り嫌いだった。

 今年、初めて、母刀自と、祭りに、行けるはず…で……。」


 言葉は最後まで言えず、


「わああん!!」


 とオレは大声で泣き出してしまった。

 あとは泣いて泣いて、皆に頭を撫でられ、代わる代わる抱きしめてもらったり、色々声をかけてもらったが、良く覚えてない。

 泣きつかれて、眠りに落ちる寸前、


「迷惑かけて、ごめんなさい。」


 と、なんとか謝罪の言葉を口にし、泥沼に引きずりこまれるように眠りに落ちた。


 



      *   *   *





 とらの刻。(午前3~5時。)


 明け方まで宴は続くのだが、全員がそれにつき合わなくても良い。

 大川おおかわさまが自室で眠りについたので、三虎も寝る。


「ふああ……。く。」


 三虎は生あくびを噛み殺しながら、卯団うのだんの詰所に顔をだす。


「お?」


 詰所の隅っこに、革衣かわごろも外套がいとうこものようにかけられた古流波こるはが、小さくなって寝てる。


「なんで衛士舎えじしゃで寝てねぇの?」


 と荒弓にきくと、何があったか話してくれた。


「父親が祭り嫌いで、今までさとの祭りに行ったことが一回もないと言ってました。」


 と言うのを聞いて、思わず、


「えっ?」


 と驚いてしまった。

 郷人さとびとは日々の生活のなかで、祭りを一番楽しみにしてると言っても過言ではない。

 祭りを楽しみとせず、何を楽しみに生きてきたのだろう?

 そんな郷人さとびとがいるなんて。

 変わった父親だ……。


「まさか、それは考えつかなかったな。」


 だから、祭りに行けると知って、あんな不安そうな顔していたのか。


「ええ、本当に。一人でたまには仕事を忘れ、ゆっくり祭りを楽しめば良い、と送りだしましたが、一人にしないほうが良かったかもしれません。」


 荒弓の顔には哀れみがある。


「母刀自を亡くして間もないわらはであることを思えば……。」

「そうだな。」


 三虎はため息をつき、眠る男童おのわらはを起こさぬよう抱き上げる。


「ん。」


 と男童おのわらははつぶやき、すやすや眠り続ける。


「このまま運ぶ。先に寝る。あとは任せた。」

「お任せください。」


 頼もしくうなずく荒弓に見送られ、衛士舎へむかう。



 東の赤見山あかみやまの稜線が細い明るい線となり、輪郭をはっきりと夜闇に描き出す。

 夜明けまで、あともう少しだ。


「ふあぁ……。」


 またしてもあくびがでる。

 腕のなかの古流波が、目を閉じたまま、


「母刀自……。」


 とつぶやいて涙を流す。


(寝る前も泣き通しだったんだろ?)


「あんま泣くなよ。」


 と小さく声をかけるが、


(母刀自を亡くして間もないわらはであることを思えば……。)


 無理な話か。

 母刀自が生きていれば、初めて今年、一緒にさとの祭りに行けるはずだった、か……。

 哀れだ。


 ───三虎は一緒に祭りに行ってくれるの?


 遠慮がちに古流波こるはは聞いた。

 古流波の本心だというのがわかる。


(でもオレは大川おおかわさまの従者だ。

 できない。)


 眠り、静かに泣くわらはの顔を見下ろし、


「すまないな。」


 ため息とともに、そう告げる。














 


 きんくま様からファンアートをちょうだいしました。

 きんくま様、ありがとうございました。

「──十一月になったら、

 実りの祭りに行きましょうね。」

と、古志加に告げる母刀自は、このような顔をしていたことでしょう。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093077833925571



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