第十話  伎楽、其の一

 ここに来て、十日くらいしてから、


「もうすぐ新嘗祭にいなめさいだろ。その日は、仕事はそこそこで良い。祭りは楽しいぞぉ。

 眠たくなるまで、遊んで良いからな、古流波こるは。」


 と荒弓あらゆみが言ってくれた。オレはびっくりして、


「え……、オレも行って良いの?」


 と聞き返してしまった。


昼番ひるばんも仮眠をとって、夜の警邏けいらにつく。どうせ、衛士舎えじしゃは空っぽになる。」

「オレ……、オレ……。」


 オレは戸惑い、うつむき、灰汁色あくいろ上衣うわごろもすそを、ぎゅっ、と握りしめた。


 もちろん、興味はあるけど、あまり、嬉しくない。

 オレは、祭りに行ったことがない。

 どんな風に過ごせば良いんだろう?

 それより普段通りの仕事をして、皆の世話をしてるほうが、よっぽど気が楽だ。

 荒弓あらゆみは、


「うん?」


 と首をかしげ、


「別に、ぜにの心配はしなくて良い。

 郷人さとびとが来る祭りではない。

 国司こくしさまや、役人のための宴だ。

 家人けにんにも川魚かわなのあら汁や、握り飯など、たっぷり振る舞われる。

 ご馳走が腹いっぱい食べれるぞ。」


 と、ニコニコしながら言ってくれた。

 握り飯……。大きいの、三個食べれるかな?


「うん、ありがとう。」


 オレはちょっと楽しみになり、笑顔でお礼を言うことができた。





     *   *   *





 板鼻郷いたはなのさとでは、十一月、米の収穫を終えた実りの祭りがある。

 時期が近づくと、いちの話題が祭りで持ち切りになる。


 わらは伎楽ぎがくが楽しみだと話し、年頃のおみなは、誰それがかっこいい、と頬を染めて話し、大人はご馳走の算段をする。

 皆、祭りを心待ちにして、楽しそうに話す。


 もちろん、母刀自ははとじやオレに話してくれるわけではない。

 オレは、話を耳にするだけだ。

 でも、皆の様子から、楽しいんだろうな、ということだけはわかる。


 それなのに、クソ親父がオレと母刀自が祭りに行くのを許さなかったせいで、オレは祭りに行ったことがない。八歳のころ、


「行ってみたい。」


 と口にしたことがある。酔った親父は、口から唾を飛ばし、


「けっ、色気づきやかって、バカが!」


 土師器はじきはいが飛んできた。


「オレらみたいな半端者はんぱものが、行って楽しめると思ったか。

 誰にも相手にされず終わりだ。」


 土師器はじき酒壺さかつぼが飛んできた。中はから


「許さねえぞ、しいなぬか(役に立たない残り物。かす。)め!」


 土師器はじきの皿が飛んできた。全部避けた。


「クソ親父!」


 オレは舌を出し、逃げ出す。

 そんな時、母刀自は、いつも悲しそうな顔でうつむいて、黙ってオレを見ていた。

 ……逃げ出すといっても、家から出ただけだ。

 禁じられては、祭りには行けない。

 オレは左腕をさすりながら、


「本当に、祭りに行っても楽しめないのかな。」


 と一人つぶやく。

 祭りの当日、いつも家にたむろしていたガラの悪いおのこたちは、誰一人、いなかった。


(楽しめないのは、親父だけじゃないのかな……。)


 そう思いつつ、祭りの当日も、三人で、いつものように家族で過ごすのだった。




 でも、今年は、母刀自と二人で行けるはずだった。


 ──十一月になったら、実りの祭りに行きましょうね。

 祭りは、本当に楽しいのよ。


 母刀自はそう言って、嬉しそうに笑っていた。


 でも、母刀自には、十一月は来なかった。





     *   *   *






 その夜。

 三虎みとら衛士舎えじしゃに寝る前にやってきて、ふああ、と伸びをし、


「祭りが近い。良かったな。」


 とオレを見て、全く無表情に言った。オレは、


「うん。」


 とうなずきなから、目を泳がせてしまう。


「なんだ。楽しみじゃないのか。変なヤツ。」


 といぶかしむように三虎が言う。オレはギクリとし、


「ううん、楽しみだよ。三虎は、一緒に祭りに行ってくれるの?」


 と訊く。


「オレはずっと大川おおかわさまの側。当たり前だろ。」


 三虎は冷たく言い放つ。

 ……きっと、一人で祭りに行くことになる。

 衛士舎えじしゃに残っても、その日は一人だ。

 オレは、一人で夜、寝たことがない。

 母刀自が黄泉よみに下った日以外は……。


古流波こるは?」


 オレが塞ぎこんでいるので、三虎が首をかしげて、左腕にそっと触れた。


「なんでそんな顔してるんだ?

 祭りの話で、そんな顔をするわらははいないぞ?」


 三虎が触れた左腕から響神なるかみ(雷)が走ったように、オレは全身に緊張を走らせてしまう。顔を引きつらせながら、


「親父が……。」


 と言いかけ、がばっと三虎に抱きついて、言葉の続きを呑み込んだ。


古流波こるは?」


 三虎は戸惑いつつ、優しく声をかけてくれるが、


「なんでもない。祭りが楽しみ。」


 オレは三虎の清潔な良い匂いを、すぅっと吸い込みながら、顔を隠したまま、そう言った。

 親父の話なんてしたくない。

 親父に禁じられたせいで、ただの一度も祭りに連れて行ってもらったことのない、変わり者のわらはだなんて、知られたくない……。





  








 ↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093080751476590


  

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