第八話 伎楽 〜ぎがく〜
ここに来て、十日くらいしてから、
「もうすぐ
眠たくなるまで、遊んで良いからな、
と
「え……、オレも行って良いの?」
と聞き返してしまった。
「
「オレ……、オレ……。」
オレは戸惑い、うつむき、
もちろん、興味はあるけど、あまり、嬉しくない。
オレは、祭りに行ったことがない。
どんな風に過ごせば良いんだろう?
それより普段通りの仕事をして、皆の世話をしてるほうが、よっぽど気が楽だ。
「うん?」
と首をかしげ、
「別に、
ご馳走が腹いっぱい食べれるぞ。」
と、ニコニコしながら言ってくれた。
握り飯……。大きいの、三個食べれるかな?
「うん、ありがとう。」
オレはちょっと楽しみになり、笑顔でお礼を言うことができた。
* * *
時期が近づくと、
皆、祭りを心待ちにして、楽しそうに話す。
もちろん、
オレは、話を耳にするだけだ。
でも、皆の様子から、楽しいんだろうな、ということだけはわかる。
それなのに、クソ親父がオレと母刀自が祭りに行くのを許さなかったせいで、オレは祭りに行ったことがない。八歳のころ、
「行ってみたい。」
と口にしたことがある。酔った親父は、口から唾を飛ばし、
「けっ、色気づきやかって、このガキ!」
「オレらみたいな
誰にも相手にされず終わりだ。」
「許さねえぞ、バカめ!」
「クソ親父!」
そうオレは舌を出し、逃げ出す。
そんな時、母刀自は、いつも悲しそうな顔でうつむいて、黙ってオレを見ていた。
……逃げ出すといっても、家から出ただけだ。
禁じられては、祭りには行けない。
オレは左腕をさすりながら、
「本当に、祭りに行っても楽しめないのかな。」
と一人つぶやく。
祭りの当日、いつも家にたむろしていたガラの悪い
(楽しめないのは、親父だけじゃないのかな……。)
そう思いつつ、祭りの当日も、三人で、いつものように家族で過ごすのだった。
でも、今年は、母刀自と二人で行けるはずだった。
──十一月になったら、
実りの祭りに行きましょうね。
祭りは、本当に楽しいのよ。
母刀自はそう言って、嬉しそうに笑っていた。
でも、母刀自には、十一月は来なかった。
* * *
その夜。
「祭りが近い。良かったな。」
とオレを見て、全く無表情に言った。オレは、
「うん。」
と
「なんだ。楽しみじゃないのか。変なヤツ。」
と
「ううん、楽しみだよ。三虎は、一緒に祭りに行ってくれるの?」
と訊く。
「オレはずっと
三虎は冷たく言い放つ。
……きっと、一人で祭りに行くことになる。
オレは、一人で夜、寝たことがない。
母刀自が
「
オレが塞ぎこんでいるので、三虎が首をかしげて、左腕にそっと触れた。
「なんで、そんな顔してるんだ?
祭りの話で、そんな顔をする
三虎が触れた左腕から雷が走ったように、オレは全身に緊張を走らせてしまう。顔を引きつらせながら、
「親父が……。」
と言いかけ、がばっと三虎に抱きついて、言葉の続きを飲み込んだ。
「
三虎は戸惑いつつ、優しく声をかけてくれるが、
「なんでもない。祭りが楽しみ。」
オレは三虎の清潔な良い匂いを、すぅっと吸い込みながら、顔を隠したまま、そう言った。
親父の話なんてしたくない。
ただの一度も、親父に祭りに連れて行ってもらったことのない、変わり者の
* * *
七夕祭りの当日。
陽は落ち、でも
オレは一人で、人波のなかに埋もれそうになりながら立っていた。
両手には、顔の半分くらいある大きな握り飯を持っている。
右には、塩握り。
左には、菜づ菜握り。
右、左、次々に頬張り、贅沢に胸を踊らせていると、
白、赤、青、栗色。
色とりどりの仮面をつけ、鮮やかな衣装に身を包んだ人々が舞台まで練り歩き、舞台の階段を登って行く。
皆、動きがゆっくりで、鼻がつきでた白い仮面の
白い仮面の
赤い怒った仮面の
(楽しいなぁ!)
オレはワクワクしながら、夢中で見入って、あっという間に握り飯を食べ終わってしまった。
こんなに見てるだけで楽しいのに、なんで親父は来るのを嫌がったんだろう?
本当、理解できないや。
白い仮面の
きっと、美しい
困ってるだけなのかな。
あの、赤い仮面の
でも、赤い仮面は、すごく怒ってる。
目は釣り上がり、歯はくいしばっている。
どうなんだろう?
「ねぇ、母刀自。」
どう思う?
とオレは笑顔で振り返って、母刀自に聞こうとして、
母刀自はいない。
オレは一人。
「あっ……。」
何をやってるんだ、オレは。
母刀自をちゃんと、土に埋めてやったじゃないか。
オレは一人。
そんなことを話す相手すらいない。
「あ……。」
寂しい。
胸のなかが、ザラザラして、
重く、冷たい。
誰か。
オレは周りをキョロキョロと見廻す。
身なりの良い沢山の人が、皆
でも、誰も、オレと一緒に見てくれない……。
オレは、くるりと身を
もう、ご馳走も、
無理やり人の流れに逆らおうとしたので、知らない
「
庭のはじにすっこんでな!」
きっと、
ひっ、と身が
「ご、ごめんなさい。」
と震え、泣きそうになりながら、必死に足を動かし、その場を逃げ出す。
来るんじゃなかった。
楽しもうなんて、何を期待していたのだろう。
オレなんか庭のはじに、大人しくすっこんでれば良かった。
なんて場違い……。
あえぎ、人波から離れ、
ここなら、人の邪魔にならない。
オレは座り込み、小さくなる。
でも、今、あそこは人がいない。
冷たい夜の静けさの中で、あそこが見知らぬ、恐ろしい場所にもし見えてしまったら。
そしたらもう、オレは行くところがない。怖い。
誰か……。
誰かオレと一緒にいて。
(
オレは小さくなり、下を向き、己の膝を抱き、しくしく泣く。
「おい。」
「三虎?!」
はっ、と顔をあげると、
二人で組んで、
オレは、声をかけてくれた
「
オレ……。一緒にいて!
一緒に、見廻りに連れて行って!」
「えっ? そんなこと言われても、お
ひたすら困ったように、
「三虎……、三虎はどこなの?」
今すぐ、三虎に、抱きしめてほしい。
初めて会った時のように。
「それこそ……、なあ?」
「あそこだよ。それこそ、あんなところに連れてけねぇぜ。今はな。」
と
もう、
遠目ではあるが、わかる。
一人の
手に細い棒を持ち、仮面は怖い。
人ではないものを
音楽も華やかで、動きが洗練され、綺麗だ。
「今、
と
舞台より低いが、広場より一段高い場所が作られていて、そこには倚子と机が用意され、
「
短く
オレはじっと、その遠い席を見つめた。
遠い……。
(遠いなぁ……。)
毎夜、寝る時に一緒にいてくれるから、つい忘れてしまうけど、
本当によく、あの雪道を二人が通りかかったものだ。
三虎はあまりにも遠い。
寂しさとはまた別の悲しさが込み上げてきた。
やっぱり目を涙でぬらしながら、オレは少し落ち着いた。
握りしめた
「あそこに連れてけ、なんて言わないよ。だけど、一人でいたくない気分なんだ。
そう、うつむきつつ言うと、
「なら、
と優しい笑顔でオレの手をひいてくれた。
道すがら、なぜ泣いてるか聞かれ、ぶつかった
* * *
祭りの中心から少し離れたところに、
泣きながらその
「オイオイ、どうした?」
と詰所にいた
「一人で泣いてるところを見つけました。どうやら、ぶつかった
と報告する。
「おお、泣くな
と荒弓が大きい身体で、ぼふっと抱きしめてくれた。
あったかい。
嬉しい。
涙が出る……。
荒弓はすぐ身体を離し、
「祭りで母刀自を思い出したか。配慮が足りんかったな。」
と少しすまなそうに言った。
気遣いをありがたい、と思うのに、オレは、ふっ、と笑ってしまった。
「祭りで母刀自を思い出す? 一回も、母刀自と祭りに行った思い出がないのに?」
オレは、ふふふ、と泣きながら笑い、荒弓も、皆も、
ああ……、やってしまった。
オレは今、自分で自分を
それでも顔を歪めながら、
「オレ、祭りに行ったの、今日が初めてなんだ。
クソ親父が祭り嫌いだった。
今年、初めて、母刀自と、祭りに、行けるはず…で……。」
言葉は最後まで言えず、
「わああん!!」
とオレは大声で泣き出してしまった。
あとは泣いて泣いて、皆に頭を撫でられ、代わる代わる抱きしめてもらったり、色々声をかけてもらったが、良く覚えてない。
泣きつかれて、眠りに落ちる寸前、
「迷惑かけて、ごめんなさい。」
と、なんとか謝罪の言葉を口にし、泥沼に引きずりこまれるように眠りに落ちた。
* * *
明け方まで宴は続くのだが、全員がそれにつき合わなくても良い。
「ふああ……。く。」
三虎は生あくびを噛み殺しながら、
「お?」
詰所の隅っこに、
「なんで
と荒弓にきくと、何があったか話してくれた。
「父親が祭り嫌いで、今まで
と言うのを聞いて、思わず、
「えっ?」
と驚いてしまった。
祭りを楽しみとせず、何を楽しみに生きてきたのだろう?
そんな
変わった父親だ……。
「まさか、それは考えつかなかったな。」
だから、祭りに行けると知って、あんな不安そうな顔していたのか。
「ええ、本当に。一人でたまには仕事を忘れ、ゆっくり祭りを楽しめば良い、と送りだしましたが、一人にしないほうが良かったかもしれません。」
荒弓の顔には哀れみがある。
「母刀自を亡くして間もない
「そうだな。」
三虎はため息をつき、眠る
「ん。」
と
「このまま運ぶ。先に寝る。あとは任せた。」
「お任せください。」
頼もしく
東の
夜明けまで、あともう少しだ。
「ふあぁ……。」
またしてもあくびがでる。
腕のなかの古流波が、目を閉じたまま、
「母刀自……。」
とつぶやいて涙を流す。
(寝る前も泣き通しだったんだろ?)
「あんま泣くなよ。」
と小さく声をかけるが、
(母刀自を亡くして間もない
無理な話か。
母刀自が生きていれば、初めて今年、一緒に
哀れだ。
三虎は一緒に祭りに行ってくれるの?
と遠慮がちに
古流波の本心だというのがわかる。
でもオレは
できない。
眠り、静かに泣く
「すまないな。」
ため息とともに、そう告げる。
きんくま様からファンアートをちょうだいしました。
きんくま様、ありがとうございました。
「──十一月になったら、
実りの祭りに行きましょうね。」
と、古志加に告げる母刀自は、このような顔をしていたことでしょう。
https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093077833925571
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