第十二話  古流波の楽しみ

 ここに来て、一ヶ月も経った頃。


 そろそろ、日々の仕事に余裕が出てきた。

 荒弓あらゆみに、ちょっとで良いから、剣の稽古をつけてくれ、とお願いした。

 あまりオレがしつこく言うので、


「ちょっとだけだぞ〜。」


 と、相手してくれた。


 右。

 左。

 右。

 正面!


 自分のできる限りの速さで打ち込む。


「おっ? おお。」


 荒弓あらゆみが少しだけ目を見開き、でも全てさばかれてしまう。

 もう一度。


 右。

 左。

 右。

 正面!


 両足を踏ん張って、腰、へそに力をいれて。

 勢い良く振り下ろした棒は、荒弓の正面で受け止められ、返す手で流れるように頭をパコンと棒で打たれてしまった。


「てッ!」

「ふむ、悪くないが、単純だぞ。」


 オレは頭をさすりながら、


「クソ親父が、まず一つの流れをよく鍛えろ、って……。」


 と顔をしかめて言うと、荒弓が、


古流波こるは、クソ親父とか言わないの。」


 とあきれたように言った。


「はい。」


 でも、本当にクソ親父なんだよ……。


「オレ、剣を教えて欲しい。もちろん、他の仕事さぼったりしない。稽古にちょっと、まぜてもらうだけでいい。お願い……。」


 荒弓はニコニコして、


「稽古のときに、少しだけだぞ?」


 と了承してくれた。

 やった!

 ここでの楽しみが増えた。





     *   *   *





 時々、美しい女官とすれ違う。

 髪はつやつやで、ほんのり頬にべにをさし、皆同じ明るい赤橙あかだいだい色の衣を来て、忙しそうに、でも会話をして、楽しそうに笑いさざめきながら……。


 大豪族の屋敷というのは、すごいものだ。

 女官全員、美人だもん……。

 綺麗に咲いた花を見るように、遠くから眺めているのは、良いものだ……。


 でももし、自分があの中に放り込まれたら。

 板鼻郷いたはなのさとおみなたちの間でも、あんなに気恥ずかしかったのに、赤橙あかだいだいの花々のなかで、ぽとんと泥が落ちたように、オレは悪目立ちして、萎縮いしゅくしてしまうだろうな……。


(ねぇ、母刀自ははとじ……。)


 心のなかで、母刀自に呼びかけ、オレはため息をつく。

 もちろん、掃除の手はゆるめない。





     *   *   *






 荒弓あらゆみ三虎みとらは話しこむ。


「そう、驚きました。剣の振りが早い。そして、見た目とは裏腹に、荒々しい剣でした。

 父親に教わったと古流波こるはは言ってましたが……。」

「そうか。」

「年は早いですが、稽古をつけるぐらいはしても良さそうです。

 本人がやる気ですので。」

「ふむ。」


 そこで三虎はちょっと口もとに笑みを作り、


「おまえに任せる。」


 と言った。


「あ、三虎……!」


 遠くから古流波こるはが走ってくる。

 その男童おのわらはの頭をでてやり、


「荒弓からきいたぞ。皆の稽古にまぜてもらえるってな。良かったな。」

「うん!」


 古流波こるはは元気良く返事し、


「オレ、嬉しい……。楽しみ!」


 と弾けるように笑った。

 そのあと何故か、顔を皮肉げに歪め、


「親父に、剣は毎日振ってないと弱くなる、って言われたから、今は弱くなってると思うけど……。」


 と生意気なことを言うので、スパンと頭をはたいてやった。


「おまえの親父と、上毛野衛士卯団大志かみつけののえじうのだんのたいしを一緒にするな。

 の技量は全然ちがうぞ。時間をとってもらうんだ。励めよ。

 オレは明日、奈良へつ。」

「えっ!」


 古流波こるはがみるみる青ざめた。


「どこ行っちゃうの……。オレも連れてって……。」

「それはできない。

 大川おおかわさまの従者として行くんだ。わかってるだろ。」


 三虎は冷たくハッキリ言ってやった。

 古流波こるははムチ打たれたように、びくり、と身体を震わせ、あとは無言になり、こちらの胸に抱きついてきた。

 泣いている。

 やれやれ。

 よく懐かれたものだ。

 しょうがない。

 しばらく、そのままで泣かせてやった。





 最近の夜は、悪夢にうなされる回数は減っていた。

 完全になくなったわけではないが、オレも、ずっと一緒にいてやれるわけではない。

 乗り越えろ、古流波こるは





     *   *   *





 いぬの刻。(午後7~9時)


 三虎が衛士舎えじしゃに行くと、荒弓あらゆみが近づいてきて、


古流波こるは夕餉ゆうげのあと、畑を見に行く、と言って、帰ってきません。

 もう半刻(1時間)になります。」


 と耳打ちした。


(何やってるんだ、バカめ。)


 と三虎は顔をしかめた。


 衛士舎えじしゃの裏の少し離れたところに、卯団うのだんの畑がある。

 三虎はため息をついて、畑の方に足をむけた。

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