第十三話  上手に言えない悲しさを

 夜になると、いつも家には、二、三人、多い時は六、七人、ガラの悪いおのこたちがたむろしていた。


 親父に殴られた時、ガラの悪いおのこたちに足蹴あしげにされた時は、


「ちくしょう!」


 と口答えはしたが、そのまま耐えて、食事の用意や、言われた通りのこまごまとした世話をした。


 だけど時々、無性むしょうひとりになりたくなる時があって、七歳くらいの頃から、……母刀自に悪い、と思いつつも……夜、一人でそっと、家を抜け出すことがあった。


 そういう時は、家の裏の畑で、月明かりを頼りに、黙々もくもくと雑草を抜いた。

 裏の畑は家から見えてるし、畑の世話、と一応の言い訳も立つ。

 暗いなか、森の奥深くは行けなかった。

 一人で静かに土をいじっていると、心が落ち着いた。


(どうして、うちはこうなんだろう……。)


 と、悲しく涙を流したが、それで何か変えられるわけではなかった。


 そうして、親父やならず者が寝た頃を見計らって家に帰ると、母刀自ははとじは必ず起きて、オレを待っていてくれた。

 家のことをさぼって、母刀自一人に黙って押しつけたオレは、うつむいて帰る。

 母刀自は一言もしからず、オレの頬を、トントン、と二回優しく指でつついて、


 ──笑って。


 と笑顔で言ってくれた。

 オレが無理に笑うと、ギュッとオレを抱きしめ、


 ──いいのよ。

 古志加こじかは、笑っていてくれれば。


 と深く深くオレを抱きしめてくれた。


「大好き。母刀自。」


 と言うと、くすぐったそうに笑って、


 ──母刀自もよ。あたしの古志加こじか


 と言ってくれた。





 何も言わずとも、オレの……、やるせなさを、上手に言えない悲しさを、母刀自だけは、わかってくれていた。






     *   *   *



「うぅ……。」


 十一月の夜は寒い。

 こほろぎがしきりに鳴いている。

 今、卯団うのだんの畑を見ながら、ガチガチとオレは歯を震わせていた。

 畑の手入れは行き届き、雑草はない。

 ……オレが昼間キレイにしてしまった!

 やる事がなく、畑の前で尻をつき、膝を抱える。


 夜。

 母刀自と親父に、


「半刻ほど。」


 と、外に出されることもあった。

 でもその時は、ちゃんとこも(かけ布団)にくるまって外に出た。

 なんてことだ。

 こもを持ち出してくれば良かった。

 オレのバカ。


「うっ……、うっ……。」


 嗚咽おえつがもれる。

 オレはもうずっと、泣いている。

 くるみの人が、明日、いなくなってしまう。

 もう明日からは、一緒に寝てもらえない。

 さみしい。

 さみしい……。

 胸の中がザラザラして、冷たく、重く、堪えられない。


 卯団うのだんの皆は優しい。

 三虎がいなくても、オレはなんとか、ここで命をつないでいけるだろう。

 それなのになぜ、こんなに、寂しいんだろう。

 わからない。


 母刀自ははとじのいる頃の家に帰りたい。

 母刀自が生きてるならば、親父がいた頃の家でもいい。


 そう思って、ほとんど無意識に立ち上がり、白い息をはき、畑に足をすすめ、膝をつき、手をつき、土で汚した手を、自分の濡れた頬に、額に、ごしごしと押し付けはじめた。

 卯団うのだんに来てからは、誰もそんなことをしていないので、顔を汚すことはやめていたけど、オレにとっては、普通の、体によく馴染んだ動作だった。

 小石が頬にすれて痛い。

 それでも、手の動きを止めることができず、泣きながら、顔に土をすりつけ続けた。


(オレを迎えにきて、親父……。)


 そして、オレを母刀自のところに連れて行って。

 実際に、あの親父がオレを心配して探しに来てくれたことなど、一度もない。

 だけど今なら、オレのことを見つけてくれるのではないか……。


「迎えに来てよぉ……。」


 たまらず口に出すと、


「何やってんだバカ。

 とうとう頭がからになって、目玉でも落としたか。」


 と声がし、ひょいと後ろ衿首えりくびを掴まれ、宙に持ち上げられた。

 ひっく、ひっく、としゃくりながら首を後ろにまわす。

 三虎だ。

 オレを難無なんなく持ち上げ、思いっきり顔をしかめ、


「本当、何やってんの、おまえ……。」


 とオレの顔を見た。

 そこでやっと、自分のやってることの奇妙さに気がついた。

 オレは恥ずかしさが込み上げ、うつむいた。

 三虎はオレを下に降ろし、懐から手布てぬのをだした。


「ここで何をやっていたか言え。」

「昔から……、一人になりたい時は、畑に来てた。」


 うつむきながらボソボソ言うと、


「ホラ。顔を見せろ。」


 顎に手をかけられ、顔を上にむかせられた。

 一瞬、心臓しんのぞうが、どきり、と強く脈打った。

 三虎は優しい仕草で、オレの顔を手布てぬのでぬぐってくれた。


(三虎、母刀自みたい……。)


 あとからあとから、涙があふれてくる。





     *   *   * 





 三虎はますます顔をしかめた。


(すげぇ土の量……!

 だめだ足りん。本当、何やってんだ、コイツ。)


「もう、こういう事はするな。皆心配してるぞ。」


 厳しい声で叱ると、古流波こるはは、


「うん、ごめんなさい。」


 と素直に謝った。

 そのまま古流波こるはを井戸に連れていき、水で手と顔を洗わせた。

 使ってないほうの手布てぬのをだし、濡れた顔を拭いてやる。

 だが、水滴がとりきれない。

 拭いたそばから、目から涙がしみ出してくるからだ。

 とうとう三虎は怒った。


「泣きすぎだバカ!」


 男童おのわらはが、わっ、と抱きついてきた。


「三虎、いなくならないで! オレ、さみしい……。」


 と、三虎の胸で震えながら泣く。

 体が夜風と井戸水で冷えきっている。


(これ、風邪ひくだろ……。)


 三虎は、はあ、とため息をつき、体を暖めるべく両腕を古流波こるはの背中にまわし、すっぽりと体を包んでやった。その上で、 


「オレは卯団長うのだんちょうだぞ。いずれ帰って来るのは、ここだ。

 古流波こるはは、ちゃんと良い子にして、ここで待ってれば良い。」


 と優しく言いきかせてやった。


「わかったか? 返事。」

「うん。」


 古流波こるはは腕のなかでうなずいた。


「ホラ。早く帰るぞ。オレまで風邪をひかす気か。」


 古流波こるはの肩を引きはがし、右手を差し出してやる。

 月明かりの下、わらはの小さい手をひき、衛士舎えじしゃへ歩く。

 古流波こるはは無言で大人しく歩く。






 ……一人で置いていくのは、まだ少し不安だ。

 だが、男童おのわらはを一人、下人げにんとして奈良に連れていく余裕はない。

 人数は最小限に絞る、と大川おおかわさまに言われている。


(オレはこのわらは一人に心を砕きすぎだな。)


 三虎は胸のうちで、自分自身にもため息をつきつつ、皆の待つ衛士舎えじしゃに戻る。

 衛士舎につくと、皆が古流波を取り囲み、


「ホラー。心配したでしょう!」


 荒弓が頭を撫で、


「古流波ぁ、いきなり一人でいなくなるなよー。」


 薩人さつひとが肩を抱いた。


「ごめんなさい……。」


 古流波はしょぼん、とした顔で謝る。

 他にも、それぞれ衛士えじが声をかけ、かまい、体がすっかりホカホカになった古流波こるはを、いつもの場所、寝ワラのはじ、壁ぎわで寝かせた。

 三虎は隣であお向けになる。


「ん……。」


 わらはが三虎にのしかかるように、胸に顔をうずめ、右脇腹に手をまわし、夜着やぎはなだ色の木綿を手でつかんだ。

 これは重い。

 仕方なく古流波こるはのほうを向き、体を横向きにし、あわく体を抱き寄せてやり、背中を良く眠れるよう、ポンポンたたいてやる。

 古流波こるはは掴んだ夜着を離さない。


 もう泣いてない。

 その夜は、悪夢にうなされて声をあげることもなかった。

 だが寝てる間に泣いていたらしい。

 朝起きたら、三虎の夜着の胸のあたりが、すっかり濡れそぼって、冷えていた。









    *   *   *




 三虎を待つ古志加を追加で書きました。


「君をとまとも  〜古流波、十一歳の秋〜」

https://kakuyomu.jp/works/16817330656652940813/episodes/16817330656653222487


 です。お時間がある方は、立ち寄っていただくと、古志加がどのような思いで三虎を待っていたか、良くわかります。

(時間がない方は、わざわざ飛ばなくてOKです。)

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