第三話  柘の櫛  〜つみのくし〜

 山を降り、板鼻郷いたはなのさといちへ行く。

 の刻(午後1〜3時)の市だ。

 たくさんの人が道の横にゴザをひいて、いろんな品物を並べている。

 食料、つるであんだ葛籠つづら土師器はじきの皿、畑でつかうらいすき)……、生活に必要なものは、なんでも揃う。

 オレは、ゴザに座った塩売りのおのこと、さっそく交渉に入る。


「ねぇー、その塩と、このきじ、どう?」

「ああ、塩一つぼと、一羽でいいかい?」

「ええっ、高いよォ、もう少し負けて。」

「うーん……、塩一壺と、豆一にぎりで、どうだ?」


 と、おのこは塩の横に置いてあった、大きな壺に入った豆を指差す。


「悪くない! けど、もう一声!

 雉二羽あげるから、塩二壺ふたつぼと、豆一握りを三回分にして。

 豆食べたい!」


 交渉がまとまった。

 つい盛り上がってしまった……。

 オレはニコニコしつつ、塩と豆を頭陀袋ずたぶくろにしまっていると、母刀自がいない。


「あれ?」


 あたりを見回す。

 母刀自は市では、あまり喋ろうとしない。

 オレが口がわりになっているから、いつも一緒に行動するのに……。

 とキョロキョロしていると、人波のむこうに手をふる母刀自を見つけた。


「母刀自!」


 こっちだよ。


 二人で市を歩きながら、美味しそうな握り飯を見つけた。おみなが、


「うちの握り飯は一味ひとあじ違うよ。

 鹿の干し肉をじゅうっとひしおで焼いて、細かく刻んで、おこわに混ぜてあるのさ。

 ……旨いよ?」


 と言うので、もう口の中に唾が湧いてきた。

 豆一握り分、二袋と、握り飯二つを交換して、その場ですぐ母刀自と一緒に食べた。

 おみなの言うことは本当で、食べれば食べるほど、鹿の干した肉の旨味と、ひしおこうばしい香りが口いっぱいに広がり、


(また次もこのおみなのところで握り飯を交換しよう。)


 と固く心に誓った。母刀自も、


 ──美味しいね、美味しいね、古志加こじか


 と言い、二人で目をあわせて、ふふふ、と笑った。



 市から帰り、荷ほどきをしていると、


 ──ワーホイ! 古志加こじか、見て!


 と母刀自が嬉しそうに、手のひらにのるコロンとした壺と、つみ(つげ)のくしを見せてくれた。

 つみくしは、梅の花がいくつも彫られていて、一つの花だけ、金が塗られていた。

 金色は、小さい小さいものだけど、西日にしびをうけて、きらり、と光を放っていた。


 ──このくし、綺麗でしょう?

 こちらの小さい壺には、椿油つばきあぶらが入っているのよ。


「母刀自。……いくら?」


 ───うっ。


 母刀自は動きを止め、声が消え入りそうに小さくなった。


 ──この二つで鎌三本。


「高い! 高すぎる!」


 無駄遣いはよろしくない。

 オレに叱られ、母刀自はしゅん、と肩を落とし、


 ──まあ、そう言わないで、古志加こじか

 いえ、あなたがそう言うだろうとは、わかってたわ。


 と言いながら、こちらの顔を自分の袖で優しくふいた。

 いつものくせで、顔には灰がついてるから、母刀自の袖は黒く汚れてしまう。


 ──それでも、本当に欲しかったのよ。

 だって、こんなに良い細工のくしは、めったに見られないわ。

 ね? 古志加こじか。髪をいてあげる。髪をほどいて。


 あまり気はすすまなかったが、母刀自の好きにさせてあげる。

 後頭部に男童おのわらはのように一つに結ってる髪をほどく。

 背中の中程まであるクルクルのくせっ毛は、ボワンと広がりつつ、腰の上まで届いた。

 母刀自は、小さな壺から、椿油を手にとり、オレの髪に塗り、櫛で梳き、それを丹念に繰り返した。

 たくさん油を塗ったので、あたりに薄く油の匂いがただよう。

 母刀自はオレの髪をおみならしく結いはじめ、


「ふはむやおや〜、はえ……、」

 


 ──菅叢すがむらのや、


 はれ、小菅叢こすがむらのや、


 むらのや、 むらのや、


 ば、我こそ かいらめ……。



 と鼻歌を唄いだした。

 珍しい。

 母刀自は、滅多に……、いや、ほとんど歌をうたったことがなかった。

 よほど機嫌が良いのだろう。


「母刀自、綺麗な歌だ。」


 と、なんだか胸が切なくなりながら、笑顔で言うと、


 ────ふふ。


 母刀自も笑う。


 母刀自は笑いながら、オレの髪を結い上げ、顔にも薄く、優しい手つきで油を塗ってくれた。

 風にあたるとしょっちゅう切れて血がでる唇にも、小指でちょん、ちょんと油をたっぷり塗った。

 そしてオレの頬を両手で包み、限りなく愛にあふれた眼差しでオレを見つめた。


 ────あたしの古志加こじか

 これからは、もっとおみならしくしていいのよ。

 あなたはおみななんだから。

 余裕ができたら、ころもだって、おみならしいちゃんとしたものを、しつらえてあげる。

 あなたは、こんなに可愛いのだから……。


(母刀自、オレはそんなんじゃない。

 おみならしくしたいんじゃない。

 ちゃんと、母刀自を守れるオレでいたいんだ……。)


 そう思ったが、母刀自の上機嫌を壊したくなかったので、黙ることにする。


 その後も母刀自は唄いながら、自分の髪、オレとそっくりなクルクルのくせっ毛をかしはじめ、椿油をたっぷり使い、顔にも塗りこんだ。

 たしかに、髪がつやつやになり、茜色の西日に反射している。


 そうやって、二人で一壺分の椿油を一回で使い果たしてしまった。

 母刀自は、うっとりとした顔で、艶のでた己の髪を何回も触っていた……。


(母刀自、綺麗……。)


 最近の母刀自は、なんだかますます綺麗だ。

 あの自分勝手な父が、どれだけ母刀自から生気せいきを吸い取っていたか、わかるようだ。

 今は、生気が満ちて、生来せいらいの美しさが、花が蜜を蓄えるように、つややかに満ちていた。



 とは思ったが、オレはなんだか自分が似合わないことをしているようで、翌朝にはすっかり髪をいて、おのこのように髪を頭の後ろで一本に縛ってしまった。

 顔もわざと汚した。

 オレはそれですっかり落ち着いたのだが、母刀自は撫子なでしこ色の木綿袋からつみの櫛を取り出し、そわそわとオレを見た。

 オレは目敏めざとく、


「昨日はその木綿の袋なかった。それも買ったの?」


 と母刀自に鋭く聞く。


 ───まあ! 違うのよ、これは……。


 母刀自は目を見開き、その後悲しそうに笑った。

 瞳がきらりと光る。


 ──この撫子色の木綿はね、違うのよ……。


「ふうん。」


 そんな綺麗な色の木綿、うちにあったの? 

 と思ったけど、オレはパッと背を向け、家の外へ出る。

 もうそのつみの櫛は、母刀自が自分で使えばいいよ。

 オレにはやめてほしい。


 ──古志加こじか


 と母刀自が家の中から叫んだけど、オレはもう庭の畑だ。









 ↓私の挿し絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330659619998782



 ↓かごのぼっち様から、ファンアートを頂戴しました。

 かごのぼっち様、ありがとうございました。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093077113601887

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