第三話  扈発 〜こはつ〜

 そのまま春が来て、夏が来て、秋。


 丙午ひのえうま(766年)


 十月。オレは十歳になっていた。


 あの日、畑仕事をしていると、四十代くらいの郷人さとびとが訪ねてきた。

 浅藍あさあいころもを着ている。


「あの……、あなた、吉弥侯部きみこべの福成売ふくなりめさんと、古志加こじかさんでしょ?」

「はい、オレが古志加こじかで、母刀自ははとじ福成売ふくなりめです。」

「あのね、扈発こはつがあるのよ。郷長さとおさの家で、布を織るの。郷人さとびとはね、やらなきゃいけないのよ。

 あなたのところは、前に来たら、親父さんが怒鳴って追い返すものだから……。」


 気配を察して、母刀自が家から出てきた。


「はい、いはへていははきまふ。」

「えっ? なんて?」


 と郷人が面食らうので、


「はい、行かせていただきます、と言いました。

 オレが……、あたしが、言ってることはわかります。

 あたしに話して下さい。

 あたしのことは古流波こるはと呼んで下さい。

 母刀自がそうとしか言えないので……。」


 すぐに行くことになった。

 乎佐藝をさぎ(兎)の革で縫ったかのくつで、小枝を踏みつつ、山道をくだる。


「簡単なご飯と、労賃はいただけますからね。

 初めてでしょ? あたしは鶏甘売とりかいめ。わからないことは聞いてね。」


 と鶏甘売とりかいめは言ってくれた。

 道すがら、自分の家の在処ありかも教えてくれた。




 板鼻郷いたはなのさとの郷長の屋敷は、すごく広かった。

 おみなたちばかり、一つの部屋で五十人くらいいて、唄いながら、二人一組で白い布を織っている。

 広い部屋に足を踏み入れた途端とたん、部屋に満ちる大人数の歌声にオレは圧倒された。


「※ちい小舎人こどねり  手手ててにやは


 手手ててにやは  たまならば


 手手にや  昼は手に据ゑすえ 


 夜は我が手手にやは  手手にやは。」



 居間の柱に結ばれた糸は、両腕を大きく広げた長さの棒を、四本、空中にぶら下げ、最後は女達の腰で結ばれている。

 女達は両足を前に投げ出して腰掛け、右に座った女が、横糸を通したひらべったい木を、唄にあわせて、

 しゅう。

 左にすべらせ、左の女は素早く左手で木をつかまえる。

 とん、とん。

 長い棒に渡された、大きなくしを手前に叩き寄せると、ゆらゆらと空中で織り上がった布が揺れる。


「わぁ……!」


 初めて来た。思わず声がもれる。

 女達が唄うのを止め、入り口に立ったオレ達をいっせいに見た。


「見ない顔ね。」

「あの離れの、山の家よ。最近、つまがパッタリ顔を見せないんだって。

 それで呼びに行けたんだけどね。」


 鶏甘売とりかいめは早口だ。


「よほひくおれあいしまふ。」

「あらっ。」


 おみなたちがざわめくが、すかさずオレがさっき鶏甘売とりかいめにした説明と同じことを口にする。皆口々に、


「大変ねぇ。」

「よろしくね。」


 と言ってくれた。なかの一人が、


男童おのわらは?」


 と聞くので、オレは真っ赤になってしまった。

 はじめて、全然おみならしくないことが恥ずかしくなり、肩を縮こませながら、


「め……、女童めのわらはです……。」


 と小さい声で言った。

 ここに集まったおみなたちは、皆、とりどりの色の衣を着ている。

 梔子くちなし色や、刈安かりやす色(緑)、

 檜皮ひわだ色(茶)、藍色、

 浅藍あさあい色、つるばみ色(黒)、

 露草つゆくさ色、桃色……。

 郷人さとびとらしく、かすれた色合いではあるのだが、おみならしい明るさにあふれている。

 それに比べ、オレと母刀自は、灰汁色あくいろ(薄い灰色)のたえの衣がり切れている。

 きっと、皆の目には、みすぼらしく見えているだろう……。


 その上、オレは、顔も衣も土で黒く汚れ、衣はおのこのもの。上衣が尻までの短さだ。

 おみなは皆、女童めのわらはだって、膝下まで隠れる長さの裾の上衣を着るのが普通だ。

 おのこの衣を着ているのは、この場でオレ一人。



 とても場違いな気がしてきた……。

 オレは全然、女童めのわらはらしくない……。



 と、うつむいていると、鶏甘売とりかいめに肩を叩かれた。


「さ、二人一組よ。こっちへ来てちょうだい。」


 母刀自と並んで座らされ、きゅっ、きゅっ、と白い糸で腰を結ばれた。糸の先は居間の柱と繋がっている。

 母刀自がしげしげと、鶏甘売とりかいめの手元を見ているので、オレは口を開いた。


「随分大きいんですね?」

ひろしゃく(幅約115㎝)よ。決まりなの。

 だから二人がかりで、幅広い布を織るのよ。

 はい、を持って。」


 と鶏甘売とりかいめは横糸を通したひらべったい木をオレに握らせた。


「二人の息を合わせることが大事だから、歌を唄いながら調子をとるのよ。こうよ。」


 鶏甘売とりかいめは息を吸い、


大宮おほみやの  ちひ小舎人こどねり  や 


 手手ててにやは  手手にやは


 たまならば  手手にや 


 玉ならば


 ひるは手に取り  や  よるはさ


 手手にや


 夜はさ 手手にや。


 ここまで一人が唄ったら、次のおみなが唄う番よ。」


 と、入り口で始めに聞いた唄を教えてくれた。

 鶏甘売とりかいめは手際よく織り方を教えてくれ、すぐオレと母刀自は白い布を織りはじめた。 

 しゅう。

 唄にあわせて、を小気味よく縦糸と縦糸の間に滑らせる。

 母刀自はすかさず、をつかまえてくれる。

 とん、とん。

 オレと母刀自は、上手に織れてる。

 初めての、郷人さとびとらしい労働。そう思うと、なぜだか、くすぐったく嬉しくなって、微笑みがこぼれる。

 唄いながら母刀自をそっと見上げると、母刀自も温かい微笑みを返してくれた。




 布を織り終わり、褒美の山菜の握り飯はとても美味しかった。


「それで、四人次々に死になさったって……。」

「あぁ、恐ろしいねぇ、なんて怖いえやみかねぇ……。」


 と郷人さとびとの噂話を聞きながら、ほんのちょっとのひしおもふるまわれたので、美味しさに胸を踊らせながら、あっという間に食べてしまった。


 ちゃんと労賃の塩壺を二人分もらって、なんだか誇らしく、


(こうやって、どんどん、普通の郷人さとびとらしくなっていけたらいいな……。)


 と思いつつ、帰路についた。




 ……今思えば。

 あの時きっと。

 目をつけられていた。









※参考……古代歌謡集  日本古典文学大系  岩波書店

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