第四話

 丸太の倚子に座った阿古麻呂あこまろは、自分も宇母飴うもあめを口に入れ、隣に座った古志加こじかを目を細め笑いながら見た。


「米菓子をくれたのが忘れられない、と言ったのは、もちろん米菓子も美味しかったけど、蘇比そび色の衣を着た古志加が、あまりに綺麗で……、ずっと忘れられなかったから。」


 阿古麻呂が少し声をひそめて、流暢りゅうちょうに最後まで言い切った。


「ひぇっ?!」


 あたしは今、何か酷い聞き間違いをしなかったろうか。

 唾を飲み込んで、あやうく高い宇母飴うもあめを飲み込んでしまうところだった。

 古志加は阿古麻呂が見れない。うつむき、固まってしまう。


「……聞こえなかったら、何回でも。古志加、あなたは綺麗だ。一目見て、忘れることができないほど、綺麗だ。」


 そんなことを言われたのは初めてだ。

 心臓しんのぞうの鼓動が早くなり、息が苦しくなる。


(阿古麻呂、なんでそんなことを言うの?)


 恥ずかしいけど、どんな顔して言ってるのか、確かめたい気持ちがまさった。

 うつむいた顔をあげ、阿古麻呂の顔を見た。

 口もとには優しい笑みをたたえているが、目は真剣に古志加を見つめている。

 古志加はひるんだ。

 うつむく。


「この宇母飴うもあめも、宇母飴うもあめを包む紙も、この細工の良い木箱も。」


 阿古麻呂は己の膝の上に木箱を置き、古志加に良く見えるようにした。

 自然と古志加の目は木箱に吸い寄せられる。


(……まだ沢山入ってる! 十個以上あるよ……。)


「もちろん、普通の衛士見習い……、いや、衛士でも、簡単に手に入れられるものではない。

 なぜオレが持ってるか、不思議じゃないですか?」


 少し投げやりに阿古麻呂が言う。


「うん。」


 とつられて古志加は言う。


「オレの家は金持ちで……。百姓ひゃくせい相手に私出挙しすいこ(※注一)をやっていて、かなり悪どく儲けてるんです。

 ひどい利幅りはばで貸し付けるものだから、豊作、凶作関係なく、必ず、収穫の時期には、私出挙しすいこが払えず、下人に落ちた百姓ひゃくせいを入れる牢に、二十人以上入れられる……。」


 古志加は、話の意図がわからず、戸惑う。

 阿古麻呂はちょっと笑って、宇母飴うもあめを食べ終わった古志加に、


「はい、口を開けて。」


 と口を開かせた。

 古志加は素直に従う。

 ころん、と次の宇母飴うもあめが口に落ちてきた。


(甘い……!)


「ちょっと退屈かもしれないけど、オレのこと、知ってほしくて。……聴いて。」


 と阿古麻呂はうつむき気味に笑う。

 古志加は、ウンウンと頷く。


(なんせ塩壺十六個分……!)


「牢は、屋敷とは別棟だったけど、敷地内にあった。毎年……。昨日まで百姓ひゃくせいだった下人たちの、怨嗟えんさ嘆願たんがんと泣き叫ぶ声を、聞きながら育った。

 オレはそれがすごく……嫌だった。」


 そこで阿古麻呂はだまり、遠くを見た。悲しそうな目で。

 すごく、辛そうに。

 目の奥に、ぽっかりと空いた空洞のような、黒い影が見える気がした。

 その黒い影は……。






「古志加?!」


 阿古麻呂が困った声をだした。

 しまった。

 いつの間にか、顔を近づけ、近くで目の色を観察してしまった。


「ごめん。」


 と顔を離し、丸太の倚子に座り直した。

 ころん、と口のなかで、宇母飴うもあめの固さと甘さを舌でもてあそぶ。

 甘い。


「衛士になったのは、剣が好きで、……正しいことに力をふるいたかったから。

 家にいるならず者を率いて、私出挙しすいこを取り立てる仕事とは、真逆のことが、したくて……。

 幼馴染の花麻呂と一緒に、国府の衛士か、大領たいりょうの衛士かって話をしてさ。

 やっぱり、上野国かみつけののくにのために働きたいよな、オレもお前も、将来、一緒に上毛野君かみつけののきみの衛士になろうぜって、うけひをしたんだ。」


 阿古麻呂の顔に笑顔が戻った。


「いいな……。そんな幼馴染。」


 古志加は心からそう言った。

 ぱっと阿古麻呂がこっちを見た。


「古志加の話も聞きたい。古志加には、幼馴染、いないの?」


 古志加は押し黙る。ややあって、


「いないよ。」


 と阿古麻呂とは反対の方に顔を向けた。


「古志加、口を開けて。」


 阿古麻呂が言うので、古志加はしぶしぶ阿古麻呂の方を向き、だがすぐ、口を素直に開けた。

 ころんと、三つ目の宇母飴うもあめが舌の上に落ちた。


(三個め……!)


 つい、口もとがほころび、笑ってしまう。そんな古志加に、


「いつも、古志加の話を聞こうとすると、古志加は逃げてしまう。

 オレは、古志加のことも、知りたい。

 お願い、その宇母飴うもあめが、口から消えるまでの間だけでも良いから、古志加のことを話して。」


 と真剣な顔で阿古麻呂に言われた。


(えっ、食べたあとにそれを言うの、ずるくない……?)


 とちょっと思ったが、古志加は顔を歪めながら、重い口を開く。


「クソ親父が、郷人さとびとと交流を嫌っててて、郷人さとびともうちの家まであがってこなかったし、あたしも郷人のところまで降りていかなかった。

 ……あたしの家は、天神山てんじんやまのふもと、郷から離れた山の中腹にあった。

 今から思えば、郷に降りていって、友達になって、遊んで、って言ったとしても、誰も相手にしてくれなかったろうね。

 親父は嫌われてた。

 あたしはいつも灰だらけ、土だらけで、擦り切れた衣の、汚いわらはだった。」


 古志加はころん、と宇母飴うもあめを舌で転がす。


「他に何が聞きたいの?」


 胸が冷え冷えとした気分になりながら、阿古麻呂に問う。

 阿古麻呂が古志加をじっと見つめながら、右手を古志加の顔に近づけてきた。

 そっと、古志加の頬に触れようとする。

 古志加は、むっとした顔で、ひょいと身体を後ろに引く。

 阿古麻呂は苦笑して、手を降ろした。


「では、花麻呂のことを。花麻呂のことを、古志加はどう思ってます?」

「うん、剣も思いきりが良いし、稽古も真面目。安心して組める衛士だよ。」


 ちゃんと答えると、阿古麻呂の苦笑が深くなった。


「それは幼馴染として嬉しいですが……、そうではなく……、もっとおのことして。」

「うん、いいヤツだよ。あたし、命を助けられた。」


 阿古麻呂が顎に手をかけて、ちょっと考えた。


「聞きたいのは……。例えば、花麻呂といて、口づけしたいとか、考えたりするか……ということです。」


 ぐいっと阿古麻呂の顔が近づいた。

 ふっと口もとから、宇母飴うもあめの甘い匂いがした。


(なんてこと訊くんだ!)


 古志加は顔を真っ赤にして、慌てて倚子を立った。


「は……、は……、花麻呂はいもがいるんだぞ! ない!」


 大きな声ではっきり否定し、


「もう終わり! 宇母飴うもあめ食べ終わった!」


 と両肘をかかえて、ぷいっとそっぽを向いた。








↓挿し絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330662467322112






   *   *   *





(※注一)私出挙しすいこ……出挙すいことは、百姓ひゃくせい相手の種籾たねもみの借金。

 私人しじん(裕福な一般人)が貸し出すのが私出挙しすいこ

 公人(国司)が貸し出すのが、公出挙くすいこ


 利率。10割。

 一割じゃないよ、十割だよ!

 現代の町金融も真っ青の利率である。

 種籾から米がたくさん実るから、この利率であった。

 しかし、10割を超えた利率はダメよ、というお触れも出されていたりする。

 つまりは10割以上の利率を貪ろうとする私人もいたという事で……。

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