第五話

 阿古麻呂あこまろが、


「はは……。」


 と笑い、額に手をあて、


「変なこと訊いて、すいません。」


 と謝った。


「本当だ!」


 まだ古志加こじかはプンプンと怒ってる。


「古志加が、そんな辛い子供時代を過ごしていたとは……。

 オレは、同じ板鼻郷いたはなのさとにいたのに、何も……。」


 と、むしろ阿古麻呂が辛そうに言った。

 古志加は、まだ丸太倚子に座っている阿古麻呂に向き直り、手を下に降ろした。


「さっき言ったのは、その通りなんだけどさ、阿古麻呂。気に病む必要はない。

 あたしには、母刀自ははとじがいたから。

 いつだって、心からあたしを愛してくれた。

 あたしは寂しくなんてなかったし、友達が欲しいって不思議と思わなかった。

 あたしには、それが普通だったし……。」


 古志加はそこでちょっと言葉を区切り、


「それに、ぜんぜん郷に降りなかったわけじゃない。

 月に二、三回、市に行ってたよ。母刀自と一緒に。もしかしたら、そこですれ違うくらいはしてたかもね?

 でもオレ……、おのこの恰好を親父にさせられてたから、今と全然違ったよ。

 ……違わないか! 今でも衛士の濃藍こきあい衣は男の恰好だ!」


 なんだがおかしくなって、自分でも笑ってしまった。

 口に手をあて、あはは、と笑ってると、阿古麻呂が穏やかに笑いながら、


「古志加は、衛士の濃藍こきあい衣でも、綺麗だ。

 飾らなくても、顔が愛らしくて、おみならしい。」


 と言った。


「へ……!」


 古志加は目を剝いて絶句した。


「阿古麻呂にはおみなに見えてるの……?」


 震える声で、聞いてしまう。

 阿古麻呂がくすりと笑って、


「そう言ってますよ、綺麗な女だと……。」

「だって、男の衣で、剣も弓もやって、あたしだったら、自分に蹴りや拳をくらわせてくるようなヤツ、女に見えない、と思う……。」


 しどろもどろに言うと、阿古麻呂は笑顔のまま、


「それでも、古志加は、野に散る白露しらつゆか、光輝く白珠しらたまのように、綺麗だ。」


 と言ってのけたので、


「ひぇ、ひぇ────っ!」


 と、古志加はとうとう悲鳴をあげ、顔を真っ赤にし、その顔を両手でおおい、かたまってしまった。


 け……稀有だ! 稀有な男がここにいた……!


(そうか、あたし、ちゃんとおみなに見えてるんだ。)


 ずっと、わらはの頃からおのこの恰好をさせられて。

 郷の女からは、


男童おのわらは?」


 ときかれ、大川おおかわさまにも三虎みとらにも、まったく男と疑われず。

 卯団うのだんに一年いても、……裸を見られなければ、女と思われず。

 女の衣を着たって、自分でも、男が女装してるみたいだ、って思って。

 男として生まれていれば良かったって何回も思って。

 それでも。


「本当はおみななのに……。」


 と口にしたこともあった。

 胸が熱い。

 心臓しんのぞうが熱く脈うち、

 血の道に熱を伝える。

 身体が熱を持ち、

 頬が熱を持ち、

 目がじん、とする。


 ずいぶん時間がたってから、古志加は手を顔から離し、顔を上げた。

 肩から力を抜き、自然な笑顔で、でも頬は赤く、目尻には涙をため、


「そう言ってくれて、ありがとう。」


 と阿古麻呂に素直に言えた。


(いくらおのこのようでも、あたしは、ちゃんとおみなだよ……。)


 強くなりたい。

 女らしく着飾りたいなんて思わない。

 そう思いつつ、自分は全然女らしくない、本当は女なのに、ともがいていた、わらはの頃の自分に言ってあげたい。

 そう思ったら、目尻にたまった涙が一粒、こぼれた。


(泣いちゃったなぁ……。)


 ふふ、と笑いつつ、目尻をぬぐう。


「古志加……。」


 阿古麻呂が戸惑ってる。

 古志加は明るく笑い、


「なんだかスッキリしちゃったなぁ!

 これからどうする? 帰る? それとも歩く?」


 と訊いた。


「国分寺に行きましょう。その前に……、もう一つ、宇母飴うもあめ、食べます?」


 と阿古麻呂も笑顔で言い、己の口に宇母飴を入れた。


「うん!」


 と古志加は素直に従い、とと……、と阿古麻呂に近寄る。

 あん、と口を開け、宇母飴をころん、と落としてもらう。


「これ……、すごいね。何回食べても、毎回、すっごい甘い……。目玉が飛び出るくらい高いのに、何個でも食べれちゃう。っわ……!」


 と古志加がしみじみ言うと、頭陀袋ずたぶくろに木の箱をしまい終わった阿古麻呂が、垂れ目を細くして、嬉しそうに笑った。

 刈安かりやす色の男と、山吹色の女は、歩きだす。




    *   *   *




 国分寺への道すがら、藤売ふじめのことを話す。

 恐ろしく凶暴で、恐ろしく美しかった、大豪族の娘。

 あと、薩人さつひとや花麻呂の活躍。

 前にも話したことはあるけど、話していて古志加も楽しいし、阿古麻呂もニコニコと話を聴いてくれた。


 丸鶏まるどりの蒸し焼きの店の前で、藤売に額をピシャリと叩かれた話をした時には大笑いをされてしまったが、


「帰りに開いてたら、そこで丸鶏を食べましょう。」


 と阿古麻呂が言ってくれたので、


「やった!」


 と古志加も笑った。

 国分寺にお参りし、


「ここで襲われて……。」


 と話しをしていたら、古志加のお腹が盛大に鳴った。

 古志加が顔を赤くしていると、


「そろそろ良い時間でしょう。」


 と丸鶏の蒸し焼きを食べに行くことになった。

 歩きつつ、阿古麻呂は自分の家族の話をした。


 二つ年下の同母妹いもうとがいて、いずれ婿をとり、その婿が家を継ぐことになるであろうこと。

 親父が、金儲けと、金のかかる珍品集めにしか興味がないこと。

 そんな親父をうとましく思っていること。


「親父がクソだと、子は苦労する。」


 と古志加もしみじみと言ってしまった。



 丸鶏の蒸し焼きの店についた。

 阿古麻呂が頭陀袋ずたぶくろから、大きめの鎌をだし、二人分の丸鶏を買ってくれた。


「本当に、一人でまるまる一羽、食べるの……?」


 と控えめに阿古麻呂に確認されたが、


「食べます!」


 と古志加は決然けつぜんと言った。

 店のなかの机と倚子に座り、木の皿に盛られた丸鶏をもぎり、かぶりつく。


「美味し──い!」


 塩が良くきいて、軽く表面を火で炙ってある。

 皮がパリッとして、頬張るとぷりぷりの肉から熱い肉汁が溢れた。


(声も出るというもの……!)


 古志加は見事な勢いでぺろりと平らげた。

 満足そうに笑いながら、げっぷまでした。

 阿古麻呂は、そんな古志加を見て、笑いを禁じえない。


「今日は沢山用意してきましたから、まだ他に食べたいものがあれば……。

 あとで小物でも、布でも、欲しいものがあれば、買ってあげますよ。」


 と阿古麻呂が少しうつむきながら笑って言う。


白酒しろさけ!」


 と躊躇ちゅうちょなく古志加は言いつつ、


「なんでそんなに気前がいいの?」


 と訊いた。


「当たり前です。オレはまだ衛士見習いで、本当はちゃんと正式な衛士になってから……。

 オレができることは、こうやって、持てるぜにで、いろいろ買うくらいです。」


 古志加は首をかしげる。


(何を言ってるんだろう?)


「その銭も、自分で稼いだものではなく……。親父が百姓ひゃくせいからしぼりあげた汚い銭を、オレも使ってるにすぎないけど……。」


 と阿古麻呂は苦々しげに笑った。


「何言ってんのかわかんない。あの鎌は汚くなんてなかったよ。」


 手布てぬのを取り出し、すっかり油っぽくなった指と口もとを拭く。


「あたしは、阿古麻呂にあがなってもらった丸鶏を、美味しくいただいたよ。感謝してる。

 なんでそんな嫌そうな顔してるの?」


 阿古麻呂はふっと笑い、


「古志加は強いですね。」


 と言った。


「そうだよ。」


 と古志加は頷き、


「次は白酒。」


 と高らかに宣言した。














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