第六話  秋間川 瀬々の

 風が強くなった。

 びょう、と強い風音がし、ガタガタと家の壁を揺らす。

 風に巻き上げられた砂と土で、空の色は黄色く染まる。

 どこからか木の手桶が風に流されて、カラカラ飛んで行った。

 あれはもう持ち主の手もとには戻るまい……。


 白酒しろさけを二人分、阿古麻呂あこまろが買ってくれたが、外の丸太椅子に座って飲む形だったため、風に飛ばされた土埃つちぼこりが容赦なく入ってくる。


(味わって飲めん……!)


 くぃ───っと古志加こじかは一息で白酒を飲み干した。


(今日は阿古麻呂のおかげで、本当贅沢な日。)


 阿古麻呂が、


「良く食べ、良く飲む……。」


 とつぶやいたので、


「まあね!」


 と古志加は胸をはり、木の器を白酒売りに返す。


「あれ……? あたしら食べて飲んでるだけだね。何か市で欲しい物があったんじゃないの?」


 と古志加がきくと、阿古麻呂が、


「言ったでしょ? もっと古志加と、ゆっくり話しがしたかった、って。

 でもすごい風だ。あの木立の影に行きましょう。」


 国府からのびる南大路から、少し外れたところに、こんもりした木立こだちがある。でも、木陰こかげに避難しても、風はすぐおさまるわけではない。


(何もないところに行ってどうするんだ?)


 と首をかしげて断ろうとしたら、


「ほら!」


 と阿古麻呂の手が古志加の右手をとらえて、歩かされてしまった。


「ええっ……。」


 と古志加は顔を赤らめてまごつく。


 だから、手を繋いで郷を歩くなんて、親子か夫婦めおとくらいだってば。




     *   *   *




「あてて……。」


 砂埃が目に入ってしまった。

 杉の木陰に入り、古志加は目をまばたきし、こする。


「……古志加。古志加は、秋の実りの祭りの夜更よふけ、たか山に登ったことはありますか?」


 心持ちうわずった声で、阿古麻呂が古志加の後ろから訊く。


「え……、ないよ?」

「では歌垣うたがきも。」


 阿古麻呂が短くきき、


「へ?」


 自分の目ばかり気にしていた古志加は、いともあっさり阿古麻呂に後ろをとられ、気がついたら、背中から阿古麻呂に抱きしめられていた。

 古志加の右肩に阿古麻呂の顔がでてる。


(投げ飛ばすつもりか……!)


「このまま、聴いて。風が強いから……。」


 投げ飛ばすつもりではないらしい。


「人に見られる。」


 困って古志加が言うと、


「ここは木陰だから大丈夫。」


 と強く阿古麻呂に抱きすくめられた。

 これはどういう状況、と古志加は戸惑う。


「ここが、板鼻郷いたはなのさとで、古志加と歌垣で会えたなら、良かったのに。

 そしたらオレは、誰よりも早く、古志加を見つけて、こう歌うんだ。




 秋間川あきまがわ 瀬々せぜのやはら手枕たまくら


 やはらかに  


 さ一夜ひとよも 率寝ゐねてむしだ


 いえくださむ。




(秋間川の瀬々せぜ

 水深の浅いところに生えた、

 柔らかい草のように、

 柔らかい手枕をして、郎女いらつめよ。(注1)

 あなたの腕は柔らかい。


 さあ、一夜だけでも、一緒に寝てくれた時には、

 家に返してあげよう。

 それまでは、家に返してあげないよ。)」




 古志加は目を見開き、完全に身体の動きを止めた。

 歌垣。

 行ったことはない。

 でも、女官部屋で、話をきいたことがある。

 意味はわかる……。


 背中から古志加を抱きしめるおのこが言う。


「オレは古志加に妻問つまどう。

 オレの妹になって、古志加。

 オレは衛士見習いだけど、妻をめとれる銭の余裕はある。

 正式な衛士になってから言おうと思ってたけど、古志加が恋いしすぎて、もう、己を止められない。」


(これは妻問いだぁ!)


 衝撃が頭の中で白い光のように散った。

 これが女官部屋の皆がきゃあきゃあ言う、妻問いかぁ……。

 と妙に他人事のように感心してしまった。




 阿古麻呂の妻。いも

 そうなったら、どうなるんだろう。

 布多未ふたみの妻のように、阿古麻呂の帰りを待ち、


「この人ったら……。」


 とか言うんだろうか。あたしが。


(ヒェェェ……。)


 いろんな想像がぐるぐると頭に渦巻き、心臓しんのぞうがバクバク脈うった。




「オレのいもとなったら、この群馬郡くるまのこおりの好きなところに屋敷を作ってあげる。

 そして、そこで、オレと二人で暮らそう。

 一生、おみなは古志加だけだ。

 泣かせるようなことはしないと、うけひする。

 だからオレを、愛子夫いとこせと呼んで。

 いもになる、と言って、古志加。」


 熱心な愛の言葉の最中に、急激に心が冷めた。


「離して。」


 すっと低くした声で古志加が言う。

 阿古麻呂は、古志加を離した。

 くるりと阿古麻呂に向き直った古志加は、目の奥に怒りを燃やし阿古麻呂を見た。


「古志加……。」


 緊張した面持ちで、声に嘆願をにじませ、阿古麻呂が名を呼んだ。


「それって、あたしに衛士をやめろっていうこと?」


 剣呑に古志加が言う。

 眉根を詰めて阿古麻呂が言う。


「そうだ。己のいもを、こんな危険な……、大勢のおのこがいる場所に置いておけない。」

「いやっ!」


 古志加が弾かれたように叫び、駆け去ろうとする。

 阿古麻呂が逃さなかった。

 古志加の両肩をつかみ、強引にぐいと引いて、杉の木に背をドンと押し付けた。


「あ……!」


 みきが揺れ、青ざめて歪められた阿古麻呂の顔が間近にある。

 びゅうびゅうと風に葉が揺れ、阿古麻呂が己の身体を古志加にかぶせるように押しつけたので、背がさらに木に押し当てられた。

 バンと左手を古志加の顔の右側の木に打ち付け、


「ダメだ、ダメだ、もっと良く考えて……!

 妹となれば、衛士をやめるのは当然だ。

 一時の感情で、この話を蹴ってしまわないで……!」


 苦しそうに、でも力を全然ゆるめず、阿古麻呂が言う。

 左肩を握る力が強く、痛い。

 古志加は間近から阿古麻呂をきっ、とにらみ、


「いや!」


 と強くハッキリ言った。


 いきなり唇を奪われた。


 肩をすくめ、


「ひ。」


 と言ったが、声は阿古麻呂に飲み込まれた。

 人の唇がこんな動きをするなんて。


(食べられてしまう……!)


 目に涙がせりあがり、

 身体がびくりと震え、

 力が抜けかけたが、

 両手で思いきり阿古麻呂の胸を押した。

 阿古麻呂がよろけ、やっと自由になった。


「わあああん!」


 泣き声をあげつつ、阿古麻呂に一瞥いちべつもくれず、足をからませ、転びそうになりながら、古志加は逃げ出した。


「……古志加!」


 声が一回追いかけてきたが、振り向きもしない。




     *   *   *





(注1)このさそうたでは、いも吾妹子あぎもこか、一夜の相手か、若い娘か、人妻か、誰に誘いかけているかハッキリとしないので、広い意味で郎女いらつめ、女の人よ、とした。




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