第三話 宇母飴〜うもあめ〜
卯はじめの刻。(朝5時)
(あれは、いったい何だったんだろう?)
と
「そんなこと言われては、抱きしめてしまう、古志加。」
と言われた。
あたし、寒いって言ったから……?
肩に手をまわされ、
それと同じなのかな。
じゃあなんで、阿古麻呂はあたしの右手に口づけしたの……?
あたし、すごいびっくりした。
なんだか今日は、あたしの宝物を抱きしめて眠る気になれなかった。
「七夕の宴の、朝までのお
と
「あら、今日は宝物抱きしめてないの、珍しいわね古志加。」
と軽く声をかけてきた。
「うん……。起きたら、その衣着るから。」
口が滑った。
「山吹の衣?! 珍しい! どういうこと?!」
と福益売が食いついた。
衛士の衣の洗濯は、女官の日にすませ、休日の市歩きは衛士の
「ひえぇ……!」
と古志加は
皆目の下にくまを作りながらも、キャーキャー盛り上がり、
「それで、手を離す前に腕を引かれて、ここんとこちょっと……、口づけされたの。
こ、これ、どういうことなのかなぁ?」
と困り顔で、握りしめた右手指を、左の人差し指でとん、と指差すと、
「きゃあ、それは……恋よ!」
と福益売が真っ赤な顔で嬉しそうに叫んだ。皆も、
「間違いない!」
「恋よ恋!」
と口々に嬉しそうにする。
(な、なんでそんなに嬉しそうなのかなぁ?)
「え……? でも、あたし、こんな
この右手の
と古志加が首をひねって言うと、ちょっと静かになった……。
「でも、古志加、あなた年頃じゃない。娘らしく、ちゃんと綺麗よ、もっと自信持って!」
と福益売が言い、
「起きたら、あたしが髪をうんと可愛く結ってあげますからね!」
と胸を張った。
急に気恥ずかしくなった。
(山吹の衣を着るのは久しぶり……。)
「う……うん、ありがとう。もう寝る。」
と、古志加は顔を赤くして、薦にくるまった。
* * *
「ほら古志加!
と福益売の元気いっぱいの声に起こされた。
「帰ってきたら、
と早番の
早番の五人の女官はもう身支度を綺麗に整え、遅番の五人の女官が湯殿へ行くのと入れ違いで、女官部屋を出ていった。
湯殿に着くと、福益売が、
「さあ、磨くわよ!」
と可愛い八重歯を見せて叫んだ。
しっかり垢取りを背中にあてられ、すこし木のへらの感触が痛いほどだった。
(福益売、気合が入ってる……!)
古志加はされるがまま、なぜか気恥ずかしさを感じて、無言でうつむく。
夜番の疲れと眠たさの残りを、こんこんと湧き出るお湯で流す。
女官部屋に戻り、福益売によって丁寧に髪をすかれ、郷の
「……来た!」
と声をあげるやいなや、皆の手によってホイホイと古志加は女官部屋の近くの庭に放り出された。
* * *
古志加を待つつもりで、早めに女官部屋の前の庭に来て、柳の木にもたれた阿古麻呂だったが、意外に早く古志加が出てきた。
出てきた、というより、何人かの女官が素早く古志加を庭に置いて、駆け戻って行ったように見えた。
あれは一体……。
古志加は明るい山吹色の衣を着て、髪を肩にたらし、背中で一つに結っている。
くるくるした髪が愛らしく肩に、頬にかかっている。
恥じらって、顔を赤くして、うつむき、動かない。
両手を組み、もじもじしている。
頭の先から、つま先まで可愛い。
想像以上だ。
(駆け寄って行って、抱きしめてしまいたい。)
阿古麻呂の胸がとく、と脈打つ。だけどそんなことしたら、引かれちゃうよなぁ……。
「おはようございます、今日は無理なお願いをきいてもらって、ありがとうございます、古志加。
さあ、行きましょう。」
「あ……、あ……、うん。」
と古志加が顔をちょっとあげた。
* * *
(寝る前に、福益売があんなこと言うから……!)
あたしだったら、
でも、たしかに古志加は、今十七歳。
郷の女であれば、ちょうど
古志加が女に見える
阿古麻呂がそうだとは思えないが、福益売があんなことを言うから、ちょっと意識してしまう。
そんなことを思う自分も恥ずかしければ、しゃあしゃあと山吹色の女の衣を着てる自分も恥ずかしい。
そう思って顔をあげると、垂れ目で微笑んでる阿古麻呂と目があった。
なんだか嬉しそう。
優しい眼差しで、ずっと古志加を見てる。
衛士の
澄んだ黄緑、
(なんでそんな見てるの……?!)
恥ずかしさが勝った。足を動かせない。うつむいてしまう。
阿古麻呂が近寄ってきた。
「さあ、行きましょう。動かないなら、ここで手を
と優しい声でおっかないことを言う。
手を繋いで歩いているところを知ってる誰かに見られたら、本当に恥ずかしい。
だってそんなの、
古志加は真面目な顔になり、歩きはじめた。
* * *
その前の時間から開いてる店は、本当に少ない。人通りも少ない。
「阿古麻呂、早かったね……?」
と古志加が言うと、
「はは、そうですね……。」
とちょっと困ったように、でも明るく阿古麻呂が笑う。
「でも、いいんです。オレは、もっとゆっくり、古志加と話がしたかったんです。」
そう言って、
古志加は首を傾げる。
阿古麻呂は頭陀袋から小さな木の箱を取り出し、フタを開け、紙に包まれた親指半分ほどの白いかたまりを、一つつまみ、古志加の口もとにさしだした。
「前に米菓子をこっそりくれたでしょう?
あれが忘れられなくて……。お返しです。はい、口を開けて。」
古志加は
白いかたまりが唇を滑って、ころんと口の中に落とされた。
(何だろう、これ?)
甘い。すごく甘い。米?
すごく美味しい。食べたことがない。
「
古志加は目を見開いた。
(高い……!)
こんな小ささで、塩八壺……!
甘い。味わおう。
(この人、なんでこんな高いのくれるの……?)
あたしがこっそりあげた米菓子だって、そこまで高くはない。
「あっちに座れるところがありますよ。行きましょう。」
まだ開いてない店の横に、ちょうど座れる、木を二つに割った丸太の倚子があった。
古志加は口を手でおさえたまま、素直についていく。
↓挿し絵です。
https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330662414670373
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