第四話  

 さる四つの刻。(午後4:30)


 夕餉の準備をしていると、石上部君布多未いそのかみべのきみのふたみの屋敷の使いが、卯団うのだん衛士舎えじしゃに来た。


 使いについて、古志加こじか一人で布多未ふたみの屋敷を訪れる。

 上毛野君かみつけののきみの屋敷から、歩いてすぐの場所だ。


「良く来たな。」


 もう食事が並べられた広い部屋で、もとどり翡翠ひすいかんざしした布多未ふたみが笑う。

 二人の男童おのわらは、二人の女童めのわらはが行儀よく挨拶する。

 四人とも、布多未に顔が良く似てる。


「あら、その恰好……。」


 と妻であろうおみなが、古志加の濃藍こきあい姿を見て目を丸くする。


「ああ、そうよね。上毛野衛士団かみつけののえじだんなのだから……。

 あたしは鏡売かがみめよ。今日はゆっくりして行ってね。」


 とふっくらした頬の女が言う。

 笑うとえくぼができた。

 気の強そうな顔つきの美女だった。


 艶々つやつやとした髪を、綺麗に結い上げ、翡翠ひすいかんざししている。

 きっと、布多未ふたみと同じ翡翠ひすいを加工したかんざしなのだろう。

 蝋燭ろうそくの灯りのもとでも、みどり色の輝き方のくせが同じ石と見えた。

 

「あの、今日はお招きありがとうございます。でも、なんで、あたしなんかを……。」


 と、もじもじしながら古志加が言うと、


「泣かせちまったからな。オレのいもに、おみなを泣かせたら許さない、と、言い含められている。」

「もうっ、そういう意味ではなくてよ……。」


 と鏡売かがみめが恥じらう。かわいい人だ。


「いいんだ。おまえが言うなら、オレはそれを守る。

 おまえはオレのいもだから。」


 と布多未が目を細めて、ほれぼれするような笑顔で鏡売を見る。


(あっ、笑うと、ちょっと三虎と似てる……!

 お兄さんだもんね……。)


 古志加はすすめられた倚子に座り、自分用に用意された膳を見る。


 お酢、白米、ふかした宇母うも(サトイモ)、

 山鳥と山菜の汁物、川魚の煮物。


 まず、お酢に口をつけた。

 酸っぱい。

 口の中がしゅんと引き締まる気がして、その後白米を食べると、これがまた美味しい。

 古志加がニコニコしていると、


「古志加をなんで泣かせることになったの?」


 と鏡売がきく。


「こいつが、おみなに生まれなければ良かった、と言うものだから、それはまだ本当の愛子夫いとこせに会ってないからだ、と言ったのさ。」

「まあ……。古志加、この人を許してね。この人、あほうだから、考えたことをぽんぽん口にしちゃうの。

 でも、悪い人じゃないのよ。とっても心は清いの。」


(あ……、なんか今……、さらっと惚気のろけられてる気がする……!)


 すごい仲の良さだ。


「じゃあ、恋うてる人がまだいなくて、布多未に言われて傷ついて……ってことね? 許してね……。」


 遠慮がちに、でもズバっと鏡売が切り込む。


「あん? こいつ三虎に恋してるぜ。オレの弟。」

「ぎゃっ!!」


 古志加は悲鳴をあげ、ふかした宇母うもを喉に詰まらせ、倚子から転げ落ちた。


「大丈夫?!」


 鏡売が声をかけ、控えていたはたらが古志加を助けおこす。

 古志加は喉をおさえ、咳き込みながら、


「な、な、なぜ……。」


 と訊くと、


「姉上がそう言ってた。応援してほしい。あと、黙ってろ、と。

 ……今言っちまったなあ! あっはっは……!」


 布多未は豪快に笑う。

 ここに布多未の家族と、働き以外いなくて良かった。


「そういうの、も、も……。」


 古志加が真っ赤な顔で、抗議しようともごもご言ってると、


「聞け古志加。

 恋うてるおのこがいるなら、おみなに生まれなければ良かった、なんて言うな。

 女は女。男は男。

 オレは鏡売が女に生まれてくれて本当に良かったと思ってる。

 いや、昔からそう思っていたわけではなく、古志加の言葉をきいてそう思った。

 オレが失ってはいけないいもは、この世にたった一人、鏡売だ。」


 そう堂々と言った布多未は、また目を細めて鏡売を見た。

 慣れっこなのだろう。

 鏡売は落ち着いて、でも心から嬉しそうに笑って、布多未を見た。

 ああ、すごく、良い顔だ。

 布多未と見つめ合う鏡売の、輝くような微笑みに古志加は見入った。

 布多未のいもで。

 この人は幸せだ。

 こんなにも、愛されて。


「で、ちょっと思ったわけ。

 こいつ、本当に慕いあってる妹と愛子夫いとこせを、見たことないんじゃねぇの? って。

 だからほら、見せてあげようと。……これ。」


 と布多未が己と妹を指さした。


「ひぃ……。」


 あまりの惚気のろけの強さに古志加はのけぞる。

 のけぞりすぎて天井が見えた。


(あれ……?)


 考えてみると、母刀自ははとじとクソ親父は、仲の良い夫婦めおとではなかった。

 郷人さとびとの家と交流はなかったし、十歳で卯団うのだんの皆と暮らしはじめ、

 ……夫婦めおと、という形で、

 仲の良い男女と知り合う機会ってなかった。

 はっとした顔で、


「あたし、たしかに、本当の仲の良い夫婦めおと、知らないかも!!」


 からからと布多未は笑い、


「そうだろぉ、古志加、本当の妹と愛子夫いとこせの夫婦をみつけて、よーく観察してみろ!

 そうすれば、オレの言ったこと、よくわかるぜ……。あとな。」


 布多未はそこでいったん口を閉じ、

 ゆるやかに、優しく、古志加に笑った。

 三虎にちょっと似てる。

 古志加は鼓動がはねる。


「失ってはいけない妹は、この世にたった一人。

 これは、父上の教えだ。

 三虎のなかにも生きてるぜ。

 オレも三虎も、父上を見て育ったんだから。」


 と静かに言った。





    *   *   *




 膳を全て平らげ、お礼を言い、一人、上毛野君の屋敷に戻る。

 今日は一日でいろいろなことがあった。

 だが今、胸の中をしめる思いは。


(鏡売、とても幸せそうな笑顔をしていた。)


 心のすみずみ、身体のすみずみまで、布多未の愛に満たされているのだろう。

 母刀自は。

 あのような顔をすることはなかった。

 それを思うと胸が痛む。


 天にかかる満月を見上げ、鏡売の笑顔を月の面影に重ねる。


 ……莫津左売なづさめも。

 三虎に愛されて、あのような笑顔を浮かべるのだろうか。

 胸を貫かれるような痛みが走った。


「ふ……。」


 顔をしかめ、苦しい息をはく。

 あたしもいつか、あのように幸せに笑ってみたい。

 月に照り映えるような笑顔を浮かべ、おみなと生まれて良かった、と口にし、髪には金のかんざしを。

 耳には紅珊瑚の耳飾りを。

 そんな自分を、夜空に浮かぶ満月に重ねて思い描こうとし、


「………。」


 できなかった。

 満月は雲間に隠れた。







 ……失ってはいけない妹は、

 この世にたった一人。

 三虎の中にも生きてるぜ。





 その言葉が、古志加のなかで、いつまでもくるくる、風に舞う桜の花びらのように、舞い続けている。



 あたしはただ、

 少しでも、

 三虎のことが知れて、嬉しい。




    *   *   *




 いぬはじめの刻。(夜7時)


 女官部屋に戻ったら、皆に取り囲まれた。


「可哀想に。」

「大変な目にあったわね。」

下郎げろうは死んでせいせいよ。」


 と口々に古志加を慰め、その後は、


「……で、どうなの? 内衣一枚で、

 布多未に抱き上げられたんでしょ?」


 と女官の皆がフンと鼻息を荒くする。

 やはり噂になってるよね……。


「え……? ど、どうとは……?」


 戸惑い、顔を赤くし、古志加は訊く。


「胸は……? どんな感じなの?」


 福益売ふくますめは目をらんらんと輝かせきく。


「え……? 分厚い……。よく鍛えられてる。」


 きゃああ、と皆が盛り上がる。

 そのノリについていけず、古志加はまごつく。


「腕は?!」


 甘糟売あまかすめが身を乗り出す。


「え……? え……? 太い。力が強い。」


 また、きゃああ、と皆が盛り上がる。

 布多未のことをさんざん聞かれたあとは、花麻呂のことを聞かれた。


 蝋燭ろうそくが尽きるまで話しをせがまれたので、古志加はげっそり疲れ切って眠った。




    *   *   *




 古志加は考える。

 布多未の母父おもちちである、鎌売かまめと、つま石上部君八十敷いそのかみべのきみのやそしきは、きっと、布多未の言う、


「本当に慕いあってる妹と愛子夫いとこせ。」


 だ。八十敷やそしきは、上毛野衛士団長大佐かみつけのえじだんちょうのたいさなので、古志加としては言葉を交わす機会はない。

 鎌売かまめは、いつも厳しい顔をしている。

 鏡売かがみめみたいな、幸せそうな笑顔なんて、見たことないけど?



 女官部屋で、本当に慕いあってる妹と愛子夫の話をしたら、皆キャーキャー言って盛り上がったけど、


「我こそは、本当の妹と愛子夫って人、いる?」


 ときいたら、皆静かに顔を伏せた。



 日佐留売ひさるめを廊下に呼び出し、この話をしたら、


「布多未……。あのアホ。」


 と頭を抱えたあと、


「そうね、あたしと浄嶋きよしまは、ちゃんと妹と愛子夫よ。

 ただ、あたしがとても幸せそうに笑ってるかは、あたしにはわからないわ……。」


 と視線をさまよわせ、


「古志加、この話はこれきりにしてほしいんだけど……。あたしのつま吾妹子あぎもこがいるの。」


 と情けなさそうに笑った。


「日佐留売、ごめん……!」


 と古志加は慌てて日佐留売に抱きついた。

 日佐留売の、そんな顔は見たくなかった。

 ずけずけ人の心に踏み込んで、きいて良い話ではなかった。


 かくして、「本当に慕いあってる妹と愛子夫探し」は、暗礁あんしょうに乗り上げた。











↓手描きの挿し絵です。


https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330659483251280



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