第十章   歌垣で会えたなら

第一話

 はじめの刻。(朝9時)


 衛士は、毎日、上毛野君かみつけののきみの屋敷を、二人一組で警邏けいらする。

 衛士見習いの阿古麻呂あこまろは、三人目として一番後ろにつく。


 石畳の道をむこうから、二人の女官がぼんかかげ持ち、笑いさざめきながら歩いてくる。

 そのうちの、背の高い女官が、こちらを見て、ふっと笑った。


(!)


 たえなる笑み。

 阿古麻呂の心臓しんのぞうが驚きで跳ねた。


古志加こじかか!)


 女官の髪型──左右の頭の上で美豆良みずらを二つ結い、左右の肩につく髪も、二つ、丸く縛る───に結い上げていたが、髪がくるくるとした巻き毛なのは、隠しようもない。

 だが、蘇比そび色の女官の衣と、そそとした歩き方があまりにも、……綺麗で。


(本当に?)


 すれ違い、振り向き、つい、ふわりと舞った浅桜うすさくら色の領巾ひれのはじを、つかまえてしまった。


「わっ!」


 領巾ひれを引っ張られて、女官の掲げ持った盆の上に乗った、漆塗りの木の箱がカタッと音をたてた。

 びっくりした古志加が、大きい目をさらに見開いて、こちらを振り向く。

 本当に古志加だ。

 化粧っ気がない。でも、大きく輝く目、すっと通った鼻梁びりょう小作こづくりで赤い唇で、充分、華がある。

 衛士の濃藍こきあい衣でも、おみならしく、綺麗なのに、女官姿になるとこんなに印象が変わるとは。


「ごめん、つい……。」


 危うく、転ばせてしまうところだった。

 領巾ひれを慌てて離す。


福益売ふくますめ、先に行ってて。」


 と古志加が笑顔で、背の低い女官に言う。

 先に行ってしまった他の衛士を目で気にしつつ、


「あはは、鼻がいいなぁ……。」


 と古志加は笑いながら、盆を片手で持って、木の箱のふたを開けた。

 中には、米菓子。


「今回だけだよ、阿古麻呂。」


 棒状に固められた米菓子を一つ、ひょいとつまみあげ、無駄のない動きで阿古麻呂の口に運んだ。

 間抜けに開いた阿古麻呂の唇に、ほんの少し、古志加の指が触れた。


「じゃあね!」


 きらきらといたずらっぽい微笑みを残して、古志加はさっと身をひるがえし、素早く、だが優雅に、先を行く女官と合流した。



 全てが鮮やかすぎて、かえって白昼の幻のようだった。

 口には、上等な米菓子の甘さが広がる。

 阿古麻呂も慌てて、警邏けいらに戻る。






 花麻呂、本当に?

 本当に、ダメなのか……?




     *   *   *




 三虎はいない。


 

 七月。

 七夕の宴。

 去年は、花麻呂に、


「頼む。代わってくれ。お願いだ……!」


 と必死に頼み込まれ、遊行女うかれめの舞の時間は、舞が見えない門番をしていた。

 かえって、良かった。

 三虎はもう、舞台の上にはあがらなかったが、やはりあの莫津左売なづさめが独唱したらしい。



 今年は、花麻呂と組んで、遊行女うかれめの舞のときは、舞が見える場所で鑑賞することになった。


 いぬの刻(夜7〜9時)


 遊行女の舞が始まる。





 かれ  かれや  遊行女うかれめ


 遊べ  遊べや  雲罍酒うんらいしゅ……




 三十人の美女がいっせいに舞い踊る。

 古志加は無表情に、ぼんやりとそのさまを見ていた。

 と、隣の花麻呂から、なにかふわりとした熱気を感じた。

 花麻呂を見ると、一心に舞台上の誰かを幸せそうに見つめている。

 口もとがほころび、目は熱っぽく潤んでいる。


(あ……、この顔、鏡売かがみめの笑顔に似てる。)


 でも、花麻呂のいもの心には、他のおのこも住んでるって、前に言ってた。

 じゃあ、本当に慕いあってる妹と愛子夫いとこせではないのでは……?

 少なくとも、鏡売と布多未ふたみと同じ妹と愛子夫ではないような……。

 それとも、妹の心に、誰か他の男が住んでても、関係無いのかな?


 と古志加が花麻呂の顔を見て首をひねっていると、美しい声がきこえてきた。

 古志加は、はっと息をつめ、舞台は見ず、耳だけを澄ませた。






 玉蔓たまかずら  や  玉蔓


 絶えぬものから  さ寝らくは


 玉蔓  や  玉蔓


 年の渡りに  ただ一夜


 かささぎ橋の ただ一夜のみ






 古志加は瞳を揺らして、その唄をきいた。

 歌詞が、古志加の胸のなかに、すっと入りこんできた。

 誰が唄っているかではなく、その意味が。




 美しく豊かにつたしげ玉鬘たまかずらのように、絶えることなく、心は結ばれているのに、さ寝は、天の川にかかるかささぎ橋を渡り、一年にたった一夜。

 一年に、たった一夜のみ……。



 それって、どんなにか辛いだろう。

 辛いよね……?

 三虎に半年会ってないだけで、こんなに、辛いのに……。



「ごめん、ちょっと……。」


 それだけ、やっとの思いで口にし、ちょうど警邏のあいまで舞を鑑賞できた何人かのかたまりをすり抜け、その場を離れた。





 人気のない方へ。

 木立の方へ。

 充分離れて、つき(けやき)の木にむかって、


「うわあ……。」


 と声を出して、古志加は泣き出した。

 あの声に、あの唄に、

 心を揺らされてしまった。

 悲しさが、

 恋しさが、

 寂しさが、

 心から溢れ出し、古志加を揺らし、

 涙を止めることができない。


(会いたい。会いたい。)


 一年にたった一夜。

 そんなの、辛い。

 でも、絶えることなく心は結ばれているなら、羨ましい。

 あたしは、恋うても、恋うても、

 ………あたしからだけ。




 ああ、会いたいよ。

 それだけでいいよ。

 三虎。




「ああ………。」


 と声をあげ、泣きむせぶ。

 と、後ろで、パキリと、小枝を誰かが踏み折った音がした。

 古志加は驚き、肩をびくりと揺らし、声をひっこめた。

 鋭く振り返る。

 可我里火かがりびあかりの届かぬ暗がりに、月の明かりがまばらにしか届かぬ木立のもとで、


「あ……。」


 戸惑って立つ人影が声をもらした。

 阿古麻呂だ。







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