第二話

 三虎は冷たい、と思う。

 でもそれでも、あたしは、三虎を恋い慕うことをやめられない。

 心から恋うている。


 女官部屋で夜寝るときは、内衣一枚で、あたしの宝物を抱きしめて、浅香あさこうの香りを胸いっぱいに吸い込む。

 それが、あたしにできる、精一杯の慰め。


 魂を飛ばして、

 千里を駆け、

 夢の中でも、

 三虎に会えればいいのに。


 でも、心からそれを切望することはできない。

 三虎からは、望まれてないから。



 女官部屋で親無しはあたし一人じゃない。

 辛い思いを抱えた者は、あたしだけじゃない。

 わかっているのに、三虎がいないと、夜、無性むしょうに泣きたくなってしまう。



 あたしは一人だ。



 父はいなくなり、母刀自は殺され、兄妹もいない。

 あたしがある日、ふっといなくなっても、この世は何も揺らぎはしない。

 日佐留売ひさるめも、難隠人ななひとさまも、女官部屋の皆も、卯団うのだんの皆も、こんなにあたしに優しくしてくれるのに。

 それでも、あたしのなかで一つの言葉が湧き上がり続ける。



 あたしは一人だ。あたしは一人だ……。



 大きな岩のような、ザラザラ尖った角を持つ、冷えた手触りの寂しさが、あたしの心の中にあって、涙をこらえることができない。

 あたしは、あたしの宝物を抱きしめて、毎夜、泣くしかできない。

 寂しい。

 三虎が恋いしい。




    *   *   *




 上毛野衛士団かみつけののえじだんが、大量に新しい衛士を召し抱えた。

 卯団にも五人、衛士見習いが入ってきた。

 一人ずつ、名前と出身の郷を言う。

 その中に、古志加と同じ板鼻郷いたはなのさと出身のおのこがいた。

 古志加は、おや、と思ったが、思えば、自分は郷の者とはほとんど交流がなかった。

 わざわざ自分も同じ郷と明かすのはよそう……。


阿古麻呂あこまろ!」


 花麻呂が、自己紹介もそこそこに、新入りの一人と固く抱擁し合った。


「皆、こいつ、オレの幼馴染なんだ。よろしく頼みます!」


 とさわやかな笑みを満面にたたえて、花麻呂が言う。


「よろしくお願いします。」


 と花麻呂と肩を組んだ阿古麻呂は、花麻呂より背が低く、声も少し低い。

 ちょっと垂れ目の、優しそうな顔のおのこは照れたように笑った。

 花麻呂は、板鼻郷のとなりの、若田郷わかたのさとの出身だ。

 それは間違いない。


(あれ……?)


 板鼻郷出身って、阿古麻呂じゃなかった?

 花麻呂の幼馴染なら、若田郷だよね?

 板鼻郷出身って名乗ったのは他の人だったっけ……。




   *   *   *




 三虎はいない。

 それでも、日常は過ぎていく。




 昼餉ひるげと、夕餉ゆうげは、卯団うのだん皆でとる。


 炊屋かしきやから、きのこやら山菜やら、鹿肉かのししやら、いろいろ煮込んだものが、大きな鍋で運ばれてくる。

 あと、あわなどの握り飯。

 卯団で育ててる畑から作物をとってきて、火を使い鍋に放り込むこともある。

 毎日ではないが、白酒や粉酒こなさけがつくこともある。

 白酒しろさけは、米の粒がつぶつぶ、ぷちぷちしてる。甘くて、口中で粒を噛み潰すと、甘さが更に広がって、美味しい。

 粉酒は、丁寧に粒をすり潰して滑らか、とろおっとした喉越し。飲み込むと、甘さが舌と喉の奥から、ふわあんっと上がってくる。

 つまり、あたしはどっちも好き。




「よう古志加。一緒に食べようぜ。」


 桑麻呂くわまろがニヤニヤ笑いながら、夕餉のわんを持ち、古志加の隣に座ろうとする。


「イヤッ。」


 古志加は木を二つに切った倚子からすばやく立ち、ぷいっとその場を離れる。



 普段は普通なのだが、組稽古の時だけ、桑麻呂はしつこく……、古志加の身体を触ろうとする。

 何度注意してもやめない。

 古志加も怒り心頭で、きつく蹴り上げたり、顔面に正拳を炸裂させたりする。

 やりすぎてる自覚はあるが、桑麻呂は繰り返す。

 キライ。

 だから古志加も常日頃から冷たく接してしまうのだが、時々こうやって、古志加に笑いながら声をかけてくることがある。

 わけわかんない。

 困ったヤツ……!



「花麻呂、花麻呂ー!」


 藤売の件以降、すっかり花麻呂と薩人さつひとが好きになってしまった。

 薩人、強い。

 花麻呂、いいヤツ。命を助けられた。

 でも、薩人は奈良だ。


「花麻呂、夕餉……。」


 あたしと一緒に食べて、と言おうとして、言葉を呑み込む。

 花麻呂は、新入りの阿古麻呂と楽しそうに話し込んでる。


(邪魔しちゃうかなぁ……。)


「おっ、古志加、座れ、座れ……。」


 こっちを振り向いた花麻呂が、ほんのり赤い顔で古志加に笑いかける。

 阿古麻呂がこっちを見て、ぺこりと頭を下げる。

 やはり顔が赤い。

 古志加は花麻呂の隣におずおずと腰かけた。

 ふわん、と浄酒きよさけの匂いが鼻をかすめたような気がした。


 阿古麻呂の右のこめかみには傷がある。

 午後の組稽古で、古志加の回し蹴りが決まった跡だ。

 花麻呂の肩からちょこんと顔を出し、


「あ……あの、ここの傷、ごめんね。

 痛かった……?」


 古志加は己の右のこめかみを指差し、謝っておく。

 回し蹴りが決まったんだから、それは痛いはずだ。


(間抜けなことをきいてるなあ。)


 と我ながら思うが、花麻呂を挟んで、阿古麻呂がちょっと目を見開いて古志加を見た。

 まともに目があう。

 なんだか無言で、顔をすごい見られた。


(……あれぇ?!)


 急に気恥ずかしくなった。

 古志加は目を伏せ、すす……、と花麻呂の背の陰にかくれた。



「はっはっ……、なんだそりゃ古志加。」


 と軽快に花麻呂が笑い、


「平気だよなぁ、阿古麻呂。

 おまえもずっと、武芸がやりたい、衛士になりたい、って言ってたもんなぁ。」


 と言った。


「ええ、そうです。やっと衛士になれたんです。

 もっと鍛えて下さい。」


 と阿古麻呂も明るく言う。

 古志加は花麻呂の肩を右手でつかまえ、その手のはじから顔を出し、


「う……、うん。」


 と言った。阿古麻呂はくすりと笑い、


「なんだか、そうやってると、二人とも兄妹のようだ。」


 と言った。

 花麻呂と古志加は顔を見合わせ、


「違う。」


 と声を揃えた。

 阿古麻呂はにっこり笑って、垂れ目が細くなった……。


「オレは十八歳です。

 親を説得するのに三年もかかりました。

 古志加は、いくつなんですか? 正式な衛士になって長いんですか?」


 そう言って、阿古麻呂は笑顔のまま古志加を見つめた。


「十七歳。正式な衛士になれたのは一年前。

 でも、もっと前から、稽古だけはつけてもらってたよ……。」


 それだけ言って、また、すす……、と花麻呂の背に隠れる。

 阿古麻呂はまだ何か言おうとしていたが、


「阿古麻呂、古志加の話ばっか聞いてないで、おまえの話をしろよ。

 ほら呑め、ほらげ、オレはここでは先輩だぞお。」


 と花麻呂が口を挟んでくれた。

 ふぅ。

 古志加は一息ついて、夕餉を口にしはじめる。









↓挿し絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330660196798890

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る