第八章   白露のように

第一話

 十二月。


 辰二つの刻。(朝7:30)


 群馬郡くるまのこおりの見廻りを終えたあと、三虎が大川さまと少し話しをしたあと、


古志加こじか!」


 といきなり声をかけられた。

 馬をうまやにひいていくところだった古志加は、


「はいっ!」


 と勢い良く返事をし、それからびっくりして三虎を見た。


「今から板鼻郷いたはなのさとに行くぞ! 墓参りだ。」

「うん! ありがとう!」


(やった!)


 古志加は笑顔を三虎にむける。

 おみなの衣ではないが、耳には紅珊瑚の耳飾りが光っている。

 あたしは、これで良い。

 いまだ、自分のなかの女らしさや、女としての魅力は、これだ、というものが見つからない。

 だって、美しい日佐留売や、女性らしい女官の皆を見てると、あたしは全然違う。

 それでも不思議と、この紅珊瑚を耳につけてから、あたしはこれで良いのだ、との思いが胸に生まれた。

 そして、想いを、告げたい、と、はっきり思うようになった。


(今日こそ……。)


 三虎に言おう。

 三虎に恋してる。

 あたしに、口づけしてほしい。

 あたしに、板鼻郷の素朴なかんざしを買ってほしい。


(良し、がんばるぞ!)


 決意を胸に秘め、三虎のあとから馬を駆る。




 三虎は馬を駆りながら、ずっと無言だった。

 三虎は、あたしが恋してると言ったら、なんと答えるだろう?


「おまえ、おのこみたいなくせに、何言ってんだ。」

「バカも休み休み言え。」

「オレには美しい遊行女うかれめがいるから、おまえはなぁ……。」


 ああ……、どれもあり得る。まざまざと頭に浮かぶ。だからそこでひるんじゃダメだ。

 あたしは、三虎に、口づけしてほしい。

 どうにか頼み込んで、絶対、してもらうんだ。

 あの響神なるかみ(カミナリ)の鳴るなか、あたしがもらいそこねたものを、与えてもらうだけだもんね……!

 と古志加は己に言い訳をする。




    *   *   *




 山の中腹の家についた。

 もう草ぼうぼうで、人が誰も来ていないことがわかる。

 家の裏の墓までは、草をむしり、軽く刈り、来年用に道を確保する。

 母刀自の墓の前にたたずみ、


(母刀自……。)


 と心で呼びかける。


「ふ……。」


 古志加の後ろの蝦手かへるで(かえで)の木にもたれていた三虎が、十二月の冷気に肩を震わせ、白い息を吐いた。

 墓参りは終わった。

 古志加は三虎を振り向く。


(よ、良し。言うぞ!)


「古志加。」


 先に三虎に声をかけられた。平坦な声で、


「年があらたまったら、オレと大川さまは奈良へ行く。大川さまは宮仕えをなさる。」


 と言った。


「え……?」


 頭が真っ白になった。


「いつ帰ってくるの?」


 三虎は肩をすくめた。もとどりに挿した黒錦石くろにしきいしかんざしが、黒、銀、紅、に冷たく輝く。


「さあ? 正月くらいは帰ってくるんじゃないか? 短い間だけ……。奈良で屋敷をもうける。もうずっと、あっちだ。」

「ずっと、っていつまで?」

「だから、ずっと。何年か、何十年か。」


 古志加は震えだした。


「あたしも、あたしも連れて行って。」

「だめだ。」


 三虎に揺るぎない顔でピシャリと言われた。


「イヤだっ!」


 古志加は叫び、涙をこぼしながら、三虎の胸に飛び込んだ。


「あたしを置いていかないで、そんなはなばなれになりたくない。お願い、お願い……。」


 と言って泣いた。

 三虎は古志加の背中に手をあててはくれたが、


「おまえは上野国かみつけののくにに置いてく。」


 と重ねて、ハッキリと言った。


「わあああ!」


 古志加は三虎に必死にしがみついて、火がついたように泣き出した。

 三虎の性格は良く知ってる。

 三虎がこう言うなら、もう三虎を変えることは、古志加にはできない。

 古志加は良く泣いて、泣いて、その間ずっと三虎はゆるく古志加を抱きとめてくれた。

 古志加は、泣き声以外、言葉を何も喋れなかった。

 古志加を抱くその腕は優しいが、古志加の言葉は全て冷たく拒絶される。

 ゆえに、何も言えない。



 このまま、冷たい三虎に優しく抱きしめられながら、白露しらつゆのように、今すぐ消えてしまえればいいのに、と思った。




    *   *   *




 三虎に、


「これはまだ卯団うのだんでは荒弓あらゆみにしか伝えてないから、口にはするな。」


 と口止めされたことは覚えてるが、

 その日、どうやって上毛野君かみつけののきみの屋敷に戻ったか、あまり覚えてない。


「おまえ、ひでえ顔してるぞ。

 そんな腑抜ふぬけてると皆の邪魔だ。

 今日はもう休め。

 あとで姉上のところに行って、薬湯でも飲ませてもらえ。」


 と上毛野君の屋敷の門をくぐったところで、三虎に言われた。


「はい……。」


 と力無く返事をし、そこで三虎とは別れた。

 馬の世話をし、一人ふらふらと女官部屋へ行き、布団につっぷしてまた泣いた。




    *   *   *




 癸丑みずのとうしの年(773年)。


 一月十日。三虎は、大川さまと一緒に奈良に行ってしまった。

 奈良の屋敷の警護の為に、何人か上毛野衛士団から引き連れて行った。

 卯団からも薩人をはじめ、五人、選ばれた。

 古志加は選ばれなかった。


(どうして連れて行ってくれないんだろう?)


 母刀自の墓参り以降、三虎と二人きりになれる時間はなかった。

 どうして?

 訊けなかった。

 でも、古志加にとって大事なのは、そこじゃない。

 連れて行って、と願い、拒絶された。

 それが全てだ。

 出立の日、オイオイ泣いている衛士もいたが、

 あたしは不思議と涙が出ず、ぼんやりと見送った。

 そしてもう、紅珊瑚の耳飾りをつけることをやめた。






 三虎はいない。大川さまもいない。福益売ふくますめは、


「この世の光が消えたわああ!」


 と嘆いていた。

 顔の傷も、腕の傷も綺麗に治って、良かった。





 難隠人ななひとさまも、寂しそうにしていることはあったが、思ったより気丈だ。


多知波奈売たちばなめの前で、あんまりしょんぼりした顔をするなよ、古志加!」


 とある時に言われてしまった。

 ……あたし、しょんぼりした顔をしてましたか。

 難隠人さまは本当に緑兒みどりこ(赤ちゃん)が好きみたいで、飽きずにニコニコと、多知波奈売を良く見つめている。

 その顔が明るいので、古志加はほっとした。


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