第十五話  難隠人、縹緲しのはゆ

 ※縹緲ひょうびょうしのはゆ……かすかではっきりしないさまを、懐かしみ思いをせる。





     *   *   *




 いぬの刻。(夜7〜9時)


「はあぁ……。」


 珍しく、大川が自室で浄酒きよさけを飲んでる。

 三虎と二人きり。

 三虎はつまみの、塩味のきいた豆菓子を大川にすすめる。

 大川は、その乾燥した豆をコリッと口に含んで、酒をぐいとあおる。


藤売ふじめはね、実は夜、ここに忍んできたことがあるんだ。

 ……追い返した。

 三虎、私は、自分から夜忍んでくるおみなはごめんだ。」


 三虎は苦々しげな顔になる。


「まったくもってその通りです。」

「だが、今朝、最後の挨拶に来た時に、人払いをしたろ? 

 あの時、最後まで、口づけ一つ、してくださらないのね。と寂しそうに言って、涙をこぼしてた。

 しおらしい態度だった。

 少し胸が傷んだよ。

 なんで初めから、あのようにしおらしく、子供にもただ優しくできなかったんだろうな。」


 と大川は言って、ため息をついた。

 そうしていれば、藤売の望むものは手に入っただろうに。


「そうそう、難隠人ななひと付きの古志加こじか響神なるかみ(雷)の夜に大変だったな。

 甘麦大棗湯かんばくたいそうとうを五包、たまう。

 日佐留売ひさるめにも同じものを十包、届けよ。

 帰ってきて嬉しい。難隠人のために。」

「はい。」


 と三虎が返事をする。


「はあぁ……。なんだか今宵は、久しぶりに肌さみしい気分だ。

 古志加でも呼んで、しゃくをさせようかなぁ……。」


 と、わざとらしく三虎を見る。

 こいつ、昨日、賊を捕らえるドサクサのなかで、古志加を抱いていた。


(私は見たもんね……!)


 三虎がはっと息をのんで、瞬時に身体を緊張させた。


「古志加は……、古志加は卯団うのだんのオレの部下です。」


 青ざめた顔で、


「オレの、部下です。」


 と身じろぎもせず大川を見つめながら、苦しそうに言った。唇が震えてる。

 いじめすぎたようだ。

 はは……、とすこし苦笑し、大川は自分の顔に手をあてた。

 熱い。酔ってる。


「冗談だよ。本気にとるな。

 私は、妻を迎える日が先に伸びたことに安堵してる。

 おみなはこりごりだ。

 とくに、自分で夜忍んでくる女と、怖い女は。三虎、覚えておけ。」


 はっきりした声で告げた。


「はい。」


 と三虎が頭を下げる。




     *   *   *





「お、なんだそりゃ。」


 辰はじめの刻(朝7時)。

 朝の見廻りに、大川さまと来た三虎が、大川さまと自分の馬をひいてきて、古志加を見た第一声だった。


「え、えへへ。」


 ちょっと顔を赤くして、古志加は笑った。

 両耳には、藤売の耳を飾っていた紅珊瑚の耳飾りが、明るく鮮やかな光を放っている。


「藤売さまにいただいたの。」

「へえ。そうか。良かったな。見廻りが終わったら、一緒に来い。」


 と、さっさと三虎は大川さまに馬をわたしに行ってしまった。

 はぁ、と古志加は肩の力を抜いた。

 やはり、気恥ずかしい。

 でも、頑張ると藤売と約束した。

 卯団うのだんの皆にも見てもらいたくて、今日は、衛士の濃藍こきあい衣と、紅珊瑚の耳飾りという組み合わせだ。

 女官でも、女嬬にょじゅや、良いを持つ者は、貴石の耳飾りをつけてるのを見かけることはある。

 でも、この組み合わせは、あたしだけ。

 おみなであり、衛士。

 それが、あたしだ。




     *   *   *




 朝の見廻りを終えて、三虎に連れられて二人で屋敷の簀子すのこ(廊下)を歩く。


難隠人ななひとさま付きの女官としての役目、ご苦労だったな。」


 鎌売かまめから許しが出て、今は八日間は衛士、一日は女官として務めることになった。

 藤売が来る前、日佐留売ひさるめが郷帰りする前に戻った。


「嵐みたいなおみなだったな。

 去ってくれて良かった。

 だが紅珊瑚を貰うとは……。さんざん苛められてたのにな。気に入られたのか? おまえ……。」


 前を行く三虎が不思議そうに言う。


「わかりません。」


 古志加は正直に答える。

 難隠人さまへの態度や、古志加を池に飛びこむよう仕向けたことは、到底許せない。

 だが、藤売を思い出すと、あの奇妙な優しさと、美しさが古志加の胸に蘇る。

 本当に、わからないおみなだった。

 大豪族の娘なのだ。

 ひなにすぎない古志加に、そもそもわかるわけがない。


 大川さまの部屋についた。

 広い部屋は、三虎とあたし二人いても、がらんとしている。


「大川さまが薬湯くすりゆを五包、おまえに下賜かしくださったぞ。

 前におまえに飲ませたやつだ。

 大川さまはお優しい。感謝しろよ。」


 紙包みに入った薬を唐櫃からひつからとりだし、振り返り、三虎が言う。


「はい。感謝します。あたしだけですか?」


 古志加は慌てて言う。

 もう、先日、賊を退治した褒美で、卯団全員塩壺を三壺、特別に頂戴している。

 さらに古志加は加えて、塩壺二壺、花麻呂は五壺、薩人は七壺、頂戴している。

 この上、古志加だけ高価な薬湯をいただいては、もらいすぎて恐縮だ。


「あと、姉上にも。」


 三虎が薬を大きい束、小さい束、2つに分け、麻紐でしばり始める。


「女官としての褒美と考えれば良い。」


 そんなことは考えていなかった。

 古志加は目をぱちぱちさせて、


「はあ。」


 と言った。


「あと、夜はあまり、ここのまわりをうろつくな。

 務めが終わったら、まっすぐ女官部屋へ帰れ。」


 大川さまの部屋のまわりをうろついた覚えはない。

 古志加は首をかしげて、


「はあ。」


 と言った。


「ああそうだ、おまえオレのこと嫌いだってな。」


 意地悪くニヤリと笑いながら三虎が言った。


「はわわっ……!」


 古志加は慌てて、変な悲鳴をあげてしまう。

 酷い誤解をされている。


(謝らねば!)


「そんなことありません。あの時のことは謝ります三虎。あたし、あたしは、三虎が大好きです。」


 と頬を蒸気させながら、三虎を真っ直ぐ見て言う。

 三虎の動きが止まり、笑いが顔から消える。


「荒弓も、薩人も、とにかく、卯団うのだんの皆も、大好きです。

 三虎も、皆も、身寄りのないあたしを、行き場のないわらはを、優しく迎えてくれました。

 あたしがどんなに感謝したか、言葉では言い尽くせません。

 そのことを、わかって下さい、三虎。」


 三虎がちょっと半目になって、不機嫌そうな顔になった。


「わかってる。オレもいちいちわらはの言葉を取り合ったりしない。

 そうではなく、オレの言うことは素直にきけ。

 おまえぐらいだぞ、反抗してくる衛士は。オレは正直、イライラすることがある。」


 と、これまた不機嫌そうな口調で三虎は言った。


わらはって言われたぁ……!)


 もう童の年じゃないです。

 身を飾ることだって頑張ってるんです。

 との思いが込み上げたが、三虎の言うことももっともなので、


「すみません……。」


 と古志加はうつむいて、肩幅をせまくした。


「気をつけてくれれば良い。ほら。」


 三虎が、小さい方の薬の束を古志加に放る。

 古志加は受け止め、


「三虎! あたし、いただいても飲み方がわかりません。」


 と情けない顔をした。


「それもそうだな。市で交換すれば良い値はつくだろうが、もったいないからな!」


 と三虎が古志加に近づき、薬をひょいと取り上げた。


「一緒に姉上に預けておく。姉上のところで飲ませてもらえ。」


 そう言った三虎と目があった。

 無表情。

 距離が近い。

 今ここには二人しかいない。

 古志加の耳には紅珊瑚が光る。


「三虎、あの、干し杏とくるみ、ありがとうございました!」


 古志加は緊張しながら一気に言った。


「おう。」


 三虎が短く返す。

 干し杏、

 と声を出さず、唇の動きだけで古志加はつぶやく。

 頬を赤くして。

 三虎を見つめて。

 なんと言えばいいだろう。

 あの響神なるかみ(カミナリ)の中で。

 干し杏、吐き出してごめんなさい。

 怒らせて、ごめんなさい。

 日佐留売が来るのが、もうちょっと遅かったら。

 三虎はあたしに、口づけしていたの?

 あたしは、あのような状況じゃなければ、


「三虎……。」


 三虎に口づけをしてほしい。

 今も。

 三虎のことを、恋うているから。




 三虎は少し目を見開き、ぐっと不機嫌な顔になり、三虎の手刀が頭の上に落ちた。


「オレはこれから姉上のところへ行く。おまえはすぐ卯団へ戻れ。いつまでもサボってんなよ。」


 厳しい口調で言われた。


「はい……。すみません。」


 しおしおと古志加は回れ右をした。

 三虎は容赦ない。

 いいもん……。知ってるもん……。




     *   *   *




 難隠人ななひとさまは多知波奈売たちばなめに夢中になった。

 暇があれば、多知波奈売を見に来る。

 音のでる木のおもちゃで遊んでやり、泣いてると、逃げていく。


「かわいいなぁ。」


 と多知波奈売を見ては、しきりとつぶやく。


緑兒みどりこ(赤ちゃん)って、めしを食べてるだけで、かわいいんだなぁ。」


 とある日感心していたので、


「難隠人さまだって、緑兒みどりこ(赤ちゃん)の頃はそうでしたよ。」


 と日佐留売ひさるめが笑顔で言うと、


「そんなことないよ。……そうかあ?」


 と照れて頬を赤くする。

 ちょんちょん、と多知波奈売の頬をつついて、


「私が守ってやるからな。」


 と緑兒みどりこ用の寝台を覗き込む。

 寝かされた多知波奈売は、


「うー、あー。」


 と機嫌の良い声を出す。

 難隠人さまが自分に話しかけているのがわかるのだろう。

 難隠人さまを見て笑う。


「難隠人さまがよろしければ、将来、

 吾妹子あぎもこにしてくださっても、良いんですよ?」


 日佐留売がまんざらでもない気持ちで言うと、難隠人さまは、


「よせよ。緑兒みどりこ(赤ちゃん)だからって、ちゃんと耳はある。話しは聴こえてるんだぞ。」


 と日佐留売を見て叱り、目をそらし、


「まあ、多知波奈売が愛子夫いとこせを見つけるまでは、私が守ってやるけどな。」


 と胸をそらし、ちょっと顔を赤くした。


(かわいい。)


 日佐留売はくすくす笑いたい気持ちをおさえ、


「これは失礼しました。」


 と謝る。


「へへ……。」


 難隠人さまは機嫌良く多知波奈売に笑顔をむける。

 浄足きよたりは黙ってニコニコと難隠人さまの側にひかえている。




    *   *   * 




 多知波奈売が上を、部屋の何もないところを、じっと見つめている。


(……おや?)


 難隠人は、緑兒みどりこには、何か本当に見えてるんじゃないかと思う。

 大人には見えない何か。


(………!)


 難隠人は無言で目を見開いた。

 そうだ。

 自分も、物心つかない頃に、そう、きっと、こんな風に寝かされている時、なにか見た。

 唐突に思い出した。


 まわりが白く霞がかっている中に、薄ぼんやりとした人影が二人、空の高い高いところから、自分を見下ろしている。

 ぷかぷか浮きながら。

 おのこおみな

 二人とも、立派な衣を着て、二十歳前くらいで、若い。

 仲睦まじく、二人で何か会話し、笑いあい、こちらを見て、どこまでも優しい笑顔をむけてくれた。

 温かい、心地よい、二人の心のようなものが、陽の光のように自分に向けてふりそそぎ……。


(あ……!)


 顔は覚えていない。

 でもその優しい光の温かさだけは覚えている。

 難隠人は上を向いた。

 多知波奈売が見ている方。

 でも何も見えない。ただの天井だ。

 目尻に涙が浮かんだ。

 あの温かさは、日佐留売が、父上が、私に向けてくれる温かさにそっくりだ。

 きっと、あの二人は、私の本当の母父おもちちだ。

 しかと見たわけではない。

 会えたわけではない。

 顔も覚えていない。

 でも一つ、唐突に胸に湧いてくる感情があった。


(私はきっと、愛されていた……。)


 本当の母父おもちちに愛されたから、今ここに難隠人は生きて、この手も、この身体も、この世にある。

 難隠人は己の手を見つめ、涙をこぼした。


「難隠人さま?」


 心配そうに浄足が声をかけてくる。

 難隠人は浄足を振り向いた。

 誰かに、今、思い出したまぼろしのような光景を話したい。

 でも信じてもらえるとは思えない。

 自分でもうつつの光景とは思えない。

 誰にも言わずに黙っていようか。

 浄足が、じっとこちらを見ている。

 その目には、心から案ずる光がある。


(……浄足にだけは。)


 信じてもらえずとも良い。

 ただ、私の思い出したことを、話そう。


「浄足、こっちだ。作戦会議だ。」


 いつもの、お気に入りの茂みのなかに浄足を誘い、難隠人は歩きはじめた。


「まあ……。」


 と日佐留売がおっとり笑い、


「は、はいぃ。」


 浄足が慌てて、あとをついてくる。












 ぽんにゃっぷ様から、ファンアートを頂戴しました。

 ぽんにゃっぷ様、ありがとうございました。↓

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093074328117016

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る