第十九話  難隠人、縹緲しのはゆ

 ※縹緲ひょうびょうしのはゆ……かすかではっきりしないさまを、懐かしみ思いをせる。





     *   *   *




 古志加は、わかってほしい、と気持ちを込めて三虎に言った。


荒弓あらゆみも、薩人さつひとも、とにかく、卯団うのだんの皆も、大好きです。

 皆は身寄りのないあたしを、優しく迎えてくれました。

 あたしがどんなに感謝したか、言葉では言い尽くせません。

 そのことをわかって下さい、三虎。」


 三虎がちょっと半目になって、不機嫌そうな顔になった。


「わかってる。オレもいちいちわらはの言葉を取り合ったりしない。

 そうではなく、オレの言うことは素直にきけ。

 おまえぐらいだぞ、反抗してくる衛士は。オレは正直、イライラすることがある。」


 と、これまた不機嫌そうな口調で三虎は言った。


わらはって言われたぁ……!)


 もう童の年じゃないです。

 身を飾ることだって頑張ってるんです。

 との思いが込み上げたが、三虎の言うことももっともなので、


「すみません……。」


 と古志加はうつむいて、肩幅をせまくした。


「気をつけてくれれば良い。ほら。」


 三虎が、小さい方の薬の束を古志加に放る。

 古志加は受け止め、


「三虎! あたし、いただいても飲み方がわかりません。」


 と情けない顔をした。


「それもそうだな。市で交換すれば良い値はつくだろうが、もったいないからな!」


 と三虎が古志加に近づき、薬をひょいと取り上げた。


「一緒に姉上に預けておく。姉上のところで飲ませてもらえ。」


 そう言った三虎と目があった。

 無表情。

 距離が近い。

 今ここには二人しかいない。

 古志加の耳には紅珊瑚が光る。


「三虎、あの、干し杏とくるみ、ありがとうございました!」


 古志加は緊張しながら一気に言った。


「おう。」


 三虎が短く返す。

 干し杏。

 と声を出さず、唇の動きだけで古志加はつぶやく。

 頬を赤くして。

 三虎を見つめて。

 なんと言えばいいだろう。

 あの響神なるかみ(カミナリ)の中で。

 干し杏、吐き出してごめんなさい。

 怒らせて、ごめんなさい。

 日佐留売が来るのが、もうちょっと遅かったら。

 三虎はあたしに、口づけしていたの?

 あたしは、あのような状況じゃなければ、


「三虎……。」


 三虎に口づけをしてほしい。

 今も。

 三虎のことを、恋うているから。




 三虎は少し目を見開き、ぐっと不機嫌な顔になり、三虎の手刀が頭の上に落ちた。


「オレはこれから姉上のところへ行く。おまえはすぐ卯団へ戻れ。いつまでもサボってんなよ。」


 厳しい口調で言われた。


「はい……。すみません。」


 しおしおと古志加は回れ右をした。

 三虎は容赦ない。

 いいもん……。知ってるもん……。




     *   *   *




 難隠人ななひとさまは多知波奈売たちばなめに夢中になった。

 暇があれば、多知波奈売を見に来る。

 音のでる木のおもちゃで遊んでやり、泣いてると、逃げていく。


「かわいいなぁ。」


 と多知波奈売を見ては、しきりとつぶやく。

 ちょんちょん、と多知波奈売の頬をつついて、


「私が守ってやるからな。」


 と緑兒みどりこ用の寝台を覗き込む。

 寝かされた多知波奈売は、


「うー、あー。」


 と機嫌の良い声を出す。

 難隠人さまが自分に話しかけているのがわかるのだろう。

 難隠人さまを見て笑う。


「難隠人さまがよろしければ、将来、吾妹子あぎもこにしてくださっても、良いんですよ?」


 日佐留売がまんざらでもない気持ちで言うと、難隠人さまは、


「よせよ。緑兒みどりこだからって、ちゃんと耳はある。話は聴こえてるんだぞ。」


 と日佐留売を見て叱り、目をそらし、


「まあ、多知波奈売が愛子夫いとこせを見つけるまでは、私が守ってやるけどな。」


 と胸をそらし、ちょっと顔を赤くした。


(かわいい。)


 日佐留売はくすくす笑いたい気持ちをおさえ、


「これは失礼しました。」


 と謝る。


「へへ……。」


 難隠人さまは機嫌良く多知波奈売に笑顔をむける。

 浄足きよたりは黙ってニコニコと難隠人さまの側にひかえている。




    *   *   * 




 多知波奈売が上を、部屋の何もないところを、じっと見つめている。


(……おや?)


 難隠人は、緑兒みどりこには、何か本当に見えてるんじゃないかと思う。

 大人には見えない何か。


(………!)


 難隠人は無言で目を見開いた。

 そうだ。

 自分も、物心つかない頃に、そう、きっと、こんな風に寝かされている時、なにか見た。

 唐突に思い出した。


 まわりが白く霞がかっている中に、薄ぼんやりとした人影が二人、空の高い高いところから、自分を見下ろしている。

 ぷかぷか浮きながら。

 おのこおみな

 二人とも、立派な衣を着て、二十歳前くらいで、若い。

 仲睦まじく、二人で何か会話し、笑いあい、こちらを見て、どこまでも優しい笑顔をむけてくれた。

 温かい、心地よい、二人の心のようなものが、陽の光のように自分に向けてふりそそぎ……。


(あ……!)


 顔は覚えていない。

 でもその優しい光の温かさだけは覚えている。

 難隠人は上を向いた。

 多知波奈売が見ている方。

 でも何も見えない。ただの天井だ。

 目尻に涙が浮かんだ。

 あの温かさは、日佐留売が、父上が、私に向けてくれる温かさにそっくりだ。

 きっと、あの二人は、私の本当の母父おもちちだ。

 しかと見たわけではない。

 会えたわけではない。

 顔も覚えていない。

 でも一つ、唐突に胸に湧いてくる感情があった。


(私はきっと、愛されていた……。)


 本当の母父おもちちに愛されたから、今ここに難隠人は生きて、この手も、この身体も、この世にある。

 難隠人は己の手を見つめ、涙をこぼした。


「難隠人さま?」


 心配そうに浄足が声をかけてくる。

 難隠人は浄足を振り向いた。

 誰かに、今、思い出したまぼろしのような光景を話したい。

 でも信じてもらえるとは思えない。

 自分でもうつつの光景とは思えない。

 誰にも言わずに黙っていようか。

 浄足が、じっとこちらを見ている。

 その目には、心から案ずる光がある。


(……浄足にだけは。)


 信じてもらえずとも良い。

 ただ、私の思い出したことを、話そう。


「浄足、こっちだ。作戦会議だ。」


 いつもの、お気に入りの茂みのなかに浄足を誘い、難隠人は歩きはじめた。


「まあ……。」


 と日佐留売がおっとり笑い、


「は、はいぃ。」


 浄足が慌てて、あとをついてくる。















 ↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093086326022581

 

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