第三話

 背中にもたれた古志加こじかがなかなかに重い。


「おい、古志加。さすがに重い。」


 と首をまわして古志加を見ると、古志加が寝てる。

 花麻呂はぎょっとして机の上をたしかめる。

 阿古麻呂あこまろと呑もうと思って、自分が蓄えこんでた浄酒きよさけを二壺、用意してきていた。

 白酒しろさけは甘いが、酔わない。

 浄酒は白酒より高く、呑むと酔う。

 古志加からも手が届く場所にあった酒壺を持ち上げ、振ってみる。

 中身はそこまで減ってないようだが……、


「こいつ、浄酒呑みやがったなァ……。水じゃねえぞ!」


 古志加はすうすうと寝息をたてている。

 これでは起きなさそうだ。

 阿古麻呂がぐっと身体をそらし、古志加の寝顔を覗き込んだ。


「……可愛い。」


 小声でつぶやいた。


「おいおい。」


 花麻呂はのけぞった。


「本人にそういうの言うなよ。すげえ恥ずかしがり屋だからな。」

「花麻呂は可愛くないのか?」


 花麻呂は、げ──っ、という顔をして、その後、古志加を見た。

 可愛い……、まあ、たしかにおみなの顔になった。

 初めて会ったのは、オレが十五歳、古志加が十三歳のときだ。あの時は、


 ───ハイわらはです!


 という感じで、女くさくはなかった。

 だがもう今は、衛士の濃藍こきあい衣でも、化粧も飾りも何もなくても、女の顔だ。


「可愛いとは思うよ。

 だがこいつは、卯団うのだん全員で可愛がってる、女童めのわらはみたいなもんなんだ。

 それともお前、おみなにのされるのが、そんなに嫌だった?

 オレだって、剣では古志加に勝ち越せねえぜ?」

「そうじゃない。」


 阿古麻呂が眉根を詰め、顔を赤くした。


「たしかにおみな相手にあっさり負けて驚いたよ。

 ちゃんと強かった。

 でも、さっき話したら、稽古の時と印象がぜんぜん違うから……。そっちのほうが驚いた。」

「あー、あー、そうかもな。」


 花麻呂は天を仰いだ。

 たしかに、古志加相手の稽古ってやりにくい。

 始めはそう思ってた。


「でも今は、すっかり慣れたぜ……!」


 さすがオレ、と酒の熱にうかされて、得意気にうなずく。

 と、不快な視線を感じた。

 桑麻呂が、離れたところで、支給の白酒を舐めながら、古志加を見てる。


(そういう目で見るの、やめろよな。)


 花麻呂は桑麻呂を睨んでおく。

 このまま古志加の寝顔をここにさらしてるのは、良くないようだ。


「古志加を女官部屋に運ぶ。阿古麻呂、ついてきてくれ。」


 手早く古志加を抱き上げる。

 古志加はむにゃむにゃと言った。




     *   *   *




 月明かりと、ところどころにかかげられた可我里火かがりびを頼りに、庭を歩く。

 阿古麻呂が、古志加の寝顔をちらちらと盗み見る。

 どうも目がいってしまうようだ。


「花麻呂、古志加はなぜ、衛士なんだ?」

「そうだよなぁ。」


 まず、そこから疑問に思うよな。

 花麻呂は立ち止まる。


「父は失踪。母刀自ははとじ郷長さとおさに手籠めにされ殺された。

 そこを、今は奈良に行ってるうちの団長、三虎と大川さまが助けた。

 古志加は十歳で天涯孤独になった。

 本人の希望で、衛士になった。」


 おっ、オレ説明うめぇ……!

 阿古麻呂が息をのんだ。


「そう、可哀想なヤツなの。だから皆で目ぇかけてるの。

 んで……、コイツに恋するなよ。」


 阿古麻呂の身体がかたまった。


「なぜだ……?

 そんなに可哀想な身の上なら、誰か妻にしてやって、幸せにしてやればいいんじゃないのか?」


 と阿古麻呂が言う。

 真面目だ。

 やはり酒が足りとらん……!


「三虎に恋うてる。もうメッタメタ。

 見てるこちらが恥ずかしくなるくらい。

 あわをもらうすずめくらいチュンチュンしてる。」

「じゃあ……、その卯団長うのだんちょうが、いずれ妻にしてやる、ってことなのか?」


 うん、と花麻呂は頷きかけて、ううん? と首をかしげた。

 あの気難しい、無愛想な三虎の顔を思い浮かべる。

 あっちはあっちで、なんだか難しい。

 古志加と藤売が賊にさらわれた時は、


「古志加!」


 と叫んで、すごい勢いで助けに行ってた。


(やっぱ恋うてるんじゃねぇの。)


 と思ったけど、その後、古志加に対する日常の態度は、一衛士に対するものだった。


(恋うてるなら、奈良に連れていくよなぁ……。)


 妻にするの?

 しないの?

 まったくわからん。

 あんな訳のわからんおのこを、莫津左売なづさめも心から恋うてる。

 許せん……!

 花麻呂は、しばらく無言の後、くっとうめいて下を向いた。

 隣で阿古麻呂が戸惑ってる。


「阿古麻呂、おまえの言うことはもっともだ。

 三虎の、古志加に対する態度は良くわからん。

 だが大事なのは、古志加が心から三虎を恋うてるということだ。

 三虎には勝てねぇぜ。」

「それこそ、なぜだ?」


 阿古麻呂が重ねて問う。


「三虎は態度がそっけなくて、無愛想だが、卯団長で大川さまの従者で、石上部君いそのかみべのきみの若さまだ。

 背も高くて、全体スラっとしてて、弓は卯団で一、二位を争うし、剣も強い。

 顔も良い。学もある。どこで勝つよ?

 言わすなあ!」


(オレの如己男もころお(恋敵)なんだよ!)


 花麻呂はぐぅぅ、とうめいて下を向いた。


「ん……。」


 と腕の中の古志加がつぶやく。

 よっ、と抱え直して、


「ほら、行くぞ。重い。」


 と女官部屋へ急ぐ。







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