第九章   月に照り映える

第一話  

 四月。


「じゃあね、古志加こじか。先に出るわよ。」

「のぼせないようにね。」

「うん。」


 一緒にお湯に浸かっていた女官が、次々と湯殿を出る。


 辰三つの刻。(朝8時)


 お湯に浸かりながら、古志加は一人のんびりと空を見上げた。

 快晴。

 夜番あけ。

 今日は髪をといて、椿の実カスと、ムクロジの実で髪を洗った。

 椿油を絞ったあとのカスと、泡立つムクロジの実で髪を洗うと、髪に艶がでる。

 女官は皆そうしてる。

 古志加も、十一歳の頃から、女官部屋の皆から少しずつ、椿の実カスとムクロジの実を分けてもらって、そうしてきた。

 郷にいるときより、おかげで髪に艶はでたが、いかんせん、くるくる巻いてしまう髪は治らなかった。


日佐留売ひさるめみたいに、たっぷりした、まっすぐの髪なら良かったのになぁ……。)


 と、ないものねだりをしてしまうが、どうしようもない。


 ちゃんと卯団うのだんの正式な衛士になってから支給された塩壺のうち、塩壺一つを市でムクロジの実と交換したら、両手に持ちきれないほどの量と交換できた。

 今までの礼として、女官部屋の皆に少しずつ分けたら、皆とても喜んでくれた。

 ちょっと大人になれた気がして、古志加も嬉しかった。


 髪を洗ってしまうと、渇くまで長い。

 濃藍こきあい内衣うちごろもを、平らな石がしきつめられた湯殿の石床に敷いて、その上に、腰まである髪を広げ、陽の光に充分にあてる。


「ふう……。」


 お湯の心地よい温かさに身を浸しながら、己の右腕を空に掲げて見る。

 ぽたぽたと水滴が腕を伝い落ちる。

 おみなにしては、古志加の腕は太く、かたい。

 だがおのこから見れば、比べ物にならないくらい、細い。

 他の皆と同じくらい、鍛錬はつんでいるのに。

 十五歳で入団してきた花麻呂は、はじめは、今の古志加と同じくらいの腕の太さだったように思う。

 でも、十九歳の今は、太く、強い筋肉が腕をおおっている。


(……あたしも、おのこだったら。)


 同じくらい太い腕を、今頃、手に入れられていたのに。


「はぁ……。」


 これも、ないものねだりだ。

 あたしは、ないものねだりばかりだ。


「三虎……。」


 どうしようもないのに、名前をつぶやいてしまう。

 会いたい。

 恋いしい。

 どうしようもない……。



 いつの間にか、うとうとと寝いってしまった。




    *   *   *




「おい古志加! 起きろ!」


 おのこの大声がすぐ側でした。


「わっ!」


 瞬時に覚醒した。

 ぱっと目を見開き、湯殿の石床に立ち、こちらを見下ろしている、石上部君布多未いそのかみべのきみのふたみと目があった。

 きりりと上がった太い眉、がっしりした顎、男らしい顔立ち。

 古志加は湯に浸かり、裸である。


「きゃああああ!」


 古志加は、湯殿の石にもたせかけていた頭をがばっと起こし、肩を押さえ、少し濁ったお湯のなかへ肩まで避難した。


「ここはおみなの湯殿ですよ?

 ど、どういう……!」


 と抗議の声をあげるが、


「説明するから、その内衣うちごろもをさっさと羽織はおれ。」


 と布多未ふたみが背を向けた。

 後頭部に結っているもとどり(長髪を一つに丸くまとめた髪型)にした、男物の翡翠ひすいかんざしがキラッと光った。


 今二十四歳である布多未は、上野国上毛野衛士団副長大尉かみつけののくにのかみつけののえじだんふくちょうのたいいだ。

 卯団うのだん午団うまのだん酉団とりのだん子団ねのだん、全体に命令できる。

 古志加も、命令されればすぐに従う。

 すぐに濃藍こきあい色の内衣うちごろも羽織はおる。


(すぐに命令には従うけどさ、この人、み、み、見たよね───?

どどどどこまで見られたの───?!)


 混乱し、布多未が背中を向けているのを良いことに、


「うぅ……。」


 あたしは項垂うなだれ、衛士としては情けなさすぎる表情を浮かべながら、腰まで垂れた髪をぱっと手で払う。髪はほとんど乾いていた。


 内衣を羽織ったといっても、帯は内殿うちどの(脱衣所)に置いてきている。

 とりあえず、手で合わせを押さえるしかない。

 内衣は膝下まで長さがあるが、左右に、足の付け根近くまで切り込みが入っている。動きを邪魔しない為のものだが、今はひたすら、


(うえ───ん。恥ずかしいよぉ。足出てるよぉ。)


 なんという格好だ。早く内殿うちどの下袴したばかま上衣うわごろもを着させてください。

 心の声は、心のなかにしまいつつ、

 

「は、羽織りました。」


 と若干じゃっかん顔を赤くして、声をかけた。

 振り向いた布多未を見ると、頬と肩に赤い点がついてる。


「血しぶき……!」


 はっとして鼻を動かすと、どこからか、濃い血の匂いが、空気に混じってる……!


「な、何が……?」


 と緊張した面持おももちで古志加が問うと、


「見たほうが早い。来い。」


 と右腕をとられた。

 ぐいぐい湯殿のはじ、茂みのほうへ引っ張られて行く。

 布多未は背が高い。───三虎には負けるが。

 腕は太く、剣やほこを持たせれば剛強無双ごうきょうむそう、誰よりも猛々しく強い。

 背丈が同じくらいの薩人さつひとと並んだとしても、鍛えて盛り上がった禽獸きんじゅうのような肉体から放たれる圧迫感が、全然違う。

 それが布多未だ。

 

「あ、あの……!」


 石床が途切れる。

 裸足で石ころだらけの土を歩くのをためらい、立ち止まる。

 見れば、布多未は烏皮舃くりかはのくつ(黒革のくつ)のままだ。


「あん?」


 と布多未が振り返り、古志加の右腕を離した。

 と思ったら、何の躊躇ちゅうちょもなく、内衣一枚の古志加をたくましい腕で抱き上げた。


「きゃああああ!」


 びっくりして、自分でも驚くくらいの声がでた。


「おまえ……、うるさい。」


 距離の近くなった布多未の顔がしかめられる。

 また、翡翠ひすいかんざしが日光でキラリと光った。


「おおい花麻呂はなまろ

 古志加の衣とかのくつ(革のくつ)を内殿うちどのからとってこい。」


 と茂みにむかって布多未が大声をだした。

 ガサガサと茂みが揺れ、


「ええっ、嫌ですよぉ、おみなの湯殿の内殿なんて、足を踏み入れられません!」


 と、布多未より背が低い花麻呂が、顔をしかめてあらわれた。


「花麻呂!」


 と古志加は目をしばたたく。


「あほう。今は誰もいねぇよ。さっさと行け!」


 と布多未は言うが、


「あ、あたし自分でとりに……。」


 と古志加は布多未に抱き上げられたまま、しどろもどろに言う。


「あん? 花麻呂が行くってオレは言ったぞ。

 おまえはこっち。」


 と布多未はずんずん、湯殿の竹が生えた庭を歩きはじめた。

 無言で内殿にむかい歩き出した花麻呂と、すれ違う。

 花麻呂には、血しぶきはない。

 気遣わしげな目を、すれ違う時に古志加にむけた。

 血の匂いが濃さを増す。

 やがて、茂みの少し開けた所で、


「ひ……!」


 と古志加は恐怖の声を飲み込んだ。









↓手描きの挿し絵です。


https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330659576956240


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