第六話 大川、何似幽懷攄、其の三。
何を
* * *
「そうか、そうか、ははは……。」
その笑顔はいつものように柔らかい。
声をだして笑うと、そのきらびやかな美貌がいっそう華やいだ。
髪の毛上半分を結った
部屋には、大川さまと、三虎と
「では、叱ろうかなあ! この私が! うん……。」
大川さまは、いつもの美しい柔らかさで笑って言うので、かえって怖い。
「まず
「はい。」
浄足がガックリうなだれる。
「私のせいです。私が無理やりつきあわせているのです!」
「わかっている。こちらに来なさい。」
と大川さまは難隠人さまのお尻を出させる。
と、大川さまがこちらを見た。
(あ……。さっき思いっきり尻叩いちまったからなぁ……。ちょっと赤くなってるかもなぁ……。)
と三虎は居心地悪く身じろぎした。それだけで大川さまには伝わるだろう。
大川さまが笑みをたたえながら、難隠人さまのお尻を打った。
「ぎゃん!」
そんなに力をこめてなさそうなのに、痛そうな悲鳴を難隠人さまはあげた。
やっぱ赤くなってたんだろうな……。
やりすぎたかもしれん。
大川さまは二、三度尻を打ち、すぐにやめた。
そのまま、衣を直した難隠人さまを自分の膝に座らせた。
「難隠人、何か言うことは?」
「古志加を泣かせました……。」
と難隠人さまがうつむきながら言った。
「古志加は強い女官だし、胸もんだってお尻触ったって泣かないのに……。」
お前、そんなことを……。
と三虎は目を
やっぱり思いきりひっぱたいておいて良かった。
「イタズラが成功して、古志加を泣かせられたら、気分がいいだろうと思ってました。
でも、いざ泣かせたら、全然、良い気分じゃなかった。」
大川さまが優しく難隠人さまの頭をなでた。
「ではもう、泣かせるべきではないな。」
「はい。」
「父の言いたいことは、わかるかな?」
「はい。
「そうだな。お前は
「はい。」
大川さまは満足そうに、二度、三度、難隠人さまの頭をなで、
「私は、父上に怒られることがなかった。」
と切り出した。自分語りは珍しい。
「一回、ひどく怒られたときは、
なぜ、自分の手で打つこともしてくれないんだろうと、寂しかったものだ。
初めて父上の手で殴られたのは、やっと十五歳になってからで……。」
そこで大川さまは言葉を切った。
「だから、自分の子には、寂しくないように、必要なときは、自分の手で打ってやろうと思っていた。だが……。」
大川さまは難隠人さまの頬をなでた。優しく難隠人さまを見つめ、
「こんなに柔らかくて、すべすべで、かわいい
ましてや自分の子ならなおさらだ。いざ打ったら、全然、気分の良いものではなかったよ。」
「申し訳ありませんでした、父上。」
泣きながら、難隠人さまは大川さまにぎゅっと抱きついた。まだ小さい身体は、大川さまの喉の下にすっぽりと頭までおさまる。身体をぴったりと大川さまにくっつけ、
「う……、ふぅっ……。」
と声を静かに泣く背中に、大川さまは優しくゆっくり腕をまわす。
「話は聞いているだろうが、私は
おまえの母刀自となられるお方だ。礼と義を持って接しなさい。息子として……。そしたらきっと、おまえも寂しい思いをしなくてすむ……。」
「はい。」
難隠人さまは大川さまの胸から顔を離した。
期待に頬を紅潮させ、泣きながら大川さまの顔を見上げた。
くっ、と喉がしゃくり上げ、細かく震えつつ、目をつむり、
「ありがとうございます、父上。」
小さい
また、大川さまの懐で泣く。
* * *
大川は思う。
では中身が兄上に似ているのかというと、それも違う。
兄上はこんなではなかった。
兄上は私を冷めた目で見ていたが、イタズラをするような子ではなかった。
静かな子だった。
私も、いつも父上の目を気にして、良い子であろうと、イタズラなどしない、おとなしい子だった。
難隠人は、嫌だと思うことは、
「イヤだ! イーヤーだ!」
と全身で叫ぶ。
私はその声の大きさに圧倒されてしまう。
難隠人は、人にどう見られるかなど気にもとめず、思いきりイタズラをする。
思うままに。
それを見ていて、
(もっとやれ。)
と、心の何処かで思う私がいる。
私も
きっと、兄上も……。
こんな風に思いの丈を発散できる、
もっと、私と兄上の道はちがっていたはずだ。
そう、私も兄上も、童らしい童ではいられなかった。
難隠人は、私にも兄上にも似ていないが、私と兄上が童のときにやりたかったことを、やって見せてくれているように思えてならない。
兄上と私の子だ。
難隠人を見ていると、生前よりも兄上について思いを
それが、子を残す、ということなのだろう。
難隠人の目には、時折、母刀自のいない寂しさが揺れることはあるが、大丈夫、私はちゃんと難隠人を心から愛しんでいる。
成長を楽しみ、
* * *
「じゃあ、まずは九九ね。ここで唱えてごらんなさい。」
藤売と難隠人が名乗りあい、
「私が大川さまの
と宣言したあと、藤売はそう言い放った。
「あの……、まだ全部は……。」
難隠人は、照れているのだろう、さっきからモジモジしている。
「そう、ではまず、九九を覚えていらっしゃい。
覚えたかどうか、明日また聞いてあげるわ。ではもう、行きなさい。」
「え。」
難隠人が面食らった顔をする。
「ちゃんと教育はしてあげるわ。さあ、充分でしょう。もう行きなさい。」
冷たい笑顔で藤売は言った。
目には温もりのかけらもない。
「……たたら
難隠人は震える声で退去の挨拶をし、礼をした。
部屋をでたところで、わっ、と駆け出す。浄足が慌てて追いかける。
充分、藤売の部屋から距離をとった庭で、人気のない
「わあ……ん。」
と難隠人は泣いた。
泣きに泣いた。
浄足がそばでオロオロする。
その浄足の腕を、難隠人はぐっと
「
父親だって
と涙を拭き、
「私の本当の
私も日佐留売が本当の母刀自なら良かった。
父上も優しいけど、大好きだけど、本当の父上じゃないんだ。
父上が本当の父上だったら良かった。
どうして、こんなに一人なの………。」
と胸を叩いて泣いた。浄足が大泣きしながら、
「オレは、オレは難隠人さまに何でもあげる、母刀自も父上もおばあちゃんも、何でも欲しいものはあげる、だから泣かないでぇ!」
と叫んだ。
「バカ言え!
日佐留売はお前の、たった一人の母刀自じゃないか。
そんなこと言って、日佐留売を泣かすな、バカッ!」
と難隠人がバシリと叱る。
「じゃあ、一人だなんて言うな!
難隠人さまはいつもワガママで、イタズラばっかで、すぐに女官泣かせて、オレがやめようって言っても聞いてくれない。
でもオレは一人にしたことなんてない!」
浄足が難隠人を、小さな腕でぎゅっと抱きしめた。
「わあん、帰ってきて、母刀自……!」
浄足がわんわん泣きだしたので、つられて難隠人が、
「帰ってきて───!
日佐留売───!」
と大声で日佐留売を呼ばった。
あとはもう二人で泣き崩れた。
* * *
(どうにかせねば。
藤売のあの態度は、身分ある人には普通であろうが、本当に寂しがってる難隠人さまにとっては、期待外れも良いところだ。
どんな手がうてるだろう……。)
↓挿絵です。
https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093086268411553
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