第五話  オレが言いふらすとでも?

 三虎が襟首を持って空中にり上げた難隠人ななひとさまが、ぶんぶん手足を振り回して暴れるので、三虎はその尻を容赦なくはたいてやった。


「ぎゃっ!」


 難隠人さまの身体がビクン、とする。

 三虎は難隠人さまの顔をこちらに向かせ、無言でジットリとにらみつけた。


「…………。」


 難隠人さまはやっと静かになった。


「どういうことだ。」


 三虎は、衛士二人に質問する。

 花麻呂は、知らない、というふうに首を振るだけだし、花麻呂の衣ですっぽり体を隠した古志加は、無言でうつむいているだけだ。

 三虎は花麻呂の顔を見る。

 花麻呂は、困りきった顔でこっちを見てる。


(やべぇ。お前見たな、以外の言葉が頭に浮かんでこねぇ……!)


 花麻呂から古志加に目をうつす。

 なんて言葉をかけよう。

 返事くらいしろ。

 気にするな。


「おい、古志加。」


 わらはのイタズラだろ。

 良いものを拝ませてもらった。

 ……違う!


「まあ、見たのはこれが初めてじゃないし、前にも見ただろ。」


 ついそんな言葉がでた。




    *   *   *




 その言葉は古志加を酷く傷つけた。


(前にって、あれは十一歳のときじゃないか!

 今は十六歳だ。

 ちゃんともっと、大きくなってる。

 三虎、ひどい。

 見られた。

 しかも、今、あたしは、馬糞の匂いがするはずだ。

 上衣は置いてきたが、きっと髪とかにも、はねてついてる。

 こんなのって、あんまりだ。

 あんまりだ……!)





    *   *   *




 とうとう古志加は一回も顔をあげることなく、その場にしゃがみ込み、しくしく泣き出した。


 花麻呂と三虎は、うわぁ、と困りきった顔をし、難隠人さまが呆然と、


「古志加でも泣くんだぁ……。」


 とつぶやいたので、


「イテッ!」


 三虎に頭をはたかれた。


「古志加、オレが難隠人さまを母刀自のところに連れて行く。

 お前、ついてきて説明できるか。」


 と三虎は問う。

 しゃがみこんだ古志加は首を振る。


「じゃあ……、花麻呂。浄足と一緒に来い。夜番あけで悪いな。」


 と三虎はため息をついた。


「はい。」


 と花麻呂はこたえ、


「ほら。」


 とそばにいた浄足と手をつなぐ。三虎は、頬をぽりぽりとかき、


「古志加、泣き止めよ。オレらはもう行くから。……悪かったな。」


 と良く分からない謝罪をした。難隠人さまを、


「歩け。逃げるなよ。」


 と下におろす。難隠人さまは逃げない。うつむいて、


「古志加、ごめんね。」


 と謝った。

 古志加は顔をあげず、何も言わなかった。

 大人しく三虎に手をひかれ歩き、古志加の姿が見えなくなるところで、難隠人さまは振り返ったが、まだ古志加は動かず、しくしく泣き続けていた。




     *   *   *




 ずいぶん道を歩いてから。

 花麻呂は、先を歩く三虎から、


「おい、今さっき見たことは忘れろ。誰にも言うなよ。」


 と言われた。


(……オレが言いふらすとでも?)


 花麻呂は頭がすっと冷えた。

 その後すぐ、かっと全身が熱くなった。


「もとからそのつもりです。」


 ……前を歩くこのおのこは。

 この四歳年上の男は。

 莫津左売なづさめだ。

 莫津左売の愛のほとんどを独占し、独り占めしておきながら、古志加に対する態度は何だ。


 古志加は三虎に恋してる。

 見てれば誰だってわかる。

 それは別に構わない。

 誰を恋い慕おうと自由だ。


 三虎はそれに応えようとしない。

 古志加に一衛士としての距離で接しておきながら、偶然ちょっと裸を見てしまっただけのオレに、なぜ射殺しそうな目をむける。


「まるで古志加が自分の所有物みたいな言い草だ。」


 花麻呂は立ち止まり、三虎の背中にハッキリ言ってやる。


「なんだと……。」


 三虎も立ち止まり、こちらを振り返り、睨みつけてくる。

 三虎と花麻呂の視線がかちあう。


「これだけ怒るってことは、どういうことなんですか。

 三虎こそ、古志加をおみなとして見てるんじゃないんですか?」


 莫津左売という女がありながら。


「バカを言え。衛士として心配してるだけだ。」


 少しの間もおかず、三虎が言った。


「さっき、古志加を泣かせたのは、あなたですよ。

 その意味を、もっとちゃんと考えた方がいい……!」


 目をそらさず、苦々しげに言ってやると、三虎の眉がピクリと動いたように見えた。

 ────と。


「わあ………ん。」


 三虎と手をつないで、大人しく従っていた難隠人さまが、突然声を上げて泣き出した。

 それを見て、こちらと手を繋いでいた浄足が、ひっ、としゃくりあげ、すぐに、


「わあああん。」


 と一緒に泣き出した。

 六歳が二人同時に泣き出すと、非常にうるさい。


 花麻呂と三虎は睨み合うのをやめ、困りましたね、と目線を交わし、二人のわらはをあやしはじめた。




     *   *   *




 鎌売かまめ藤売ふじめに、女官たちを一人ひとり紹介していると、すっ、と簀子すのこ(廊下)から女官がやってきて、


「難隠人さまが……。」


 と耳打ちした。

 鎌売が案内されて簀子すのこ(廊下)にでると、泣きっつらの難隠人さまと浄足を連れて、三虎と衛士が立っていた。鎌売は、


「ひっ。」


 と目をいた。

 もう見ればわかる。

 何かやらかした。

 藤売──未来の義理の母親と、初対面がこれではまずい。

 子供の印象が最悪になってしまう。

 まだ幸い、部屋の奥にいる藤売には見られてない。

 だから、部屋に入られる前に、


「母刀自……。」


 言いかけた三虎をさえぎって、


「今すぐここを立ち去りなさい。」


 決然と言いわたす。


「えっ。」


 三虎が狼狽ろうばいする。


「今すぐ、どこでも……、大川さまの処にでも連れていきなさい。今はまずいのよ、今は!」


 と鎌売はぐいぐい、三虎を簀子すのこの向こうに押しやった。


「あの……、ちょっと……。」


 三虎は何か言おうとするが、


「たたら濃き日をや!(もう行け!)」


 と鎌売は言い放ち、三虎に背を向け、さっさと部屋の中に戻った。


「どうかしたの?」


 と、おっとり声をかける宇都売うつめさまに、


「何でもございません、ほほほ……。」


 と笑ってみせる。

 あとは頼んだ、息子よ。




     *   *   *





「あ───。」


 三虎はしゃがみこんだ。


(こうなるとは思わなかった……!)


 だがすぐ立ち上がって、


「わかった。花麻呂。ここまでで良い。

 浄足。自分でついてこれるな?」


 浄足は、はい、と返事をする。


「夜番あけに、ご苦労だったな。」

「いえ……。三虎、たたら濃き日をや(良い日を)。」

「たたら濃き日をや。」


 花麻呂は十八歳の若者らしく、爽やかに笑って挨拶し、去っていった。

 三虎はそれを見送り、花麻呂の姿が見えなくなってから、一つため息をついた。


 母刀自、宇都売さま。

 二人に預けられないとなると、このわらはたちの預け先が本当にない。

 務め中ではあるが、大川さまを呼び出すか?


(……昼餉の時間まで待つか?)


 そうなったら、三虎と適当な女官で、この童二人の面倒をしばらく見ることになる。


(……面倒だ!)


 いいや、大川さまを呼ぼう。

 三虎は決めて歩きだした。




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