第四話  斎ひまつらむ 見むもの良しも

 土器色かわらけ色の細長い、ウネウネしたものが、空中から飛んできた。


「きゃ、きゃああ、くちなわっ!(蛇)」

「くちなわよぉぉ!」


 湯殿ゆどのの西にいた女官たちがいっせいに悲鳴を上げ、湯殿から逃げ出した。


(飛んできた。くちなわが? 怪しい……。)


 五、六人のおみなが慌てふためくなかで、古志加こじかは頭に巻いた布をとり、体の前にたらし、くちなわに近づく。


(……くちなわじゃない。)


 革を丸めて、くちなわに似せたおもちゃだ。

 さっとあたりのやぶに目を走らせると、二人のわらはの顔を見つけた。


「……やべ。」


 たしかに難隠人ななひとさまが言った。

 流石に顔を赤くしながら、古志加は、


「こらぁぁぁ!」


 と怒声を発し、内殿うちどのへ衣をとりに、さっと身をひるがえした。




    *   *   *




 絶対に逃さない。

 きついお仕置きをしてやる、と決意しながら、もどかしく胸に麻布を巻き、その上に濃藍こきあいの上衣をざっと着る。

 本当は内衣も着るが、今ははぶく。


 湯殿を走りながら出て、宇都売うつめさまと女官がこちらに歩いてくるのが見えた。


「あら、なんの騒ぎ?」


 歳を重ねても美しい大豪族の毛止豆売もとつめ(正妻)が、ゆったりと優しい笑顔でたずねるが、


「すみません、あとで!」


 と言うのが精一杯だ。走り抜けようとし、


「……きゃっ!」


 宇都売うつめさまの後ろにいたおみなに気がつかず、体当たりをしてしまった。

 相手は尻餅をついた。


「ごめん!」


 本当に悪いけど、今は立ち止まってられない。


「古志加───!!」


 と宇都売さま付きの女官、大路売おほちめが叫んだが、古志加はその場をあとにする。


(……どっち?!)


 と、逃げた方向を右か左か、と探っていると、


「きゃあ〜!」


 と、知ったおみなの悲鳴が聞こえた。

 迷わずその方へ。



 走り、福益売ふくますめが石畳の道を、胸を押さえてしゃがみこんでいるのを見つけた。

 福益売も古志加に気が付き、


「うぅ、古志加ぁ……。」


 と泣きべその顔をむけた。


(これは、あのクソガキどもがいなくなったのを探しにきて、胸をもまれて返り討ちにあったな……。)


「どっち。」


 荒い息で簡潔に聞くと、福益売が震える手でいぬい(北西)を指さした。


「……絶対、捕まえる。」


 すれ違いざま、福益売に告げ、走る。





   *   *   *    





 古志加の足は早い。


(……いた!)


 難隠人さま一人だ。

 道の真ん中に仁王立ちでこちらを見てる。


「この……!」


 と古志加は言いかけるが、それにかぶせて、


「いいか!」


 と難隠人さまがキッとした顔で大声をだした。

 くるりと後ろを振り向き、お尻をつきだし、


「尻って文字はどう書くの〜。こうやって、こうやって、こう書くの〜。」


 と歌いながら、尻を大きくウネウネ動かした。

 空中に尻の文字を書き終え、難隠人さまは、


「ふっ……。」


 と満足の息を吐く。


「このバカ────っ!!」


 古志加は走りつつ、心からそう叫んだ。難隠人さまは、素早く逃げ出す。

 古志加は距離を詰め、あと少しで、難隠人さまの背中に手が届く……。


「今だ!

 ───計その二! やれ!」

「はいぃ。」


 古志加の左の道の脇から、黒いものが飛んできて、バシャリ! と古志加の上衣にかかった。


(くさい。

 こ……これは。)


 古志加は思考停止し、体の動きも止まった。

 しこたま浴びた。


「ごめん古志加、

 こんなことしたくないんだよぉ。」


 と泣きべそをかいた浄足きよたりやぶから現れた。

 手には桶と柄杓ひしゃくをもっている。

 あれは馬糞の入った桶だ……。


「ばっか、お前、お前だっておみなのはだか、好きだろ?!」


 と難隠人さまが強く言い、


「はい、好きですぅぅぅ!」


 と浄足が真っ赤な顔で体をプルプル震わせながら、難隠人さまより大きな声をだす。


(……浄足、そうじゃない。

 間違ってるぞ浄足……。

 だめだコイツ……。)


「きぃ────────っ!」


 古志加の怒りが頂点に達し、発する声がもはや言葉をなさない。


「わあ、逃げろ!」


 浄足が桶を手放し、二人のわらはは逃げ出した。

 古志加の上衣からは、まだ汚物が滴り落ちている。

 このまま走ってはあたりかまわず汚してしまう。

 古志加は帯をとき、上衣をその場に脱ぎ捨てた。

 顔を怒りで真っ赤にし、猛虎の勢いで走り出す。





     *   *   *





 夜番あけで、衛士舎えじしゃへのんびり歩いていた花麻呂はなまろは、


「そいつ! 捕まえて!」


 という古志加のせっぱつまった声に振り向いた。


「わッ!」


 花麻呂は驚いた。

 こちらに逃げてくる難隠人ななひとさまと、浄足きよたりと……、上衣を着ていない、胸に麻布を巻いた姿の古志加が見えた。

 おヘソ見えてます。


(何だその格好は。恥ずかしくないのか。)


 と思ったが、古志加の顔が怒りで我を忘れているようなので、ああ……、となんとなく察した。


 ゲッ、という顔をして、こちらを避けようとした難隠人さまを、あっさり捕まえる。

 両脇を捕らえて空中に持ち上げると、


「離せバカヤロ──ッ!」


 と両手両足バタバタと暴れた。

 浄足は、近くで、


「あわわわ。」


 と困っている。

 息を荒げた古志加が追いつき、無言で両手をこちらへ差し出す。

 ふわりと、どこからか馬糞の匂いが漂ってきた。

 古志加は怒りで顔を引きつらせている。

 見たことないくらい怒っている。


(うわー、怖……。)


 と思いつつ難隠人さまを古志加へ引き渡す。

 その上で、花麻呂は、上衣を古志加にかけてやろうと、自分の帯を解いた。

 難隠人さまは、わぁわぁ騒ぎつつ、足や腕を振り回していたが、古志加ににらまれ、やがて静かになった。


「この……、よくも……。」


 と古志加が空中に釣り上げた難隠人さまを、少し自分の顔に近づけた。

 その時。

 難隠人さまは、べっ、と舌を出し、


「──隙あり。」


 と、古志加の胸の麻布の結び目を。


 シュッ。


 と解いた。


 麻布がハラリと下に落ち。

 古志加は無言で下を見。

 古志加の手から難隠人さまが落ち。

 花麻呂の視線も落ち。

 眼前では、二つのまあるく立派な白いうりが、下に落ちた後、上に弾み、突き出た形で元の場所に納まった。

 大・中・小でいえば大。特大ではない。

 花麻呂は瞬間、酒の席で誰かが口ずさんだ歌を思い出した。


 ───秋津島あきつしま 天振あもりましけむ 千万神よろづかみ 

 いわまつらむ 見むものしも


 ───神様ありがとう! 良いもの見ちゃったよ!


 ゴクリと唾を飲み込み、


「でけえ。」


 つい言ってしまった。


(おっと。古志加が可哀想だよな。さっさと上衣をかけてやろう。上衣をかけてやる準備をしといて良かったぜ。)


 花麻呂はすぐに、下を向いたまま無言で胸をおさえた古志加に、己の上衣をかけてやった。


「あっ、てめぇ、離せ!」


 と花麻呂の後ろで難隠人さまの叫ぶ声がし、振り向くと、


「おい。」


 これはこれで、見たことないくらい怒ってる三虎が、難隠人さまの後ろ襟首を釣り上げて、立っている。

 花麻呂を恐ろしい形相ぎょうそうで睨んでる。


「ええ……。」


 と思わず声がもれる。

 オレは何もしてない……。




    *   *   *




 三虎は、宇都売うつめさまの部屋から、大川さまのもとへ戻る途中、騒ぎを聞きつけた。


 難隠人さまが暴れてる声がよく響いている。

 様子を見に行くと、古志加と……、花麻呂の後ろ姿が見えた。

 花麻呂が難隠人さまを捕まえていて、近くでは浄足がオロオロしている。


 花麻呂から難隠人さまを受け取った古志加が、あられもない恰好をしている。

 三虎は眉をひそめ近づいた。

 ……と、予想外のことが起きた。


(!)


 古志加の胸から麻布が落ちた。

 こちらも驚きに動きが固まり、見ちゃ悪い、と思いつつ、目が吸い寄せられた。


 白い。


 白さが眩しい。

 新雪の上を反射する陽の光よりまだ眩しい。

 その眩しさに意識がくらりとし、


「でけぇ。」


 と言った花麻呂の言葉で我に返った。

 こちらに駆けてくる難隠人さまをすかさず捕まえる。

 暴れるが、釣り上げる。


「おい。」


 花麻呂お前、見たな。














↓私の挿し絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330660612481193



↓かごのぼっち様よりファンアートを頂戴しました。かごのぼっち様、ありがとうございます!

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818023213362443785

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