第八話  薩人と酬酢

 ※酬酢しゅうさく……(主人と客が)互いに酒をすすめあう。




     *   *   *




 三虎は無言、無表情。

 やりづらい、と思いつつ、薩人さつひとは訊く。


「もし、オレが手を出したら、どうしますか?」


 三虎はぐいと須恵器すえきに満たした浄酒きよさけをあおった。


「なぜオレに訊く。オレは古志加こじかの兄でも親でもない。」

「じゃ、手を出してもいいんですか……?」


 机に浄酒と塩を置いて、二人は真向かい、倚子に腰掛けている。

 三虎はこちらを見てハッキリと、


「古志加がいいなら、いいだろ。オレにくな。」


 と言った。薩人は慎重に三虎を見る。


(……気づいてないのか。

 今日の昼間、お堂で、古志加のあごをとったオレを睨みつけたときの顔は、───手を出すな、古志加を離せ、と言っていた。

 気づいてないのか。

 自分の感情に。)


「ちゃんと妻にしろよ。泣かせるな。

 ……ああ、お前は遊浮島うかれうきしま通いがすぎるから、控えろ。」

「え。」


 薩人はドキリとして曖昧あいまいに笑った。

 三虎が厳しく目を細め、


「やっぱダメ。

 お前は妻を持っても、遊浮島うかれうきしま通いがやめられないヤツ。

 古志加を泣かすから、ダメ。」

「ええ。そんなあ……。」


 薩人は頭をポリポリかく。


「ダメ。手を出すな。ダメったらダメ。この話はこれでおしまい。」


 薩人は、ふっ、と笑った。


「じゃあ、三虎がいもにしたら良いじゃないですか。」


 三虎は、む、と顔をしかめ、


「オレは、大川おおかわさまのために、いつでも喜んで死ぬ。

 いもはもたない。」

「もったいないですよーぉ。」


 薩人がおおげさな声をだしたので、三虎はちょっと笑った。


おみななら、遊浮島うかれうきしまに良い遊行女うかれめがいる。

 身も心もとろかすような、良いおみながな。

 オレも、遊浮島通いがやめられないのさ。」


 二人のおのこは、ふふ、と笑いあい、蝋燭ろうそくの影が揺れるなか、酒を酌み交わす。


 月には叢雲むらくもがかかっている。




     *   *   *




 薩人は礼を言い、三虎の部屋を辞した後、月をかくす雲を見上げながら、


(まったく……。そんなガチガチにかまえて考えなくても、良いだろうよ、三虎……。)


 と思った。

 従者はいつでも主のかわりに盾とならねばならないか。

 答えは──(YES)。

 そのための従者だ。

 なら従者は妻を持てないか。

 答えは──いな(NO)。

 そんな決まりはない。

 たとえ主のかわりに、明日死のうとも、好きにいもを、妻を持てば良いのである。

 それが普通だ。

 なぜ三虎はいもを持たない、というのだろう?

 なぜかは薩人にはわからない。だが、


「ダメ。手を出すな。ダメったらダメ。」


 あの言葉は、薩人にだけむけた言葉ではなく、三虎が、自分自身にもむけた言葉に思えてならない。


(まったく、不器用だな、三虎。)


 三虎は、十二歳から卯団長うのだんちょうだ。

 もう八年たつ。

 もちろん、その歳で団を仕切れるはずもなく、実際は、団長見習い。


 三虎はいつもムッとした顔をしていて、可愛げのないガキだったが、

 さすが上毛野衛士団長大佐かみつけののえじだんちょうのたいさである石上部君八十敷いそのかみべのきみのやそしきの息子だけあって、弓や剣はなかなか使えた。


 三虎は卯団長にして、大川さまの従者。

 卯団は、大川さまの意を最も近く、素早くむ、腹心ふくしんの団となる役割だ。

 皆で三虎を可愛がってやってきた。



 もちろん、薩人も三虎がかわいい。

 古志加を腕に抱いたおのこを、あんな目で見るようでは、三虎が可哀想すぎて、手を出せたものではない。

 薩人はそれで良い。

 だが……。

 古志加はまだ幼い。

 おみなは、この後二年もたてば、見違えるように美しくなる。

 古志加も……、つまを求める歳になるだろう。

 そのとき、泣くことにならないか、三虎。


「さっさと吾妹子あぎもこにしてしまえば良いのになぁ、莫津左売なづさめも、古志加も。」


 つい口に出してしまう。

 三虎は莫津左売なづさめ以外の遊行女うかれめと遊ぼうとしない。

 もう五年も、ずっとそれを続けている。

 薩人にとっては、驚異的なことだ。

 たしかに莫津左売なづさめも良い遊行女うかれめだが、だからといって、他のおみなとも遊びたいという欲求を、薩人は抑えられない。

 薩人と三虎は、同じ遊浮島うかれうきしま通いといっても、全然ちがう。


 そんなに恋うてるなら、さっさと遊浮島うかれうきしまから出して、おのれだけの吾妹子あぎもこにすれば良いのに。

 そのほうが莫津左売なづさめも喜ぶだろうし、遊浮島から出す金も、屋敷をどこかにかまえてやるのも、それはそれは金がかかるが、三虎にできない額ではない。

 そう、吾妹子あぎもこを二、三人持つのは、石上部君いそのかみべのきみくらいの家になれば普通のことだ。

 五人……になると多いか。

 六、七人、なかなかそこまでいくおのこはいないが。

 ……いいなあ!

 オレだったら、八人、九人……。

 通うのが大変だなあ!


「オレだったら、あの子とあの子と……、ああ、あの子も外せないなぁ……。」


 明日、月夜であれば、絶対遊浮島へ行こう。

 ほろ酔い気分でニヒニヒ笑いながら、薩人は衛士舎えじしゃへ向かった。












↓挿し絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330659613423512

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