第七話  春風と頬の熱 

 山の家は住む人もなく、四年たち、荒れはじめている。

 家の裏の母刀自ははとじの墓の前で、古志加こじかはたたずみ、


三虎みとらが、母刀自の無念を晴らしてくれたよ……。」


 と、ハラハラと涙を流した。

 しばらくそのまま、黙って心のなかで母刀自に語りかけ、


「三虎。本当にありがとう。

 母刀自は、あたしにもっと女らしくしてほしがってた。

 余裕ができたら、女の衣もしつらえてあげる、って。

 こんなところで二人暮らしじゃ、余裕なんて、全然できなかったけど……。

 だから今日、この格好を見てきっと喜んでると思う。

 ちゃんと似合ってなくても……。」


 古志加はうつむいた。


「そんなわけあるか。

 それはオレが見立てた衣だ。

 似合うよう見立ててある。」


 後ろに立った三虎が、ぶっきらぼうに言った。


「え。」


 古志加は後ろを振り向く。

 三虎はいつもの不機嫌顔で、ぶるっ、と肩を震わせ、


「寒い。早く帰るぞ古志加。」


 と、さっさと馬をつないである、栗の木の方に歩き始めてしまった。

 三虎のもとどりに挿した黒錦石くろにしきいしかんざしに、木漏れ日が差し、チカッ、とまばゆく光る。

 

「そうかなあ? 寒いかなあ?」


 古志加は首をひねりつつ。


(似合うよう見立てある……か。)


 心のなかで繰り返し、じんわり胸があたたまるのを感じた。


(嬉しい。本当だろうか。)


 三虎がそういうのならば、この山吹の衣は、ちゃんと似合っているのだろう。


「えへへ……。」


 ゆっくり笑顔がこみあげてきた。


(本当に、今日は来れて良かった、母刀自。)


「おい! 古志加!」


 遠くから三虎が呼ぶ。


「今行く!」


(また……きっと来るね、母刀自。)


 古志加は、母刀自の墓に、にっこりと笑顔を向けてから、元気な足取りで、三虎のもとに急ぐ。




     *   *   *




「お、お願い、美味しい握り飯を出してる人がいるんだよ。

 どうしても食べたい。

 市によってってぇ……。」


 そう、必死に懇願こんがんする古志加に根負けして、三虎が市によってくれた。

 目当ての握り飯の女はすぐに見つかった。

 芳ばしいひしおと、鹿肉の良い匂いがただよっている。


「あまり用意がなくてな。これで頼む。」


 三虎が懐から錦の布をだした。

 手のひら二つぶんほどの大きさの白地に、赤い花と金の鳥が、きれいに刺繍されている。


「ひぇ……! なんて上等の錦……!」


 女は息を呑み、三虎の横から覗き込んでた古志加もごくりとつばを飲みこんだ。

 こんな市ではまず目にすることはない、まばゆい錦だった。


「もちろん、もちろん! さあ何個ご希望です? お好きな数を!」

「十九個!」


 古志加が勢いよく言う。


「十九個?」


 三虎が古志加を見る。


「皆のぶん。あと、あたしは──二個!」


 フンっと鼻息荒く古志加が言う。

 三虎がプッと口もとだけで笑う。


「ええ、ええ、良いですとも。」


 おみな柏葉かしわばに手際よく、握り飯を包みはじめた。


「かわいい若妻さん。いいわねえ。こんなに立派なつまを持てて。」

「えっ!」


 古志加は瞬時に赤くなり、肩をびっくりさせ、


(ちがう、ちがうんだよ……。)


 と言葉にならない声で、モゴモゴ言った。

 頬が熱い。

 すぐさま、衣に隠れた身体全部が、かああっと熱くなる。

 三虎がすぐ否定するだろう、と思ってチラリと三虎を盗み見る。


「うまそうだなあ。早く食べたい。

 すぐ一個くれ。」


 と三虎は握り飯にむかって手を差し出している。


(ひ……否定しない!)


 古志加は衝撃に打たれ、目を見開いて、三虎をまじまじと見てしまう。


 おみなから握り飯を受け取り、大きな口を開けた三虎は、古志加の視線に気づき、


「あ?」


 と手を止めたが、口をぽかんと開けた古志加が何も言わないのを見てとると、そのまま握り飯に食いつき、


「美味いなー、これ。

 焼いた醬の香りがたまらんぜ……。」


 満足そうに口だけで笑ってから、


「で、何?」


 無表情になり、古志加を見た。


「な……、何でも。」


 さっと古志加はうつむく。


(聞こえてなかったか、三虎にとってはどうでも良い話のようだ……。

 そう、どうでも良い事。

 でも、今、この握り飯売りのおみなには、あたしと三虎が、めめめ、めめめ、め、夫婦めおとに見えてるって事なんだよぉぉぉ!!)


 ……三虎と夫婦めおと


(あたし、今日は変だ。

 初めて郷のおみなの姿をして歩いたせいで、頭まで影響があり、おかしくなってしまったのだろうか。

 なんでこんな、頭が沸騰しそうなんだろう。

 なんでこんな、身体が火照るんだろう。

 顔なんか、多分真っ赤だ。

 慣れない姿で恥ずかしくなってしまうのは、しょうがないと思うけど、恥ずかしい度合いが行き過ぎてないか。

 恥ずかしくて、こんなに身体が火照ほてるものだったろうか?

 どうしちゃったんだろう?)


 古志加はうつむいたまま、春の優しい風に吹かれて、早くこの頬の熱が飛ばされますように、と思った。


「良い土産ができたな。」


 と馬をひきながら二人で歩きだす。


(あ……!)


 市で、かんざしが売ってるのを見つけた。

 木を朱色に塗ったり、綺麗に彫刻したり、素朴なもの。

 金や銀、貴石はない。


(もし、もし今。

 三虎にかんざしが欲しいと言ったら。

 買ってくれるだろうか。

 あたしに……。

 バカ、甘えるな、と言われるかもしれない。

 高いものではないから、良い、と言ってくれるかもしれない。

 あたしに……。

 かんざししてくれるだろうか。)


 想像しただけで古志加の胸が早鐘を打ち、顔が火照ほてった。


 そして、口にはできなかった。


 何もおこらず、簪を売ってるゴザはすぐ通り過ぎてしまった。



(愚かなあたし。

 今、この山吹の衣を着ているのは、そもそも見習い衛士としての仕事だったではないか。

 思い出せ。

 今日一日だけ、さとおみなのように三虎と板鼻郷の市を歩いて、楽しかったからって。

 母刀自の墓の前で、ちょっと三虎にき言葉をかけてもらったからって。

 舞い上がりすぎだ。

 自分の事を、どこか良いところの佳人かほよきおみなとでも、勘違いしてしまったのだろうか?

 あたしは、自分を思い出すべきだ。

 やっと、見習い衛士にはなれたけど、あたしは薄汚い男童おのわらは下人げにんの扱いだったじゃないか。

 本当のあたしは、三虎に見えてるあたしは、土埃にまみれて、おのこみたいに稽古してるあたし。

 男と見間違える、身分も違う、そんなあたしが。

 言えるわけがない。

 かんざしが欲しいなんて。)





    *   *   *




 戌の刻。(夜7〜9時)


「酒、酒飲みましょうよぉ、はい、つまみの塩!」


 と三虎の部屋に薩人さつひとが一人で現れた。

 浄酒きよさけと塩を持って。

 三虎が衛士舎えじしゃへ行くことがあっても、衛士が三虎の部屋に来ることはまれだ。


「……どうした。」


 静かに問うと、


「ちょっと話がしたかったんです。

 付き合ってくださいよ。」


 薩人が細い目をさらに細めて笑う。

 浄酒をつぎ、つがれ、飲みながら、


「山吹の衣の古志加は、可愛かったです。

 まだ幼いですが……。」


 と、薩人が切り出した。




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