第一章   くるみの人

第一話  オレは古流波

 母刀自ははとじは、美しいおみなだった。


 しかしその美しさこそ、母刀自ははとじを不幸にしたみなもとだった。











 オレは古志加こじか

 灰汁色あくいろ(薄い灰色)のり切れた衣、頭の後ろで一本に結わえた長い髪(ポニーテール)。

 まるでおのこみたいな格好かっこうだけど、女童めのわらは(女の子)だよ。


 オレは、古志加こじかって名前は、ほとんど使わないんだ。

 母刀自ははとじ(母親)が舌足したたらずで、古志加こじかと言おうとすると、どう頑張っても、とかとしか聞こえない言い方になるから。


 だから、オレは、自分を古流波こるはって呼ぶ。

 

 母刀自は、舌足らず───舌の長さが足りず、上手に喋れない。

 もちろん親父やオレは、何を言ってるかわかるけど、他の人には満足に通じない。


「生まれた時から、そうだったの?」


 とたずねたことがある。

 母刀自は悲しそうに目を伏せ、首を振るばかりで何も言わなかったが、酔った親父が、右目の刀傷を触りながら、


「違うさ。オレが切ってやったのよ。

 そうすりゃ余計なことは喋れねぇし、どこにも行けねぇからなあ……。

 え? ふく。」


 と言って笑うので、心底腹が立って、


「この野郎!」


 と殴りかかったが、あの頃はまだオレは五歳だったので、逆に殴られて、軽々と吹っ飛んでしまった。

 全く歯が立たなかった。




 母刀自ははとじの親をオレは知らない。

 このひどい親父が、遠くのさとから母刀自ははとじをかどわかし、逃げられないよう舌を切ったのだろう。

 もちろん文字は書けない。

 産まれざとの場所がわからず、さとの名も言えなければ、母刀自はどうにもできなかったはずだ。


 母刀自は福成売ふくなりめという。

 しかし母刀自が、福成売ふくなりめと言おうとすると、としか言えない。

 そうやってこのひどいおのこは、母刀自から常敷とこしへ(永遠)に自分の名を奪ってしまったのだ。


(母刀自の舌を切った親父なんてキライだ。母刀自は可哀想かわいそうだ。)


「親父が呼ぶ古志加こじかより、母刀自の呼ぶ古流波こるはがいい。」


 母刀自にそう言うと、母刀自はオレを抱きしめ、


 ──あなたは古志加こじかよ。

 あの人の呼ぶ古志加こじかは、ちゃんと、あなたの名前なのよ……。

 ね、古志加こじかでいいのよ……。


 と、なぜか悲しそうにするのだった。






 オレの家は、土床だ。

 広さは充分。

 寝る時は寝ワラ。

 家にかまどがあるよ。

 鉄の鍋だって持ってる。

 パタン、パタン、押し出し間戸まど(窓)を自由に開閉もできる。

 やけに家のまわりが静かだって?

 そうだね。何故か、一軒だけポツンと、郷から離れた山の中腹にあるからね。

 さとの人はうちに全く来ない。

 かわりにいつも数人の、人相の悪いおのこたちが出入りし、オレと母刀自は世話のためこき使われ、気に入らないと、母刀自はともかく、オレは容赦ようしゃなく蹴られた。

 下人げにんか何かと思われているらしい。


 親父は畑仕事をしなかった。

 オレと母刀自は二人で畑仕事をし、豊作のときは郷の市へ売りに行った。

 しかし、そんな生活なのに、不思議と飢えたことはない。

 親父が怒って、一日食事抜きはしょっちゅうあったが、凶作の年も、親父は何かしら、三人がゆうに食べれる分だけの作物を手に入れて帰ってきた。


 とくに「私出挙しすいこの取り立て」の時期は、羽振はぶりが良く、うちに出入りするおのこたちも皆上機嫌だった。






 オレが本当は女童めのわらはなのに、オレって言ったり、男童おのわらはみたいな格好をしてるのは、全部、親父のせいだ。

 親父はオレがおみならしくする事を、一切許してくれない。

 理由は知らない。

 親父はオレに、いつも土や灰で顔を汚し、おのこの格好をしているようにと命令した。

 たまに顔を汚し忘れていると、


なまちろい顔してんじゃねぇ!」


 と殴られた。


「なんでだよ!」


 と噛みつくように言うと、


「いいかぁ、おみななんてのは、綺麗にしてるからいけないんだぜ。

 とくに、ここみたいに、ならず者が出入りするとこじゃあなぁ……。」


 と言って、親父は手に灰をつけて、オレの顔をごしごしこするのだった。



 




 親父は、六歳のオレに剣を教えたがった。

 畑仕事や家のこと、やることは沢山ある。


「イヤだ。」


 と言うと、親父はニヤニヤ笑って、


「じゃあなぁ、食事抜きだ。おまえじゃなくて、福成売ふくなりめのだ。」


 と言うので、本当に腹が立って、持たされた棒でがむしゃらに殴りかかった。


(クソ親父め! 痛い目を見ろっ。一回でも良い、当たれ!)


 親父は、刀傷の走る右目は見えていないくせに強くて、どこに打ち込んでも、親父が剣の代わりに持った木の棒で防がれた。

 六歳のオレは、何回挑んでも、一回も勝てなかった。

 最後は、親父の棒で腕を打たれ、尻を打たれ、痛い思いをして稽古が終わる。迷惑だ。

 親父は、気まぐれに、ほとんど一日おきに、


「剣を教える。来い。」


 と、オレの時間を奪った。

 身を入れてやらないと、


「母刀自の食事抜き。」


 とすぐ言うので、手は抜けない。

 オレが怒って荒々しく打ち込めば打ち込むほど、


「いいぞ、いいぞ。」


 と親父は満足そうに言うのだった。

 

「強くなれ、古志加こじか

 オレが鍛えない日も、毎日剣の稽古をしろ。

 一日でも休むと、すぐ弱くなるぞ……。」


(悔しい。

 親父なんてキライだ。

 見てろ、次こそ勝ってやる。)


 オレは、自分一人でも、毎日、剣の稽古をした。




     *    *    *




 あれは七歳。

 たわむれに母刀自ははとじに、


「オレ、兄か姉か、弟か同母妹いろもが欲しいなぁ。」


 と言ったことがある。

 あんなこと言うんじゃなかった。

 母刀自は震えだし、オレを抱きしめた。

 親父が酒を飲み、ニタニタしながら、


「あん? いたさ。おまえの上に。

 あんまり泣くのがうるさかったんで、産まれて十四日で、子を欲しがってた裕福な家に売ってやったよ。

 福成売ふくなりめが寝てるうちにな。」


 とゲラゲラ笑った。

 母刀自が、うぅっ、と唸り、泣き出した。

 しかし親父の下卑た笑いは止まらない。


「下もいたぜ? 三日でこれまた売ってやったよ。

 緑兒みどりこ(赤ちゃん)なんてうるせぇし、大勢いてもわずらわしいだけだからな。」


 いつもは親父にくってかからない母刀自が、オレをしっかり腕に抱きしめ、父から守るように遠ざけながら、


 ──あんたは酷い奴だ!

 この鬼!

 あたしの緑兒みどりこを返して!


 と泣き叫んだ。

 親父が手にしていた土師器はじきつきが勢い良く飛んできて、母刀自の顔、スレスレの壁にあたり、ぱぁんと散った。


「うるせぇ! 

 古志加こじか一人はおまえの為に残してやったんだ。

 感謝しろ!」


 オレは心底怒りがいて、母刀自の腕を振り払い、家に置いてあった木の棒を握り、


「このクソ野郎!」


 と親父に棒を振り下ろした。

 親父は左腕でやすやすとその棒を受け止めると、オレの左脇腹を右腕でしたたかに殴った。

 倒れたオレを蹴ってうつ伏せにし、左腕を締め上げて背中にのしかかった。


「素手でかかってくるなら、殴るだけですませてやる。

 だが、武器を持って向かってくるって事はどうなるか、覚えておけ。」


 オレはそのまま左腕を折られた。

 あれは酷い事になった。

 痛いし、その夜は高熱がでた。

 その後一月以上、弓が持てなかった。

 熱が下がったあと、


「あんなヤツ嫌いだ。

 母刀自のぶんだけ残して、この身体からの親父の血を、全部絞り出してやりたい。」


 と言うと、母刀自は憔悴しょうすいしきった顔で、


 ──古志加、古志加。

 そんなことしたら、死んでしまうわ。

 あたしには、あなただけなのよ。

 あなただけが、あたしの幸せ。

 あなたが死んだら、もうこの母刀自は生きていかれない。

 熱が高くて、うなされて、どんなに、どんなに心配したか……。


 と泣くので、本当に後悔した。

 あの時はごめんなさい、母刀自。

 可哀想な母刀自。

 子供を取り上げられて、きっとまだ悲しいんだ、と思った。


 でも……。

 上の子も、下の子も、裕福な家に行ったんだろう……?

 あのクソみたいな親父のことを、知らずに暮らしてるんだろう……?

 母刀自には悪いけど、それはそれで、良いことだったんじゃないかと、オレは思うよ……。





     *   *   *





 著者より。


 古志加の父親について、コメント欄で質問が多いので、ここに詳しく記載します。

 父親について知りたいと思わなかった方は、読み飛ばしてください。



 吉弥侯部きみこべの伊太知いたち……古志加の父親。右目に刀傷。

 仕事は、私出挙しすいこの取り立てです。

 出挙すいことは、百姓相手の種籾たねもみの借金です。

 私人しじん(裕福な一般人)が貸し出すのが私出挙しすいこ

 公人(国司)が貸し出すのが、公出挙くすいこ

 利率は、10割。

 現代の町金融も真っ青の利率です。

 種籾から米がたくさん実るから、この利率です。

 不作などで種籾が返せない百姓は、下人げにん(奴隷)に落ちました。


 父親は、ヤクザな取り立て男、と考えてもらえばけっこうです。

 もともと乱暴者で郷からは嫌われもの。

 嫁のなり手がなく、この父親は、遠く遠くの郷から、面識のない美しい娘をさらってきました。

 逃げられないように、また、わずらわしいおしゃべりは嫌いなので、舌を切りました。

 この父親は、クズです。


 古志加に顔をすすや土で汚し、男の格好をするようしつけたのは、自分の仕事仲間、がらの悪い男がいつも家にたむろしていたので、好色な目で見られないように、自衛の為でした。

 それと、剣を教えた事。

 この二点が、この男が実子に与えられた、本人にとってはMAX限界の愛情でした。

 暴力クソ親父、古志加を優しく抱きしめることもありません……。











 ↓鉛筆画の挿し絵です。 https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330659617152866

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