第2話【勘違いによる死】

 次の日、トムは昨日得た金で数日ぶりのわずかな食べ物を買い腹を満たした。

 貧困窟にもまだ枯れていない井戸があるため、飲み水だけは常に確保できる。

 しかし水でいくら腹を満たしても、一定期間食べ物を口にしなければ死ぬのは誰でも一緒だ。

 事実、貧困窟に住む者の多くの死因は餓死。

 次に多い理由は他者からの暴力で、病気で死ぬのは稀。

 病気にかかった場合、よほど急に悪化する病でない限り、餓死するのが貧困窟の常識だった。

 早くに両親を亡くし、貧困窟で暮らしてきたトムが十六になる今まで生きてこれたのは、幸運ともいえた。


「イテテテ。昨日ぶたれた所が痛むなぁ。仕方ない……薬草を取りに行くか」


 トムはランドンの西に位置する貧困窟から更に西、ランドンと海をつなぐタムズ川の下流へと足を運んだ。

 運河としても使われるタムズ川の細い支流の一つにたどり着くと、川辺に群生する黄色い花を咲かせた薬草を摘む。

 この薬草を口に含んで咀嚼を繰り返して粘り気を出した後、腫れた場所に塗れば痛みも腫れも速くひく。

 すでに亡くなった貧困窟での第二の親に聞いた知恵だった。


「そういえば、塗る前はできるだけ清潔にしろだったな」


 ちょうど目の前には澄んだ川がある。

 トムはぼろ布を脱ぎ捨てて川に飛び込んだ。

 春先でも冷たい川の水は、始め傷に染みたが、すぐに気持ちよさが勝った。

 水浴びなど久しぶりだったためトムが川の中ではしゃいでいると、川辺に近付く影が二つ。

 その影にトムが気付くのは、自身の身に起こる異変の後だった。


「うっ! 苦しい……な、なんだ……これ、は……」


 突然の息苦しさに川から身を出したトムは、自分の身体に目をやり驚きの声を上げる。

 しかし口から漏れ出る言葉は、力無いものだった。

 まるで老人になったかのようにシワだらけの身体に驚いていると、川辺から声が聞こえた。


「ふはははっ! まさか、【砂漠の三日月】のボスともあろう者が、護衛も付けずにこんな場所でのんきに水遊びなどしているとはな」

「おい、本当にこいつがエドワード・トウェインで間違いないのか?」

「うん? 間違うはずがないだろう。この地域では黒目黒髪の男などあの男以外には珍しい。それに見ろ。人相書きとも一致している」


 初めに喋った黒いローブを着た男が、隣に立つ皮鎧の男に懐から出した羊皮紙を見せる。

 何度か羊皮紙とトムの顔を行き来した後、皮鎧の男は数度頷いた。


「確かに。しかし、お前の魔法は殺しにはもってこいだが、人相を確認するのには向かないな。他人の水分を強制的に追い出す魔法だったか? シワだらけで、十六歳のはずが老人みたいだ」

「そう言うな。エドワード・トウェインもなかなかの手練れと聞いている。一人でも対処できると判断できるくらいの実力はあるのだろう。俺の魔法にかかれば反撃の芽も潰せる」


 突然現れた二人組の会話に、トムは人違いだと叫びたかった。


(エドワード!? 誰だ!? そんなの知らない! 助けてくれ!!)


 しかし、張り付いた喉は開かず、一言も発せない。

 その日トムは、自らの死を意識した。


 次の瞬間……

 目の前の二人組の首が宙を舞った。


「え……?」


 ローブの男が死んだおかげで魔法の効果が切れたトムは、湿度の戻った口から声を漏らす。

 重力に従い崩れていく二人組の影から、壮年の男が姿を見せた。

 手には怪しく光る血塗りの剣を持っている。

 間違いなくこの男が二人組を一瞬にして死に追いやったのだ。

 男の剣呑な眼差しを宿す左目には、縦に深い切り傷が刻まれている。

 服装はまるで今まで殺した者たちの血を吸ったかのような、どす黒い赤。

 トムは男から死の臭いを嫌というほど感じた。

 男は剣の血を払うと、爽やかな笑顔をトムに見せる。

 たった今人を二人殺したばかりとは思えないような表情に、トムは面を食らってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

裏社会のボスと乞食 黄舞@9/5新作発売 @koubu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ