裏社会のボスと乞食
黄舞@9/5新作発売
第1話【乞食のトム】
その日、二人の少年がこの世に生を受けた。
一人は大都市ランドンの恥部、この都市でもっとも賎しい者たちが暮らす貧困窟で育つことになる。
その名はトム。
もう一人の名はエドワード・トウェイン。
エドワードはランドンの暗部、三大裏ギルド【砂漠の三日月】の若きボスとして君臨していた。
◇
「見てよ。また掃き溜めのゴミが物乞いなんてしてるわ。卑しいったらありゃしない! まったく……あんな場所。さっさとなくならないかしら」
大都市ランドンの一角。
大通りに繋がる薄暗い路地に目をやりながら、質素な装いの老婦人が隣を歩く老人に言う。
その視線の先には、擦り切れて穴が開いた服を着こんだ黒目黒髪の少年トムが物乞いをしていた。
トムは何度聞いたか分からない、自身を卑しむ言葉を右から左へと聞き流しながら、ひたすらに目の前に置いた裏返しのキルト帽にコインが投げられるのを待つ。
キルト帽の中にはわずかばかりの少額コインの他にしなびた果物が入っていた。
「乞食か……そら。地母神ドリアード様の慈悲がありますように」
豊かな白髭を生やした老人が、トムのキルト帽の中に銅貨を一枚投げ入れてた。
地母神ドリアードはランドンだけではなくこの国アングランドで最も信仰される女神で、その教義の一番に他者への慈愛の心を説いている。
一般的な職に就くことができないトムが物乞いで何とか生活ができるのも、この教えのおかげで自らの財を見ず知らずの困窮者に分け与える者がいるためだ。
もっとも、朝から日が傾くまで物乞いを続けて、トムが得られた初めての成果がこの銅貨なのだが。
「ありがとうございます……」
トムはお礼の言葉を発する。
老人がその場を立ち去ると、すぐにキルト帽の中に落ちた銅貨を拾い上げ、注意深く懐深くへとしまい込んだ。
最悪の事態に備えて。
その後もトムはしばらく物乞いを続けた。
日が傾きかけたのを合図に、この場を立ち去ることを決める。
しかし、今日に限ってはその判断を出すのが遅すぎたようだ。
三人の男たちがトムの前に現れたのだ。
トムは内心、溜息を吐く。
「おい! その金を俺らに寄こせ! 断っても痛い目を見るだけだぞ?」
トムと似たり寄ったりな薄汚れた服を着こんだ男の一人が、座ったままのトムに向かって怒鳴った。
他の二人はにやにやと笑っている。
抵抗しても無駄だと理解しているトムは、何も言わずにキルト帽を中身が入ったまま手前に押し出した。
怒鳴った男が見せ金として入れておいた粗銅貨三枚を拾い上げる。
続いてしなびた果物も持ち上げたが、中が虫食いだらけなことに気が付きトム目掛けて投げつけた。
慌てて避けた顔の後ろの壁で、乾いた破裂音が鳴る。
「おい! 他にも持ってんじゃねぇだろうなぁ?」
「残念ながらそれだけです。勘弁してください」
男の問いにトムは必死の表情でそう答えた。
トムの返答自体は疑わなかったが、代わりに男たちはトムに危害を加えることを決める。
物乞いをするトムと同じ貧困窟で暮らす男たちの、憂さ晴らしの対象に選ばれてしまったのだ。
ランドンで人殺しは重罪だが、貧困窟に住む者はほとんどの市民から人としてすら認識されていないため、男たちの暴力を見ても止める者はいない。
中にはゴミが一つ減ってこの街が綺麗になると思っている者までいた。
幸い、トムが大けがを負う前に男の一人が手に入れた金で何か食べる物を手に入れようと言い出した。
急所を守りながらうずくまるトムを置いて、男たちは去って行く。
トムは痛む身体を擦りながら立ち上がった。
「あ……イテテテ。今日は運が悪かったなぁ……せっかく銅貨を手に入れたのに見せ金を取られちゃった」
そう言いながらトムは空を見上げた。
男たちからの暴力を受けている間にすでに日は沈み、空には無数の星と細い三日月が昇っていた。
暗くなれば荒くれ者たちも増える。
先ほどは死を免れたが、次に出会う危険が同じとは限らない。
トムは慌てて自らの住処へと急いだ。
貧困窟と呼ばれる旧市街地。
打ち捨てられた崩れかけの建物の一角がトムの住処だ。
冷たい地面にそのまま横たわると、トムはゆっくりと目を閉じた。
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