サカナとハガネの魔導機譚Ⅱ 鉄と稲妻の三日間

プロローグ 鉄鋼魔法の少女

 十五歳の家出娘は、薄暗いガレージで目を覚ました。

 獣の温かな首筋に顔をうずめたまま、夢を見ていたようだ。


 いくつものネガティブな記憶。

 消えた母、父の背中とイーゼル、学校の気に食わない全部、繁華街で襲ってきた男と、ナイフ越しの肉の感触。汚らしい流血。逃げ乗ったフェリー、波立つ冬の海。

 悪夢の残滓を振り払い、コンクリ床のタオルケットから体を起こす。


 傍らに横たわる獣をなでた。ごわごわと固い毛並みは鈍色と灰白のまだらで、雷雲かみなりぐもを思わせる。

 そんな連想は安直すぎると気づき、少女は鼻で笑う。大型の狐狼にも似た四つ足の彼は、たしかに〝雷獣らいじゅう〟なのだった。


「なにか可笑しいことでも? 野月のつき


 他人のような親がつけた風変わりな名前を、人語で雷獣が口にする。流暢で深みのある声だ。


「べつに。毛が顔についただけ」


 なるべく無愛想な言葉を放つのは、いまや野月の習性だった。


 床から作業机に手を伸ばして腕時計をとる。時刻はだいたい午後五時半。カレンダー表示は四月五日で日曜日。

 軽くて丈夫なプラスチックのデジタル時計は、父親から譲り受けた中で、唯一気に入るものだった。

 この家で暮らし始めて丸三ヶ月が経った。その間に野月がやってきたことといえば——。


 民家の一階にあり、もとは車庫だったガレージの壁沿いには、スチールラックがずらり。自作の道具を並べてある。

 ナイフ、手斧、ハンマー、槍、長剣。何種類かの鎧と盾、試作中のボウガン。

 主として武器と、防具。雑然とした棚の様子は、ファンタジー世界の鍛冶屋のようでもある。

 すべて、野月自身が作った物だ。


 彼女に備わる固有の能力——それを雇い主は〝鉄鋼魔法てっこうまほう〟と呼んだ。無から有を生み出すわざなのだと。

 鉄鋼魔法は読んで字のごとく、鉄や鋼に似た特性をもつ金属質の物体を生成する魔法だ。野月の技量次第で、生成物の造形と材質をかなり自在に設定できる。


 雇い主は野月の魔法を上達させ、注文をつけ、完成品を受け取っては引き換えに報酬を与えてきた。ひとりで生活するのに困らない現金だ。

 自作の装備が誰に届けられて何に使われるのか、それは訊けない決まりだったが……ろくでもないこと、あるいはとんでもないことに関わっている自覚が、野月にはあった。


 特定の注文がないとき、野月は鉄鋼魔法の練習、もしくは新たな装備の設計をして過ごした。飽きれば外で目一杯体を動かす。

 いくらでも湧くアイデアを、ノートに書き溜めていた。作図は我流だがそれは当然だ。魔法で物を作ってるヤツなど他に知らない。

 今日も鉄鋼魔法の駆使でボウガンの機能を再現するため、伸縮ワイヤーと板バネの金属特性を試行錯誤していた。


 正直にいえば、魔法に取り組むのは面白い。技術の追求に、野月は夢中だった。一日の多くをガレージで過ごすほどには。

 そして魔法を繰り返し行使すると、体力を大きく消耗する。


「ずいぶん昼寝しちゃったな。腹も減った」


 ばさばさの黒髪を指でとかしつつ、独り言をよそおって雷獣を夕飯に誘うと、


「何度も言うが、床では寝ない方がよい。体が冷えるゆえ」


 堅苦しく指摘されたので野月は、へっ、とまた鼻で笑う。


「わかってるわかってる」


 小うるさいことを言いつつも寄り添ってくれる雷獣を、野月は嫌いでなかった。

 彼の名前は、ツイメイ。ほぼ一年二ヶ月の付き合いだ。

 地元の山中で死にかけていたところを助けて以来の仲だった。この、実に奇妙な獣とは。

 細い顔立ちは狐に似てるが狐じゃないし、固苦しい言葉をしゃべるし、細長い尻尾が三本もある。雷の魔法を使うし、それに何より——、


 その思いが野月の胸中で言語化する前に、ガレージ内の空気が変わった。

 薄暗い室内が、一段と色を失う。

 決して窮屈ではないガレージを、狭苦しく感じた。

 空間の圧迫が増して、まるで生き物の体内のようだ。

 野月もツイメイも、この感覚にはなじみがある。



『仕事だ。墜冥ツイメイ



 男の声が、雷獣を呼んだ。

 地の底から響くような、くぐもった呼びかけ。

 不吉な予兆がふさわしい、背すじも凍る声音だった。

 誰も気づかない内にその男は、作業用スツールの上で優雅に脚を組んでいた。

 黒いシャツと細身のスラックス。磨いて艶のある革靴。撫で付けられたロマンスグレーの頭髪。


 そして、異様な仮面。

 顔に装着された金属製の仮面は額から顎の下までを完全に覆い、目も鼻も口も無い、のっぺらぼうだった。外耳すらをも平坦にカバーしている。

 濃淡のある黄銅色の、滑らかな曲面をもった表面。ただ眼窩の窪みとけた頬の部分だけが、薄っすら凹みを描いていた。

 得体の知れない仮面の男。その呼び名は叶威カナイ

〝魔術師〟を名乗り、野月の雇い主であり、古くからのツイメイの仲間だった。


『来い。同胞の出迎えだ』


 野月は口をつぐみ、ただ緊張だけを感じていた。

 自分の内面を、一分いちぶたりとも晒したくない。そう思わせる雰囲気が、叶威からは発せられている。


「叶威、この近くなのか?」


 床へ寝そべっていたツイメイが警戒しつつ起き上がり、険しそうに両目を細める。


『沖合いに落ちる確率が高い。何せ、長らく放っておいた物だ。思った通りに動くとは限らない』


「……御意。〝永生棺えいせいかん〟の落下軌道を修正しよう」


 ツイメイが応じると、叶威は満足そうに頷いた。そのまま首を巡らせ、野月を見る。

 黄銅色の仮面の、淡く翳った眼窩の窪みが自分を捉え、一瞬ひるみ、それでも彼女は仮面を見据え返した。


御原みはら 野月のつき。お前にも近く、大仕事がある。休み、備えておけ』


 叶威が放ったその言葉に、野月は鳥肌が立つのを感じた。彼女がいだいたのは恐れであり、得体の知れない期待感でもあった。


 自分のために作られたものなど何もなかった、彼女を取り巻く世界への、確信的な禍害を予感させる、魔術師の誘惑だった。


「——すぐ戻る。おそらく雨が降るので、温かくするように」


 青ざめて固まった野月を気づかってツイメイが声をかけてきて、野月は我に返った。

 こくりと頷き、ツイメイもまるで人間のように首肯する。


 直後、雷獣の全身が瞬時に輝き、青白い電光と化す。幾筋かの細い稲妻が宙を走ってシャッターのスチール板を貫き、痕跡も残さず屋外へ消えていった。

 その技を〝飛電〟とツイメイは呼ぶ。彼が操る魔法の一つだ。


 室内を満たした閃光と同時に叶威も、この場所からは消えていた。他者の意識の隙を突くことに長けた、神出鬼没の曲者である。



 残された野月の頭上で、ガレージの電灯が明滅していた。

 叶威の纏う圧力から逃れてもなお、手先が震えて、止めようとしても言うことを聞かない。

 彼女は右手のひらで左手を握り締め、自らを落ち着かせるため、震える息をゆっくり吐く。


 魔に、魅入られてしまった——。本能が警告を知らせても、少女には、この薄闇から逃れる道すら思いつかないのだった。

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サカナとハガネの魔導機譚【エピソードⅡ準備中】 子鹿白介 @kojikashirosuke

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