エピソードⅠ 完読者さま向け蛇足
A.D.2051の魔法使い
プロジェクト決行の時刻を迎え、建物内で人の動きが慌ただしくなったことを、留花は感じとった。
白いベッドの上に座り込み、白い壁面に背をあずけ、白いテーブルに置かれた朝食には手をつけないまま、白い天井を見上げていた。
白く清潔なスウェットの上下を身に着け、左目には白いガーゼの眼帯をして、青鈍色の髪を無個性なショートカットに整えられた、三十半ばの女。
それが今ここにいる、
(……実験、成功だ)
そう判断した理由は、夜空の色だった。
部屋を埋めつくす、気が狂いそうなほどの白を上書きするように一瞬、紺色の闇と散りばめられた星影が、右目の視界をよぎって消えた。
魔法的共感覚。
留花が捉えた夜空のイメージは、第六感で受容した魔力波動を、脳が視覚へと置き換えた虚像だ。
そして夜空は星井自身の魔力固有色。それが突然、外界から表れたということは。
通信をよこしたのだ、あの機体が。
不安で胸を高鳴らせつつ留花は待った。朝食のプレートが下げられて昼食に代わっても、ただ待つしかなかった。
地下の実験場に立ち入る権限も、窓のないこのフロアから出る権利も、彼女は持ち合わせていないのだ。
----------
個室のドアが外からノックされ、返事も待たずにスライドして開く。意外なことはなにも起きない。
魔力として確立される以前の生命エネルギーをも知覚する留花の目は、入室してくる人物を事前に認識していた。
「実験は成功です」
留花の判断どおりの言葉を、生真面目そうな男は告げた。彼女の管理担当官だ。
灰色のスラックスに、腕まくりしたワイシャツ。背が高く、細身で肩幅はないが鍛えていそうな体つき。前髪の一部が白いメッシュになっている。
留花と同じに三十代中盤の容貌だが、青年のような若々しさを感じる。時の流れをねじ曲げる、星々の旅を経た自分とは違って、だ。
「目的のデータは入手して、私はお役御免ってことでオッケー?」
気のないふうを装い、留花は冗談めかした。
「いえ、そこまでは」
担当官のバカ正直な答えが面白くもなく、露骨に表情をゆがめてみせる留花。
「転送から604秒後、試作一番機〝
「実戦に……ね」
留花の揶揄に、担当官は困ったような、悲しげなような表情を浮かべ、下達を続ける。
「レポート内容を鑑みた協議の結果、試作二番機をカスタマイズし、当該時空間へ追加投入することに決まりました。仕様はこれです」
担当官が専用タブレットを留花のテーブルへ置いた。画面の文書には、機体の新たな呼称だろう――〝
ベッドの上で片膝を抱えたままの留花。タブレットも手に取らず不満げな視線で射てくるばかりで、担当官はたじろいだようだ。
「想定する二番機装着者は、運用先で破鐵が遭遇した少年です。念動力の魔法を保有しており、ポテンシャルが非常に高い。彼の能力を引き出し戦闘をサポートするよう、呪文を練成してください」
「二機目を出して、子供まで戦いに引き込むってことは……破鐵は壊れたの? 運用レポートを読ませて」
口調に必死さを滲ませ、留花は要求した。
「あなたにそれを開示する権限は、私にはありませんが……レポートが送られてきたのは、機体が無事だからこそです。――あなたの、向こう側にいるご友人も」
互いに譲れずしばし睨み合ったのち、留花に指示を呑ませようと、担当官は話を進めた。
「対象の少年の、魔力特性サンプルです」
ひとつの記録媒体が差し出される。液体が充填された、手のひらサイズの透明な容器。
形状は複雑で、まるで空気の出入口がない金管楽器のようだ。外殻と同じに透明な内容物は、単純な磁気ポンプによって静かに循環していた。
「それじゃダメ。運用レポートの添付データからあなたたちが抽出したサンプルじゃ、話にならない。破鐵が添付してきた、元データを渡して」
「それは、機密レベルが、」
「破鐵の魔導流体の、複製そのものを。どうせ機密情報ったって、誰にもロクな内容は読めやしない。そいつをよこしたなら、新兵器の魔法だろうがなんだろうが、仰せの通りデザインしてみせる。
――あんたたちの魔法使いが」
留花は口ごもる担当官を片目で見つめ、真っ直ぐに言い放った。
----------
数時間後、管理担当官の上司らの承認を経て、留花の元に未編集のデータが詰まった記録媒体が届けられた。先ほどの抽出サンプルと、見た目の違いはない。
この記録媒体は〝魔導流体回路〟もしくは単に〝流体回路〟と呼ばれ、魔力や呪文を複製して保管するためのストレージだ。
破鐵の運用レポートは主にデジタルデータで授受されるが、無機的記録では補完しきれない魔法的記録も添付され、この流体回路に保存されるのだ。
(私以外には使い道ないんだから、最初っから引き渡せっての……)
留花の考える通り、この機関に所属する――拘束されているともいう――魔法使いは彼女だけだ。厳密には更に〝魔術師〟と分類されて然るべき、魔法の使い手である。
夕食のプレートに乗った真四角の肉野菜パティと白米へ手をつける前に、留花は流体回路の読み込みに取りかかった。
個室の照明を消し、真っ暗なベッドで仰向けになり、みぞおちの上に流体回路を乗せ、両手を添えた。
初めての試みであり留花にも確証があるわけではないが、このやり方で正しいはずだった。少なくとも、自分が求めていることを――彼女の安否を知るには。
流体回路内に循環する魔導流体を、自身の血と感じ、一体化する。同じ体温になる。
本来、流体回路から子細な記憶を読み取ることなどできない。
そこにはただ、他人の魔法の跡があるだけだ。
だが、破鐵ならば。
留花がひそかに生命の一部を分け与えた、自らの分身と呼べる、あの機体の記録ならば。
最新のコンディションから感情の逆算をして、破鐵が辿った出来事をある程度、再現することができる。
それがプロジェクトに巻き込まれた魔法監修者として、留花が取り得る最大限の手段だった。
◇
流体回路とつながり、一番に飛び込んできたのは、明け方の白い空。
夜と朝の狭間で雲を染め、淡く輝く、色とりどりの暁光。
厳密には会ったはずもない人物の、魔力固有色。
だが留花はそれを知っている。懐かしく覚えている。
温かくも鋭く、優しくも熱い、その光を秘めたひとを。
彼女は戦っていた。
戦うしかないから。抗うことができるから。
悲壮なまでに覚悟を決めて、立ち向かうことを知っていた。
辿る記憶は赤く染まる。喪失の衝撃。痛みと悲しみ。
破鐵からみたその人物が、身体と心に深い傷を負ったことを理解して――、
「サカナ……!」
留花は呻き、呼ぶのだった。
世界の時間で三十年前、亡くしてしまった友達のことを。
並行世界にいまだ生きる、沙坂那渡の呼び名を。
【『サカナとハガネの魔導機譚Ⅱ 鉄と稲妻の三日間』へ続く】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます