冬の鼠

@aiba_todome

第1話

 大きく無神経な生き物が、布団にくるまっていた。雪は空気を鈍麻させ、風の音はくぐもっている。丸くなっているのは人間の男だった。むやみに伸びた身長は、古い布団から足先を余らせ、指がかじかむ。


 枕元は菓子パンのビニールで埋まり、いつからあるのかも忘れ果てた。冬の渇いた空気が、食べ残しをミイラのように保存している。


 かりり、と畳を搔く音がする。大きな生き物はまぶたを上げたが、寝起きに霞む目では何も見えない。

 またことこと、と足音がして。大きな生き物は、今度こそ蒸しパンの包み紙の上で、小さな生き物が忙しく手を動かしているのを見た。


 生き物はネズミだった。ドブネズミではないことを男は知っていた。本を読んだ知識では、ドブネズミはもっと細長いはずだ。

 そのネズミは赤茶色の毛をして、雪の冷たさにも耐えられるよう丸々と膨らんでいた。種類は分からなかったが、山のネズミだと男は思った。


 ネズミは大きな生き物がこちらに気づいたと分かると、毛に埋もれて短い脚を、猛烈に回して逃げ出した。

 男は目で追ったが、障子の向こうに駆け込んだところで見失う。それが初めて冬の鼠と出会った記憶だった。




 男は寒さに痛む皮膚を隠して、シリアルを取りに行った。テーブルに袋を開けたままおいてあるそれを一つまみ。布団に潜り込むと、菓子パンの袋にシリアルをのせる。

 それだけやると、男はスマホをいじり、また眠った。


 ネズミは来た。あの畳を掻くような足音がして、シリアルの匂いを物珍しそうにかいでいる。げっ歯類なので硬いものの方がいいだろうと考えた男の予想は当たった。ネズミはシリアルを一口かじると、そのままいそいそと胃の中に送り始める。

 男はそれをものも言わず眺めていた。子供のころに飼っていたウサギを思い出した。リビングで檻に入れられて、静かに草を食んでいた小さな生き物。


 ウサギは檻に入れるしかなかったが、ネズミは走り回っても構いはしない。

 男は久しぶりに穏やかな眠りについた。




 冷たい形が背中を掴んでいた。爪が肌の浅い部分に食い込む。男は悲鳴を上げて布団から飛び出し、シャツの中をまさぐった。

 小さな生き物が転がり落ちて、その勢いのまま障子の向こうへ消えた。あのネズミだった。電気毛布の暖かさに惹かれて潜り込んできたのだ。

 男は謝りたくなった。冷たさと痛みに驚いただけなのだ。あのネズミだと気づいていれば、そのまま寝ていたのに。


 男は布団を敷きなおして、ネズミを待った。今度は慌てたりはしないから、また来てほしいと願い、眠りにつく。


 その後、ネズミが現れることはなかった。





 家に母親が来た。母親はゴミだらけの部屋を見て呆れたが、黙って片づけ始める。男もバツが悪いので、起き上がって掃除を手伝おうとした。


 母親の悲鳴が聞こえて、男は何事かと視線の先を見た。

 毛布の下にネズミがいた。古いアニメで見るようにぺしゃんこになっていた。不思議と不気味な感じはなく、血も内臓も流れ出てはいない。眠るように閉じられた瞳は、春になればまた開きそうにも見えた。


 悲しさは感じなかった。

 分かり切ったことだったのだ。大きくて無神経な生き物の横にいれば、元気よく動き回る小さなものがどうなるかなど。


 それでもネズミを呼び寄せたのは、自身の無関心と無神経さの表れに過ぎなかった。

 飼っていたウサギを思い出す。思い返せば、あの生き物に名前をつけた記憶もなかった。その無関心ゆえに、檻はリビングから離れ、ウサギは結局、物置の中で死んだのではなかったか。




 ネズミは雪の下に埋めた。涙は出なかった。

 大きく無神経な生き物は、ふたたび布団にくるまる。生き物はもう飼うまいと思う。


 雪解けまで、まだしばらくかかりそうだった。

 

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