月の光はレモンの香り

長月瓦礫

月の光はレモンの香り


レモネードの香りが揺れる。

月明かりに照らされるグラスに見える面影は、どこにいくのか。

夜空の向こうに何があるのか。

屋上からはレモンの形をした月以外、何も見えない。


「……アンタはいないんでしょ、ここにいるってことは」


「だから、探しに来たんだよ」


星々の呼びかけにこたえないから、探して来いと言われた。

ずっと後ろにいたのに、全然気づかなかった。


「みんな、あっちで待ってるんでしょ。置いて行かれるよ」


俺がそういうと、大げさにため息をついた。


「ずっと呼ばれてたよ。

私はそれが嫌だから、無視してただけ」


今も腕に引っ付いている。そういうおもちゃだと言って自慢できるかもしれない。

自慢しておけばよかったかもしれない。

後悔してもしょうがないし、そんなことは死んでも言わないけど。


隣にいる君は、俺以外には見えないらしい。

ずっと後ろを引っ付いて歩いて、数日が経った。

まだ数日、もう数日、そんなことを考えていたら今日になってしまった。


確かに、このまま俺といても何も始まらない。

仲間からの呼びかけを無視し続けていたら、もっとひどいことになっているかもしれない。この数日、それしか分からなかった。


「やりたいこと、いっぱいあったんだけどなー。

結局、何もできなかったな」


数日間、人を拘束しておいてそれかよ。

人に見えないからと好き放題していたくせに、まだ未練があったのか。


「何がしたかった?」


「生き返って、デートして、もう一度キスしたかった」


「強欲だな」


願いごとを一度に三つもいう奴があるか。

俺だって願っても叶わないことをずっと考えていたんだ。

考えるだけ考えて、触れないから諦めたのに。


「本当はアンタも連れて行きたいけど」


「俺は声は聞こえない。地獄になんか行きたくないよ」


「したくてもできないんだよねえ。私だけしか行けないみたいでさ」


無言で首を横に振り、抱き着いて離れない。

これで一緒に連れて行かれないんだから、現実ってシビアだよな。

猫みたいな髪色の頭を撫でると、目を細めて笑う。


ただ、俺の手は空を撫でるばかりだ。

これがどれだけ空しいか、分かるかい。


「本当にイヤになるね」


「分かる? 私も何も感じないの。空気になっちゃったたみたいでさ。

目の前にこんな好きな人がいるのにねー」


諦めだけは本当に昔から悪い。

どうにかして、自分の願いを叶えようとしていたんだろうな。

自分だけ助かるわけがない。無駄な足掻きだったわけだけど。


「誰もよく分かっていない宇宙なんだから、月が綺麗な世界もあるかもよ」


「同じ月が見られるといいけどね」


今みたいに月を眺められる世界があるのだろうか。

そのときは、夜空に浮かぶ月の裏側を一緒に見られるだろうか。


「ねえ、あっちに行ったら何があると思う」


「月の向こうにも星がいっぱいあって、宇宙が広がっている。

この宇宙の外に出たら、その先は知らない」


誰も観測したことがない世界、それを人は地獄というのか。

あるいは、天国とでも呼べる世界があるのか。

天体望遠鏡は何か知っているだろうか。


「ちりも残らないのかな」


「どうだろうね、宇宙を漂い続けるんじゃない」


レモネードのグラスがまたきらめいた。中身がまったく減らない。

この前、放課後に寄った喫茶店でもいろいろ頼んでいたが、俺が全部食べる羽目になった。ケーキセットを二人分、夕飯が食べられなくて困った。


「あっちの世界にもあるのかなあ」


レモネードのグラスを見てつぶやいた。

飲みたくても飲めない。記憶にある味を思い出すしかない。


「忘れちゃったらどうしようね」


「大丈夫だよ。いつか俺が月まで持っていくよ」


「いつになるのよ、それ」


多分、俺もみんなに呼ばれて同じところに行くんだと思う。

月の向こう側、誰も知らない世界に行くことになる。


「そろそろ行かなきゃいけない時間だって」


君はそう言って、フェンスの上に立った。

透明な身体に月の光が差し込む。


「バイバイ、ずっと愛してる」


返答する間もなく、君は月に吸い込まれて、消えていった。

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月の光はレモンの香り 長月瓦礫 @debrisbottle00

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