Sunset, Sibling, Sadness

汐海有真(白木犀)

Sunset, Sibling, Sadness

 私は弟の久斗ひさとと手を繋ぎながら、住んでいるマンションに帰ってきた。久斗は私の手を離し、走ってエレベーターのボタンを押すと、満足げな笑顔を浮かべる。


「えへへ、うづちゃんより先におせた!」

「よかったね」


 私が微笑むと、久斗は得意げに胸を張る。すぐにエレベーターはやってきて、私たちは順番に乗った。久斗が十五階のボタンを押して、扉はゆっくりと閉まった。エレベーターが、段々と上昇していく。


「そうだ、うづちゃん」

「どうかした?」

「ぼく、おうちに帰ったら、ベランダで夕やけ見たい!」

「ああ、別にいいけれど、どうして?」


 私が問いかけるのとほぼ同時に、エレベーターが十五階に到着した。久斗は私の方を見ながら、跳ぶようにしてエレベーターから降りる。


「あのね、夕日にね、たのみごとしたいの!」

「夕日に頼みごと……?」


 怪訝そうに尋ね返した私に、久斗は「そうだよおー」とにこにこ笑った。


「友だちに聞いたんだけどね、夕日にたのみごとするとね、それがかなうんだって! だから、見たいんだ」

「へえ……そんな都市伝説があるんだ」


 私は頷きながら、流れ星に願いごとの亜種だなと思った。出現頻度がかなり低い流れ星に比べて、夕日は晴れていれば見ることができるから、比較的簡単だな――そんなことを考えながら鍵を取り出して、家のドアを開ける。


「ベランダ、ベランダー!」

「こら、走ると危ないよ」


 私の忠告などお構いなしに、久斗は靴を脱いで、どたどたと駆けながらベランダへ向かう。私は小さく溜め息をついてから、弟の後を追った。

 サンダルに足を突っ込んで、ベランダに出る。綺麗な橙色の空が、そこには広がっていた。ぽつりと浮かんだ淡い黄色の夕日が、町並みを照らしている。


 久斗は目を閉じていた。両手を胸の前で組んで、真剣な表情を宿しながら、そっと俯いている。私はそんな弟の姿を、ぼんやりと見つめていた。

 やがて久斗が、目を開く。手を下ろして、私と目を合わせた。


「たのんだ!」

「そっか。何を頼んだの?」


 私の質問に、久斗は純真な眼差しで、口を開いた。


「ゆかちゃんに、また会えますように、って!」


 ゆかちゃん。


 その言葉の響きに、私は少しだけ息をするのを、忘れた。


 *


 ……あのときも、夕暮れだった。


 病院の窓から差し込むオレンジが、ベッドに横たわる縁里ゆかりの茶色い髪を、きらきらと輝かせていた。


「お父さんとお母さんのことはもちろんだけど、」


 病衣から見える彼女の腕は、どうしようもないほどに、痩せ細ってしまっていた。


「久斗のこと、よろしくね」


 縁里はそう言って、儚く微笑んだ。

 私は震えてしまいそうになる声を、何とか押さえ付けて、平静を装おうとした。


「……私には、難しいんじゃないかな」

「どうして?」


 縁里の声はいつでも、優しかった。自分がどれほど辛い状況にあっても、他者への思いやりを忘れなかった。尊い人だった。


「私は……貴女と違って、暗いし。子ども自体、そんなに得意じゃないし。何より久斗は、縁里の方に懐いていると、思う」


 それに比べて私は、弱い。こうやって臆病な言葉を吐いてしまう。自分に自信を持つことができず、縁里に縋る癖がどうしても、抜けない。

 双子なのに大違いだった。同じ日に生まれたはずなのに、姉の縁里よりもずっと、ずっと幼かった。


「そんなことないよ、有月うづき


 縁里はそう言って、私の方に左手を伸ばした。私は少し逡巡してから、彼女の手を両手で握りしめた。


「あなたは素敵な人だよ。双子だから、ずっと近くで見てきたから、わかる。それに久斗の中では、有月も私も等しく、大切なはずだよ」


 温かい言葉に、泣いてしまいそうになる。


 癌を呪った。縁里の身体の中に巣食う害悪を、呪った。

 連れて行かないで。私の大切な人を奪わないで。奪わないで……


「頼んだからね、有月」


 弱い私はようやく、頷いてみせることができた。

 縁里は安堵したように、微笑った。


 *


 縁里。やっぱり私では、貴女の代わりになれないよ……

 俯いて、手のひらに爪を食い込ませた。


「それとね、もう一つ、たのんだ!」


 久斗の声が聞こえて、私はゆっくりと顔を上げた。


「もう一つ……?」

「うん! ……うづちゃんが、いなくなりませんように、って」


 その言葉に、私は目を見張った。

 よろよろと、久斗に歩み寄った。それから弟の小さな体躯を、慈しむように抱きしめた。ひゃあっという小さな声が、聞こえた。


「どうしたの、うづちゃん?」

「……大丈夫だよ。私は絶対に、いなくならないから」

「ほんとう?」

「本当だよ。誓うよ」


 私は力強く、そう伝えた。よかったあ、という久斗の幸福そうな声を聞いた。


「会いたいね。縁里に、会いたいね……」

「うん!」


 視界に零れる夕日のオレンジ色。縁里のことを、思い出す。

 また弱音を吐いてごめん、と謝った。

 それから。


 貴女の頼みごとを、私はこれからもずっと、覚えているから。


 そうやって心の中で口にして、久斗の温もりを感じながら、私は淡く微笑んだ。

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