本歌取りを完全にこなしている!!

 和歌には「本歌取り」という技巧がある。典拠のしっかりした古歌(本歌)の一部を取って新たな歌を詠み、本歌を連想させて歌にふくらみを持たせる技法なのだが、これは和歌に限った技術だけではない。陶芸にも「本歌取り」は存在するし、勿論、小説にもこの技法は用いることができるのだ。ちなみに、これは二次創作とは異なる技法である。「本歌取り」で紡がれる物語は必ずしも、原作の延長じゃなければならないという決まりはないし、全く別の物語になることもある。
 
「本歌取り」は知的な遊戯であると思う。本歌(古歌)となる文体を完全に理解して使いこなせないと、微妙な角のようなものができる。咽喉に魚の小骨が引っかかったような感じがするものである。しかし、この作品には全く角がない。丸く収まっている。非常によくできた小説であると思う。作者様は芥川龍之介の王朝物を幾度となく読み込んだのだろう。そのうえ、地獄の三途の川にいるという奪衣婆を羅生門の老婆と重ね合わせているとは、全く舌を巻く思いである。芥川龍之介の「偸盗」よりもしっくりくると展開である。「羅生門」の続きはこうでなくちゃならない――と納得してしまう。下人の行く先は地獄でなくちゃならない。思わず、拍手をしてしまうほどに面白い発想だった。