後編

 巨大温室には多数の監視カメラがついている。その管理をする場所が、モニタ室だ。

「すみません、通してください」

「すみませーん、うわっ」

 どうやら考えることは皆同じらしい。モニタ室には多数の、研究を人質に取られた教授や学生が押しかけていた。

 裕司と河合は人垣をかき分けモニタ室に侵入する。

「ようやく来たかね」

 遠藤教授が待ち構えていた。

 モニタ室にいるのは遠藤教授だけではない。その他研究室の教授たちが、難しい顔をしてモニタを眺めている。

「今わしらで現状把握をしていたところだよ」

 遠藤教授は木製の仙人のような杖をついて立ち上がった。

「中はどうなっているんですか?」

「赤井先輩はどうなっているんですか?!」

「まあ、落ち着きなさい」

 慌てた河合と裕司を抑える。

「赤井くんは現在、GINKYOUのコンピュータ室に立てこもっているよ。どうやらGINKYOUを利用して温室をジャックしているようだね」

「あいつ、そんなことできるんですか?」

「彼女はITにも造詣が深いからね。しかし、最も問題なのは」

 一番大きなモニタを見上げた。

「まさか改変植物を利用されるとはね」

 モニタの中、温室を緑に染めるそれ。裕司はそれが何なのか理解できた。

「まさかこれ、竹ですか?!」

「ああ、竹だな」

 河合もうなずく。しかし自分の目が信じられない。緑のそれは、通常みられる竹とは全く異なっていた。

 何十倍にも膨れ上がった茎をのばし、まるでその姿は樹齢数億年の木だ。さらにまっすぐ成長するはずのそれは何股にも枝分かれをし、加えて地面と平行に幹を伸ばしている。もはや竹に似たなにか別の植物だ。まさか温室が閉鎖されてからまだ数十分でここまで育ったというのか。

「どうやら、竹の遺伝子をいじっているらしい。しかも、現在進行形で」

「……リアルタイム組み換えシステムですか?」

「うん、そうみたいだね」

 河合の問いに教授はうなづく。

「なんすか、それ?」

 聞き覚えのない単語に裕司は首をかしげる。授業でも出てこなかったはずだ。

「リアルタイム組み換えシステムはね、わしらが開発している最新鋭の技術だよ。他でしゃべっちゃだめだからね」

「うす」

「リアルタイムで遺伝子を組み換えし、植物に反映される技術なんだが、まだ開発段階だったはずが」

「完成させたんだろうね」

 最新鋭の技術に、裕司は興奮しつつも同時に青ざめた。

 なんと恐ろしいことだ。人為的な変異を時間差なく植物へ反映できるというこの技術、まさかテロに利用されるなんて。

 起こした事の重大さ、含まれた意味は赤井も理解しているはずなのに、なぜこんなことをしたのか。

 裕司は頭を抱えるが、しかし他研究室の教授は待っていられないようだ。

「遠藤先生、あなたには申し訳ないが、ここは強硬手段に出るしか」

 他学部の教授が遠藤教授に訴える。なにせ皆、自分の子供を人質に取られているようなものだ。生きた心地もしないだろう。

 遠藤もそれをわかっているはずだが、まあまあとたしなめる。

「まずは赤井くんの主張を聞きたいところだね」

 教授はマイクの前に出た。

「赤井くん。聞こえているだろう。君は一体何を求めてことに及んだのかね?」

 温室内で、教授の声が響く。

 しばしの沈黙。

『私は、』

 ブツンとモニタに赤井の姿が映った。

『私の子供たちを取り返したいのです』

「子供?」

 裕司は疑問を顔に浮かべる。

「どういうことだ?」

「子供って?」

 教授らも困惑する中、遠藤教授は教え子へとまっすぐな視線を向ける。

「河合くん、何か知っているようだね」

「そ、それは、その」

 河合は大きく動揺を示した。

『そう、河合。あなたに奪われた私の研究。私はそのすべてを取り返したい』

 画面の向こうから、赤井は河合をにらみつける。その眼力のなんと強いことか。まさしく子を奪われた母だった。

 河合は膝をついた。

「河合くん、君は赤井くんの研究成果を盗んだんだね」

「はい……」

「え?!盗作ってことですか?!」

「うっ」

 裕司の言葉は河合の傷口に塩を塗った。思ったことを口にしたことで河合に最後の一撃を加えたようだ。

「わかった、赤井。俺が悪かったんだ。盗作の件、全て公表する。この大学を去ってもいい。だから、だからこれ以上罪を重ねないでくれ」

 頭をこすりつけるような河合の姿を、しかし赤井の目は冷ややかだ。

『私がそれだけで満足するとでも?』

「言い訳はしない。研究成果はすべて返す。共同研究の企業のポストだって君に譲る。俺が言える立場じゃないが、これ以上、君に自分を犠牲にしてほしくない」

「赤井くん、君の主張は通りそうだよ。なに、まだ外部には事は漏れていない。やめるなら今だよ」

 教授も赤井を諭す。

『分かった……なんていうと思ったかしら』

 赤井の声は地獄から這ってきたかのように冷たかった。

『河合。あなたはそうやってへこへこと謝ればいいと思っている根性、いつまでも変わらないわね』

「そ、そんなことは」

『いつだってあなたは口だけなのよ』

「だから謝るって言ってるじゃないか!」

『口で言うのなら行動で示しなさい』

「どう証明すればいいんだよ」

『今すぐ外で私は盗人ですって叫べばいいじゃない』

「そんなことさせるつもりでこんなことしたのか?!」

『そうでもしないと、あなたみたいな社会のごみはいつまでもはびこるのよ』

「なんだと!お前だって悪いんだよ!あんなわかりやすいところに放置して!」

『黙れ!ワカメ頭!』

「おしゃれパーマだ!」

 口論が始まってしまった。

 周辺の教授がどうどうと河合を落ち着かせ、ついでに捕縛する。

「赤井くん、気持ちはわかるがこれ以上はやめた方がいい。なに、ここにいる全員が事の証人だ。温室を解放した後、河合くんを裁いても遅くはないだろう」

 遠藤教授は赤井を諭す。

『教授……』

 赤井も、本来の目的、河合による研究盗作の件は暴露できたわけだ。これ以上いたずらに温室を占拠する理由もなかった。

『わかりました』

 手元を操作する仕草を見せる。

「さ、これで解決、解決」

 教授たちが、ほっと胸をなでおろす中、モニタ内の赤井の顔が青ざめていく。

「どうしたのかね、赤井くん」

『きょう……じ……そ……が……できなっ……——プッ————』

 画面が砂嵐になった。

「どうした?!温室は解放されるんじゃないのか?!」

「今解析しています!」

 情報学科の教授が先ほどからつなげたパソコンをいじっている。

「どうなんだ!」

「何が起こってる!」

「うるさいですね!やってるんですよ!」

 情報学部の教授は詰めかけた教授をはねのけた。

「どうやらGINKYOUが暴走しているみたいです。赤井美知留の操作にも応答しておらず、自分でこの温室を占拠しちゃってますね」

「そんな!」

 方々で悲鳴が上がる。

「赤井先輩は?!」

「閉じ込められてるんじゃない?」

「そんな!」

 裕司も悲鳴を上げた。

「遠藤教授、ここはコールド処理を行うべきでは?」

 一人の教授が主張する。

「遠藤教授、コールド処理って」

「最終手段の凍結処理だよ。温室内で事故が起こった場合のね」

「赤井先輩は」

「命は助かるけど、無傷は保証できないね」

「そんな!」

 裕司はこんどこそショックで口が閉まらない。教授方の考えもわかる。研究成果は大切だ。しかし赤井先輩を傷つけることは、裕司には許せなかった。

 何とかできないだろうか。裕司はモニタを凝視する。

 温室を支配する緑。もといGINKYOU。からからと竹が笑っているようだった。

「あ!あります!方法!」

 裕司は声を上げる。

「いい案が思いつけたんだね?」

「はい!あるんです温室を解放できて、赤井先輩も助け出せる方法」




「ふむ……つまり君が直接根元に、そのパーティクル・ガンで遺伝子を打ち込めば、リアルタイム組み換えシステムを無効化できるかもしれないと」

「はい」

 裕司はうなづく。

 すべての竹は、GINKYOUにつながっている。つまり、あの竹は全て一つのものだ。これはリアルタイム組み換えシステムが一つの細胞群に機械を接続してあることにもつながる。

 その細胞群に、外部から衝撃遺伝子を突入つまりパーティクル・ガンを打ち込めば、エラーが起きGINKYOUは止まるかもしれない。

「直接っていったって、お前見えてるだろう、この惨状。どうやるんだ」

「それは……」

 河合のちゃちゃに、しかし周囲の教授が不敵に笑った。

「ふっふっふっふ、ここをどこだと思っている。大学ぞ?研究施設ぞ?そんなものどうにかできるにきまっているだろう!」

 教授たちは徒党を組んで裕司の背中を押すつもりらしい。

 決して青年のまっすぐな心に魅了されてではなく、単に日ごろの成果で遊べる機会が回ってきたからという理由だが。

「よーしそれじゃ早速準備はじめっか!30秒で支度しな!」

「だったらうちは20秒だ!」

「我が研究室は10秒で」

 張り合い始めた教授に学生たちが白い目を向け始めた頃を見計らい、遠藤教授が咳ばらいをする。

「それでは、温室解放作戦、もとい実に実践的で実地的かつ実学性のある実験開始じゃ」

 遠藤教授は楽しそうにひげを撫でる。

「なに、全責任はわしが持つさ」




「速度制限解除、ナビAI拡張完了、重量制限良し。いつでも行けます」

 工学系の教授、学生に囲まれたロボタクシーの上で、裕司は手汗をぬぐった。

「池田くん、池田くん」

「はい」

 遠藤教授が声をかける。

「実験だから、レポート提出してね」

「え?!あ、はい」

「赤井くんに見てもらってね」

「はい!」

 いたずらな笑みを浮かべる遠藤教授に、裕司は元気よく返す。

「よし、こっちの準備はいいぞ」

「はい!」

 教授と学生がはける。

「10、9、8、7」

 カウントが始まる。

「6、5、4」

 手動に切り替えられたシャッターに手が触れた。

「3、2、1、発進!」

 シャッターが一気に開けられる。同時にロボタクシーのモーターがうなった。慣性に引っ張られた裕司は、しかし振り落とされないように手すりを握りしめる。

 タイヤが地面の上を転がる。一気に駆け抜けたその姿を、コンピュータGINKYOUは捕らえていた。

 温室を支配する緑がざわめく。


「来るぞ」

 モニタ室で教授たちがかたずをのむ。


 バリッと奇妙な音が鳴る。

 同時にロボタクシーが飛び上がった。

「うわっ」

 裕司の体が揺さぶられる。と同時に地面にいくつもの竹槍が突き刺さった。

 組み換えシステムで枝分かれ、急成長させた幹だ。

 凶悪なそれをロボタクシーは巧みに避ける。工学部のたまものだ。AIシステムが攻撃を認識し裕司を守る。

「うぷっ」

 さすがに三半規管までは考慮されていないが。


「あいつ酔ってやがる」

「さすがにあれは想定外ですからね」

 教授たちがはらはらと観戦する。

 竹は侵入者にどんどんと攻撃力、侵略範囲を増していった。

「こっからが俺たち工学部の本気だ!」


 進行を妨げる竹林。

 温室の入り口が開き、増援が放たれた。

 複数台のロボタクシーが四本足を蜘蛛のように動かし滑走する。そして胴体には即席で取り付けられたチェンソーが回転していた。

 飛び散る竹の粉。

「うおぉぉぉっ」

 裕司は倒れてきた竹を頭を下げて避ける。

 ロボは疲れ知らずだ。次々にGINKYOUへの道を開こうとする。だがロボの勢いよりも竹の増殖力が勝っていた。


 竹の生育速度にモニタの前でうなだれる工学科。

 それを押し退け現れる新たな学科。

「はっはぁ!俺たち昆虫科も負けてないぜ!」

 叫びとともにスイッチが押される。


 温室内に赤い霧が放たれた。

 いいやあれは霧ではない。チビタケナガシンクイムシだ。

 駆除用に生殖器官を不活化したチビ以下略。しかしその旺盛な食欲は変わりない。昆虫科は虫たちを余すことなく放つ。


「いけ!チビちゃんたち!」

 竹が食い破られる。

うち畜産学科も忘れんな!行け!太郎!花子!その他!」

 畜産学科の教授の号令でヤギたちが放たれる。放流されたヤギたちは竹林含む侵略性の高い植物を食べるために強靭なあごを持っている。次々と竹に食らいついた。

「植物学科も何かしますか?」

「いいよ放置放置」


 崩壊しつつある竹林の中をロボタクシーが駆け抜ける。地面だけでなく竹の上までも走り揺らされる裕司。

 しかしがくんとロボタクシーがバランスを崩した。

「くそっ」

 教授たちの猛攻により足場にしていた竹が崩れかけたのだ。

 放り投げられる裕司。

 だが裕司はあきらめない。

 受け身を取って速度を上げ走る。足場の崩壊が迫る中、それでもなお駆けた。

「赤井先輩!」

 裕司は思い浮かべる。赤井美知留のひたむきさ。研究にまっすぐな姿。

 だからこそ事を起こしたのだ。

 だからこそ憧れたのだ。

 最後のひと踏み。

 しかしGINKYOUもやすやすとは済ませない。

 爆発するように黄色い粉がふりまかれた。


「あれは!」

「花粉だ!」

 悲鳴を上げる教授たち。


「誰が立ち止まるか!」

 催涙性の高い黄色い煙幕から飛び出す影。

 裕司のその顔をトレードマークのゴーグルが保護していた。


「行け―!させー!」

 モニタ室。馬術部顧問が叫ぶ。


 白い銃身を引き抜かれた。

「うおぉぉぉぉ!!!」

 ボロボロになった竹藪を砕く。

 侵入したコンピュータ室。接続された細胞塊。

 現れたそれに向けて、金弾が放たれた。






 もうどうでもよかった。

 研究を盗まれ、盗人はのうのうと過ごしている。どんなに努力しても報われない。

 そんな世界ならいっそ、最後の最後に爪痕を残してやろう。

 だが、そう完成させたシステムにすら、裏切られた。

 どこまでも報われないのか。

 誰にも裏切られるのか。

 もう、どうでもいい。どうでもいいんだ。






「赤井先輩!」

 緑の檻の向こうで、声が響いた。

 おっちょこちょいな後輩の声。

「赤井先輩!俺、先輩にあこがれてここに来たんです!」

 トレードマークのゴーグルが外される。

「だから、赤井先輩の元で研究させてください!あ、あと、レポートの書き方教えてください!」

 ふ、と口角を上げていた。おっちょこちょいめ。

 後輩は破顔で腕を伸ばす。

「しかたないね」

 かわいい後輩の、真っすぐな思いにあてられて。

 伸ばされた手を、固く握り返した。

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萌えよ恋!! 染谷市太郎 @someyaititarou

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