3
冷えた夕方の海岸を、私は歩いていた。
フードはもういいだろう。閉鎖された冬のこの場所に、どうせ人はいない。
深謀は昨日までに実行済みである。そのせいで、私の脳内はぐちゃぐちゃで焼き切れそうなのだが。このぐちゃぐちゃは、数多の「私」がもたらす副作用のようなものなのか。
集中管理された人類のデータ。
私は私を保存する装置を身に着けていないから、日々内面を収集されることはない。けれど、生活するために致し方ないたまの外出などで、私も多少は「保存」されていた。
利便性を優先した集中管理は性質的なリスクも承知の上で、堅牢性に自信があるからその形態が選ばれたのであろう。
昨日、私はそのセキュリティを突破させてもらった。そして、二十年間蓄積された私に関する全てのデータを削除した。
念のため、方法は伏せさせていただくが、私が過ごした二十年の孤独も無意味ではなかったみたいだった。
世界は昨日を以って、私を完全に見失った。
裏を返すとデータに依存していた人類は、もはや私を観測した過去を紛失している。それが意味するのは、現実となった私の無限の可能性。
誰にも観測されていない私は選択されていない可能性の集合体で、数多の過去が存在している。今もたぶん確定はしていなくて、間違いなく私は世界にとって異分子となった。
断っておくがこれは世界へのレジスタンスで、自己満足の成れの果てであるから諸君にはお勧めしない。
でも、私はそれでいい。それがいい。少なくとも孤独と後悔にまみれた二十年間ではなくなったのだから。
「……やっと」
そのとき、私の視界は、オレンジの波打ち際に佇む一人の女性を捉えていた。
歳は、四十手前か。控えめに茶色がかった柳髪が波風になびいている。
ここで彼女に観測されたら、私はまた世界に捕捉されてしまう。
まだ、気づかれていない。今のうちに。
「あの……どこかで」
気づけば声をかけていた。
瞬間、弘遠な時空が一気に収束するような感覚を覚えた。
努力が水泡に帰す音とともに、しかし、私の中には知らない景色が広がってもいた。
離岸流に乗った幸せは、形を変えて戻ってきた。
愚にもつかない思考を砕く銀鈴の声が、脳内で再生された。
私を突き動かす信じ難い衝動が、再び身体を駆け巡った。
彼女の頭上にはわかりやすく「?」が浮かんで、
それが不意に「!」に変わる。
「私たち、人類ではありませんね」
そう言って、彼女は笑った。
ここまでお付き合いいただいたついでとして、身勝手ながら、私はここに誓いを立てさせてもらう。
夕陽に咲いた彼女の笑顔だけは、久遠忘れないと。
離岸流と幸せ 色澄そに @sonidori58
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