番外編
ショコラタルトの出会い
朝一番。
寝起きに鏡を見て笑顔を作るのが、ネリーの習慣だ。
「おはよう、わたし!」
鏡の中の自分に手を振って、ネリーは身を翻すと、ささっと朝の支度を済ませてしまう。
顔を洗って、髪を梳き、素敵なドレスに着替える。
ネリーが嫁入り道具として持参した魔女の反物で織られたドレスは、初めて王都に来たときに知り合った女職人たちの工房で仕立ててもらった、この夏流行のデザインだ。
大きな白いレースの襟に、ぷっくり膨らんだパフスリーブ。足首まで隠れるスカートは、夜空色に染めた蚕の妖精の糸で織られていて、月の光をたっぷりと浴びて輝く月光蜘蛛の銀糸で花の刺繍が大きく裾を飾っている。
そんなちょっぴり大人の色を醸すドレスを身に着けて、ネリーが意気揚々と部屋を出れば、大好きな人が優しい笑顔で出迎えてくれた。
「おはようございます、ネリーさん」
「おはよう、エルネストさん!」
お日様のように温かい金の髪がツンっと立っている。遠くに広がる海のように深い青の瞳が柔らかく細められていて、エルネストははにかむように微笑んでいた。
「素敵なドレスですね。初めて見るものです。ネリーさんが仕立てられたんですか?」
「ええ! 今日のためにね、夜にちょっとずつ刺繍をしたのよ!」
「夜更かしをしていたんですか?」
「……秘密よ!」
うっかりつるっと本当のことを喋ってしまったネリーは、慌てて自分の口元を抑えた。エルネストはそんなネリーにくすくす忍び笑いをもらして、彼女の柔らかな紫の頭をぽんぽんと優しく撫でた。
「あんまり夜更かししていると、日中眠たくなってしまいますよ」
「んもぅ、子供じゃないんだから。これくらい平気だわ」
ネリーがつんっとそっぽを向けば、エルネストは彼女の顔をそっとのぞき込んで。
「では、ネリーさんが眠たくなる前に、行きましょうか」
ご機嫌伺いに、ちゅ、とネリーの目元にキスが一つ落ちてくる。
気恥ずかしくなったネリーは、照れ隠しにエルネストの胸元に飛び込んだ。
今日はネリーとエルネストのお出かけの日。
朝からこんなに甘くて胸がどきどきしてしまうなんて。
ネリーは赤くなった頬を隠して、ちょっとだけエルネストを恨めしく思った。
ことの発端は、エルネストの妹のベヨネッタが、最近皇都で流行りのお菓子の話をしたことに始まる。
なんでも南の国から取り寄せたカカオという豆をクリームにして作られたショコラタルトなるものが、とても美味しいのだとか。
ジーニアスが率いるフェニックス商会によってもたらされた、魔女の溶けない氷によって実現したという、高級スイーツ。エルネストと一緒に食べてきたらどう? と、ベヨネッタに吹き込まれたネリーは、ぜひ食べてみたいわ! とエルネストにおねだり。
以前、ネリーが皇都のケーキを食べてみたいと言っていたのを覚えていたエルネストは、二つ返事でそのおねだりに頷いたのだけれど。
「これは……」
「まぁ、とっても人気なのね!」
ベヨネッタに教えてもらったお店は、平民向けのカフェだった。ただ、貴族にまで広まったそのお店の知名度のせいか、客層は貴族平民問わないようで、長い行列の中には仕立てが他より随分と良さげな人たちも混じっていた。おそらく、どこかの貴族の使用人なのかもしれない。
「とても混むとは聞いてましたが、予想以上ですね……すみません、もっと早くにくるべきでしたね」
「ふふ、いいのよ! 私たちも並びましょう? 並んでいる間、エルネストさんとゆっくりお話ができるわ!」
読みの甘さにうなだれるエルネストの手を引いて、ネリーは最後尾にちょこんと並んだ。こうやって行列に並んでみるのも、ネリーのやってみたいことの一つだったから、文句なんて出るはずもない。だってこんなにたくさんの人が欲しがってるなんて、それだけいいものなのでしょう? と、ネリーは楽しみが一層割増た気持ちになる。
にこにこと笑顔で並ぶネリーを見て、エルネストもうじうじしていられないと視線を上げる。
ネリーは見慣れない景色を見るのも楽しい。指を差してはエルネストに「あれは何かしら?」と尋ねた。時折、皇都に来て知り合った、機織り工房の女職人や、エルネストの同僚が通り過ぎていくのを見つけては、目が合うたびに手を振ったり、振り返したり。
「ふふ、もう三人もお友だちを見つけたわ! 皇都って人がいっぱいいるのに、案外狭いのね?」
「彼らは家がこの近くなんですよ」
ちょっとずつ進む行列に延々と並びながら、ネリーとエルネストは、のんびりと自分たちの順番が来るのを待つ。
また列が前に進んだので、ネリーが一歩足を踏み出そうとしたら、スカートの裾を誰かに引っぱられるような感触がした。
「あら?」
「すみませんっ! こらマヤ! お姉さんのスカートを離しなさい!」
ネリーが後ろを振り返れば、小さな女の子がネリーのスカートをぎゅっと握って、じぃっと見つめていた。後ろに並んでいたお母さんらしき人物が一生懸命女の子の手を離させようとするけれど、女の子は食いいるようにネリーのスカートを見つめていて、全く聞いていない。
エルネストも困惑したように女の子とネリーを見比べている。無理に離させようとすると、ネリーのスカートがめくれてしまいそう。
「たのしそう」
「マヤ?」
「おねーちゃんのスカート、たのしそう!」
マヤ、と呼ばれた女の子が、榛の瞳をきらきらと輝かせてネリーを見上げた。
楽しそう、という評価にマヤの母親とエルネストが訝しげな表情になるけれど、ネリーはその意味を正しく把握して。
「嬉しいわ、嬉しいわ! そうなのよ、この子たち、楽しそうなのよ! 分かってくれるなんて嬉しいわ!」
「そうなの! たのしそう! いいなぁー、マヤのスカートもたのしいのがいい!」
ネリーはしゃがむと、マヤのちっちゃな手に触れた。
「ねぇ、あなた、お名前は?」
「マヤ! マヤっていうの!」
「わたしはネリーよ! ふふ、お目々のいいマヤに、わたしから素敵な贈り物をしてあげる!」
ネリーはそう言うと、スカートの裾をちょんちょん、と叩いた。
「夜空を泳ぐ海の鯨、海底に漂う空の雲、あなたたち、そこにいるのはそろそろ飽きたのではないかしら? ほらお行き、若草色の大草原でだって、貴方たちは泳げるし、漂えるのよ!」
ネリーが刺繍の一部をなぞって、ついっとその指をマヤのスカートへと向ける。
すると驚いたことに、それまでネリーのスカートに刺繍されていた模様が一部解けて、ひとりでにマヤの若草色のワンピースへと縫いついた。
マヤの母親だけではなく、たまたま後ろの様子が気になっていたらしい、ネリーたちの前に並ぶ老夫婦も、目を見開いている。エルネストは苦笑して、しぃっと口元に人差し指をあてた。内緒ですよ、と。
「わぁ……! おねーちゃん、すごい!」
「ふふ、ありがとう。あなた、魔女の素質があるかもしれないわ。刺繍糸が楽しそうにしている感情を読み取れるなんて! ……そうだわ! ねぇ、わたしの弟子になってみる? わたし、一度くらい弟子を取ってみたかったの!」
「ネリーさん、さすがにそれは……」
怪しげな勧誘のように子供を誘おうとしたネリーを、エルネストがたしなめた。ネリーはきょとんとしたけれど、エルネストがやめたほうが良いと言うのなら、そうなのかもしれないわ、とこれ以上変なことを言わないようにお口に手を当てる。
マヤの母親は困惑の表情だ。ネリーが魔女といったことに、戸惑っているみたい。
対するマヤは、子供らしい素直さを持っていて。
「ネリーおねーちゃん、魔女なの?」
「ええ! 白夜砂漠を越えて、エルネストさんのお嫁さんになるためにやってきたの!」
「じゃあ、じゃあ! ほうきでおそら、とべるの!?」
箒? とネリーは首を傾げる。
「箒で空は飛んだことないけれど、杖があれば飛べるわ!」
「わぁ! じゃあ、じゃあ! くびなし魔女がわるい子を小びんにつめちゃうのもほんとう!?」
「まぁ、よく知っているのね! それも本当だわ! 悪いことをしたお姉さんを小瓶に詰めて持って帰ったのよ!」
「わぁー! ほんものの魔女だ!」
マヤの目がきらきらと輝く。子供のはしゃぐ大きな声はよく通って、行列に並んでいる人たちがなんだなんだと注目してくる。
エルネストがさりげなくネリーをそういった視線から隠そうと動くけれど、ネリーはそんなことお構いなしで。
「魔女のこと、好きになってくれると嬉しいわ! マヤもその鯨と雲、大切にしてね。あなたがかけっこして転びそうになったら、きっとこの子たちが助けてくれるわ!」
「うん! ネリーおねーちゃん、ありがと!」
にこにこと笑顔のマヤにつられて、ネリーも破顔する。
マヤの母親がほっと息をついた様子で、ネリーと娘のやり取りを見ていた。エルネストもまた、微笑ましいその光景に肩の力を抜いたとき。
「……魔女だと? 不気味な……なんでそんなやつがいるんだ? まさか皇国を乗っ取りにきたのか?」
悪意のある言葉が、ネリーとエルネストの耳に届く。
声の主は、ネリーとエルネスト、マヤたち親子の後ろから届いた。
ショコラタルトのために行列に並ぶ男性客らしい。どこかの貴族家の使用人なのか、清潔でちょっと仕立ての良い使用人服を男性は着ていた。
エルネストがその男をにらみつける。明らかな悪意からネリーを守ろうとその背中に彼女を隠したけれど。
ネリーは
「まぁ、おかしなことを言うのね? わたしが皇国を乗っ取るなら、今こんなところで並んでないわ。だって皇子様におねだりして、ここのタルトをまるごと独り占めだってできるじゃない!」
ころころと無邪気に笑うネリーにマヤも同意するように「タルトをひとりじめいいなぁ! 魔女ってずるい!」って大きな声で主張する。
慌てて娘の口を母親が塞ごうとしたけれど、ネリーはそれにも笑って。
「ふふ、魔女ってずるいのよ。やろうと思ったらなんだってできちゃうの。でもね、大切なのはね、誰かを傷つけるために魔法やおまじないは使わないことなのよ。幸せな魔法だけ、使うの」
「しあわせな魔法?」
「そうよ! たとえばマヤが転ばないように、鯨の刺繍に助けてあげてねってお願いしたり、美味しいものを食べられるように溶けない氷をもっとたくさん、お店の人に贈ってみるのもいいかもしれないわ!」
マヤの目がますます輝く。
ネリーとエルネストの前に並んでいた老夫婦が、思わずといったようにネリーに声をかけてきた。
「お嬢さんは溶けない氷も作れるのかね」
「やろうと思えばできるわ! でも、そんなことをしたらお店の人が大変よね。あんまりたくさん氷があったら、お店の中が凍っちゃって、お店の人が風邪をひいてしまうかもしれないわ?」
ネリーのおどけたような言葉に、老婦人もくすりと忍び笑いを漏らした。
和やかな空気に包まれる中、相変わらずネリーに苛立ち紛れで絡もうとした使用人らしき男を、エルネストはひたと見据える。
「国からもお達しがあったように、今後は魔女との交流が増えていくでしょう。その件について異議があるのであれば、私が伺います。これでも近衛騎士ですので、殿下に直接その声をお届けすることも可能です。……が」
エルネストはマリンブルーの瞳をスッと細めた。微笑んではいるものの、まるで蛇に命を狙われる蛙のように、使用人らしき男は萎縮して一歩後ずさった。
「ネリーさんを侮辱するのであれば、よくよく私と一度、話し合いさせていただけませんか? 彼女の良さを骨身にしみるほど語らせていただきますので」
にっこりと晴れやかな笑顔を浮かべるエルネスト。
他から見たらネリーをかばう素敵な男性……なのだけれど、使用人らしき男からしたらたまったものじゃない。
近衛騎士というのは伊達ではないようで、その体躯はひょろりとしている男より断然立派だ。優しい面立ちに隠されているけれど、ひと睨みされたときの気迫は主人に叱責をされるときの数倍は怖い。
結果、その男は居心地が悪くなったかのように列から逃げ出していった。
あらあら、とネリーがその背中を見送る。
「せっかく並んでいたのに、もったいないわね? もうあとちょっとで順番だったのに」
「まぁ、彼も急用を思い出したのでしょう」
しれっとそう宣う旦那様に、ネリーはついつい笑って、その腕にぎゅっと絡みついた。
「私の旦那様はやっぱり素敵ね! とってもかっこいいわ!」
「ちょ、ネリーさん! さすがにこんな人目のあるところで抱きつくのは……!」
目元に朱を走らせてわたわたするエルネストに、ネリーがふふふと笑っていると、マヤの母親がようやく思い出したかのようにおもむろに口を開いて。
「もしや最近、大聖堂で結婚式を挙げられたという魔女の御方と、フォーレ家のご子息というのは……」
「わたし以外に結婚式を大聖堂で挙げた魔女がいないなら、間違いなくわたしね!」
ネリーは花が咲くようにパッと笑った。
それと同時、お店の中から店員さんが出てきて。
「大変おまたせしました。お次の方どうぞ。何名様でいらっしゃいますか?」
老夫婦を店内へと促した。
老夫婦はしわくちゃなお顔の目尻に、さらに皺を寄せて笑いあうと。
「六名でお願いします。魔女さん、もう少し貴女のお話を聞いてみたい。ぜひご一緒にいかがですかな?」
「小さなお嬢さんも、もっとお話してみたいでしょうしね?」
そう言って誘ってくれるものだから、ネリーは思わず手を叩いて喜んだ。
「エルネストさん、せっかくのお誘いだわ! ご一緒してもいいかしら?」
「ネリーさんのお好きなように」
「お母さん、マヤも!」
「すみません……よろしいのですか?」
「えぇ、えぇ。こちらからお誘いしたんだもの。ご都合よろしくて?」
店員さんは突然の大所帯に目を丸くする。慌てて席を確認して、もう少し待ってもらえるのでしたら、とのこと。
もちろん、ネリーたちに否やはなくて。
「楽しみね、エルネストさん!」
「そうですね、ネリーさん」
新しい出会いは、美味しいケーキでお祝いしましょうとネリーは胸をはずませる。
楽しそうなネリーの様子に、エルネストも自然と頬がほころんだ。
首なし魔女の数奇な婚礼 〜呪われた騎士と誓いのキスを〜 采火 @unebi
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