第26話 首なし魔女の数奇な婚礼
オーロラ色のステンドグラスがしんしんと光を降り積もらせる、シャナルティン皇国の大聖堂。
貴賤問わずに敬虔な信者が祈りを捧げる場所で、今日この日、魔女の婚礼が行われる。
ネリーは本当は、精霊が好むような清らかな湖や、精霊たちがさやさやとさざめく、ひだまりの森林のような場所で婚礼を上げたかった。けれど、人の多いごみごみとしたシャナルティン皇国の中で、精霊が棲むような清廉な場所がここだけだったから。
信者の祈りを聞き届けるためのこの大聖堂は、人に友好的な精霊たちが耳を澄ましている。ここだったら、魔女の婚礼を進行できるほどの精霊に立会人となってもらえるはずよね? とネリーが何度も下見をして決めた場所だ。
ただ、場所が場所。大聖堂をまるっと借り受けることは難しいかも? と思っていたら、皇太子権限を使って、ケイネスがうまく手を回してくれたみたい。
とはいえ、この大聖堂を借りるに当たり、一つ条件をつけられてしまった。
それは、ネリーとエルネストの婚礼を、できる限り多くの人に見てもらうこと。
どうして? とネリーがケイネスに尋ねたところ、三百年前からの確執の区切りとして、これが一番効果的だろうとのことだった。魔女と人の友好を取り戻すための一助となるのならやぶさかじゃないわ! ということで、ネリーは大聖堂に入る限りの見届け人を呼ぶことに。
多くはエルネストと交流のある騎士団の人たちだけれど、ネリー側の参列者にはジーニアスを筆頭に、白夜砂漠を渡るフェニックス商会、それからネリーが
それほどまでに沢山の人が並べば、大聖堂もにぎやかになる。普段はしんしんと信仰の光だけが天上から降りそそぐ大聖堂では、多くの衣擦れの音やひそひそ声があちこちで生まれていた。
そんな常よりちょっぴり騒がしい大聖堂で。
参列者たちは正午十二時を告げる、時計塔の鐘の音を聞いた。
祝福を告げる鐘の音が、参列者たちの狭間を駆けぬけていく。
余韻が消えゆく頃、ぴたりと話し声がやんだ。
誰かが視線を、祭壇から外した。
それにつられるように次々と、参列者たちが身廊に敷かれた赤い絨毯のその先に、様々の瞳を向けていく。
ようやく、お待ちかね。
息を呑むほど荘厳で、広く長い身廊の果てから、二つの影がゆったりと歩みはじめる。
新郎はお日様のような明るい金の髪を刈り上げ、海色の瞳に優しさをたたえていた。純白の三つ揃えに柔らかな金の刺繍が袖口に刺繍されていて、そこから伸びるたくましい腕で、新婦をエスコートしている。
そのエスコートされている新婦の姿に、参列者の誰もが目を見開いて。
たっぷりのドレープを幾つもくるくると巻いたドレスもまた、純白の薔薇が咲いているように見えてとっても贅沢。唯一無二の
その場に参列した女性は、皆が羨んだ。あんな贅沢で幻想的な花嫁は、見たことがないと。
その場に参列した男性は、皆が妬んだ。あんな女神のように美しい娘と結婚できるのであれば、本望だと。
百八もの天使が並ぶステンドグラスが、オーロラの輝きを大聖堂に讃える中、一組の男女が身廊に敷かれた赤い絨毯の道を歩いてくる。
気の遠くなるような、ヴァージン・ロード。
一歩一歩が花嫁の生を数えるもので、歩むごとに、過去、現在、未来へと紡がれていく魔女の命を、精霊に閲覧してもらう、大切な儀式。
その道のりの終着点、大聖堂で最も貴い祭壇の前にまで歩いてきた新郎新婦は、誰もいない祭壇へと頭を垂れた。
ネリーはどきどきしている。
一生に一度の魔女の婚礼。なんとかヴァージン・ロードを歩ききったものの、いつ転ぶかとひやひやしていた。足元はネリー渾身のドレスにすっかり隠れてしまっている。こんな大衆の前で転んでしまったら、一生のお笑い草になる。
緊張しながらも、なんとか祭壇の前へとたどり着いたネリーは、満月の瞳を一度閉じると、水琴鈴のように澄んだ美しい声で、唄った。
「――精霊よ、精霊よ。森羅万象に宿りし精霊よ。魔女ネリーが願います。我が身の陽なる存在、エルネストと添い遂げるため、魔女の祖クロワーゼより連綿と紡がれてきた時の円環より外れ、月なる存在への転生を望みます」
精霊への請願を紡ぎ、胸の前で指を組んだ。
ここが一番の大切なところ。
ネリーが祈る祭壇には、エルネストに手配してもらった供物とは別に、錬金の魔女の教え通りに創った、太陽の生命力を秘めた金塊と、月光の魔力をそそいだ銀の鉱石が鎮座している。
もし、ネリーの祈りが届けば。
「精霊よ、精霊よ。森羅万象に宿りし精霊よ。魔女ネリーの転生を許したもうたならば、我が手と、我が背の君の手に、許しと祝福の証をいただきたく存じます」
しん、と大聖堂が静まり返る。
耳が痛いほど、静かな音。
まるで耳鳴りが聞こえるかのような静けさの中、ネリーの心臓だけが、ばくばくと全力疾走した。
(――どうして精霊は答えてくれないの!?)
本来であれば。
ネリーがこの宣言をしたところで、精霊が応じてくれるはずだった。饗応の供物はかき消え、黄金と銀が交会して金環日食が生まれ、指輪が錬成されるはずだった。
それなのに、精霊が一向に応えてくれる気配が、ない。
ネリーは焦燥にかられた。つい、満月の瞳に不安をのせてエルネストの方へと顔を向ければ、エルネストもネリーの方を見て。
ちょっぴり驚いたような表情をしたあと、エルネストは。
「――精霊よ、精霊よ。エルネスト・フォーレが誓います。歓びの時や哀しみの時、健やかなる時や病める時。あらゆる時も、彼女を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い……この命ある限り、真心を尽くすことを、ここに宣言いたします」
ネリーに倣って、精霊へとその心を宣誓する。
打ち合わせなんてしていない。でもエルネストはまるでそうするべきだというかのように、流暢に言葉を紡ぐ。
ネリーがびっくりして、目を真ん丸にさせれば。
――お幸せに。
どこからともなく聞こえた、優しくて、どこか懐かしい、母なる声。
ネリーがその声にハッとして顔を上げれば、瞬間、祭壇に一陣の風が吹く。
大聖堂の中に吹くには奇妙な風に、観客たちが各々服の裾を抑えたり、小物が飛ばないようにと手で抑えていると、祭壇に備えられていた供物が金の粒子となって天へと昇華されていく。
その幻想的な光景に、誰もが我を忘れて見守っていると、ネリーが用意していた黄金と銀の鉱石が溶け合って、重なり合って、交わって。
あとに残るのは、まばゆく輝くプラチナの指輪。
ここに、精霊たちがネリーとエルネストの婚礼を祝福する証明が顕現した。
魔女の不思議の力に慣れていない参列者たちが、唖然とするなか、ネリーは
「エルネストさん、やったわ! 魔女の婚礼の成就よ! 精霊たちが認めてくれたわ!」
「うわっ、ネリーさん待って、落ち着いて、まだ終わってないですよっ」
突然飛びついてきたネリーに尻餅をついてしまいそうになったエルネストだけれど、日頃から鍛え抜かれた体幹にものを言わせてなんとか踏みとどまった。
ネリーはエルネストにたしなまれて、ハッとする。
慌てて祭壇から二つの指輪をもぎ取ってくると、ネリーは大きい方の指輪をエルネストの指にはめようとする。
「エルネストさん、この指輪をはめたら、もう返品は不可能よ! 私をお嫁さんにしてくれる?」
「それはこちらの台詞です。ネリーさんこそ、俺なんかが夫でもいいのですか?」
エルネストはネリーが握りしめていた指を優しく開かせると、もう一つの小さな指輪をその手に取ってしまった。
ネリーがきょとんとしながらその指輪の行方を見つめていると、エルネストもネリーと同じようなことを聞き返してきて。
その言葉に、ネリーはとびっきりの笑顔を見せた。
「もちろんよ! 私の旦那様はエルネストさんにしかつとまらないわ!」
「どう意味ですかそれは。……では、そうですね」
エルネストも笑いながら、ひざまずいた。
花婿の騎士は美しい花嫁魔女の左手を取って、その薬指へと指輪を贈る。
「この気持ちを言葉にするのなら、愛しいというのでしょうね。いついつまでも、貴女と幸せを紡いでいきたい。私の妻として、これからはずっと、隣りにいてください」
乙女の誰もが憧れるようなプロポーズ。
今の、今で。
まさか、この場面でエルネストがこんなにもネリーの乙女心をくすぐってくるなんて。
ネリーは胸いっぱいに素敵なものがあふれかえってくる。
今にもあふれ出しそうなこの気持ちを抱きしめて、ネリーは。
「もちろんよ、エルネストさん! きっと楽しい日々が待っているわ! 素敵な毎日を過ごして、たっくさん長生きして、一緒のお墓に入りましょうね!」
エルネストの左手の薬指に、指輪を贈る。
見たこともないくらい、女の子なら誰でも胸をときめかせてしまいそうなくらい、エルネストが甘い表情で微笑んだ。
それから、花嫁から人生の枷をはめられた花婿はさっと立ち上がると、彼女のあごをすくいあげて。
「もちろんです。貴女の命、半分ください。俺の命も、貴女に半分あげるので」
ネリーが急なエルネストの動作にされるがままになっていると、視界の中に海色の瞳がめいっぱい広がって。
ようやく現実へと戻ってきた参列者から、祝福の歓声が上がる。
大聖堂いっぱいに響き渡る祝福の声の中、エルネストがネリーの唇からそっと離れれば、真っ赤に熟れた苺のように頬を赤らめたネリーがいて。
「……ひ、ひどいわ。ひどいわ、エルネストさん! 心の準備、まだだったのに……っ!」
「それはすみません。でも、ネリーさんがお嫁さんになってくれることが嬉しくて」
「〜〜〜んもぅ! エルネストさんのそういうところ、好きよ!」
ネリーがエルネストの首へと腕をまわす。ネリーが抱きついた拍子に青薔薇のブーケは高く放り投げられて、参列者の中にいたエルネストの妹ベヨネッタが受けとめた。
エルネストがネリーの膝裏をすくい上げる。
横抱きにされたネリーは、ぴったりとエルネストにくっついて。
「お師匠様が言っていたわ。幸せは歩いてこないのよって。だから自分から出逢いに行きなさいって。出逢ってくれてありがとう、エルネストさん! わたしの運命の人!」
ネリーからも口づけを贈る。
これは、生命を紡ぐ誓約のキス。
魔女と騎士の唇が合わさって、新たな生命の誕生を精霊たちが言祝いで――
魔女の集落から遠く、呪われた白夜砂漠を越えた先にある、シャナルティン皇国の大聖堂。
ここに、数奇な運命をたどった、一人の魔女の婚礼が成就した。
【首なし魔女の数奇な婚礼 〜呪われた騎士と誓いのキスを〜 完】
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